第三章 子供ひとり
「納得いかない。何で今すぐ助けに行ったらだめなんだよ」
ヴァッツはトスティンをつれて、第四地区の家に戻って来た。
暖炉の火にあたるヴァッツは、隣にいるトスティンにタオルを渡す。それを受け取ったトスティンは肩にかけ、ヴァッツの不満など意に介さない様子で飄々と林檎を齧っている。
「そうは言うが、だいたい連れ去られた場所もわからないだろう?」
「本当は知ってるんじゃないの。やけに奴らに詳しそうだし。タイミングよく現れすぎだし、怪しすぎ!」
「おいおい考えすぎだって」
林檎を銜えながら暖炉に掛けた鍋をかき混ぜ、質素な机に皿を並べていく。そんなトスティンを眺めてヴァッツはさらに眉を顰める。
「そんな言葉で誤魔化されないよ!それに何でそんなに落ち着いていられるんだよ?!」
丸目だけでなく、ピトロとアシアも連れ去られた焦燥感でヴァッツは怒鳴った。そんなヴァッツをやはり気にせず、トスティンは鍋の中身を皿に盛っていく。
「・・・何とか言ってよ・・・」
返事もしてくれないため不安の捌け口を失くし、ヴァッツは雨で冷えた体を丸めた。
「おい、出来たぞ。少しは食って落ち着け」
鶏肉や野菜のたっぷり入ったとろみのあるスープは美味しそうで、疲労の溜まった体は食事を要求していた。おずおずと口をつけたヴァッツは驚いて、まじまじとスープを見つめる。
「うまいだろ?」
「うん。でも・・・昔食べた気がする、この味。なんでだろう」
トスティンの外見では想像もできないが、かなりの美味だった。そして妙に懐かしい。
(この味どこで食べたんだっけ)
首を捻るが思い出せない。その様子にトスティンは目を細める。
「あの坊や・・・今頃死んでるなぁ、きっと」
唐突の静かなトスティンの言葉に、またヴァッツの目に涙が滲む。
「もしかしたら、ピトロ達も助けられないかもしれないが、それでも助けたいのか?」
「当たり前だろ」
「俺は助けるつもりなんかないぞ」
「嘘だ」
「他人を助けるなんて俺の主義じゃないんだ」
「・・・・でも、師匠とは知り合いでしょう?」
トスティンは顔を上げた。
「この家に何度か来たことがあるんだよね?スープ皿がどこにあるのかも知ってたし、野菜皿とも間違えなかったもんね。師匠が細かい性格だって知ってるんじゃないの?」
二人はしばらく見詰め合った後、トスティンが破顔した。
「・・・成長したもんだ。やっぱり、ピトロの『育て方がよかった』かな」
「やっぱり知り合いなんだね」
ピトロの口癖を聞いてヴァッツは確信する。(それに、僕のことも知ってるのか?)と、ふと、クムジェンの館での会話を思い出して疑惑が募った。
「ピトロとはヴァッツが引き取られる前からの古い友人でね。でも、まぁ・・・俺が一回死んでからしばらく会ってなかったわけだが・・・」
「一回死んだって・・・あっ!ヒース司教に生き返らせてもらったの?」
ヒースの力のことを知った時も驚いたが、実際生き返った人間がここにいるのを知って驚愕する。
「そう。なかなか助けてくれないはずなんだけど、気まぐれってやつだろうな。あぁそうだ、あんま無闇にこのことを他の奴に吹聴するんじゃねぇぞ。大騒ぎになる」
「生き返らせて欲しいって言う人が、ヒース司教の所に大勢詰め掛けてくるから?」
「そう、そう。なかなか賢いぞ」とトスティンが身を乗り出してヴァッツの頭を撫でる。そしてヴァッツは、どうして博士があまり火事の現場に長居しない方が良いと、ヒースに言ったのか今頃わかった。
(博士は司教の力を知っていたってこと・・・・・?)
「俺はそういうわけでヒース司教と顔見知りで、ピトロらを攫った奴らのことを調べるように言われたわけ。そしたら、あの場所でお前らと遭遇したんだ」
「ということは、奴らの居場所もだいたい見当がついてる・・・ということだよね?」
「・・・そういうこと」
にやっと笑うトスティンの顔が突然ぼやけて見えて、目を擦る。
「じゃあ・・・早く助けに行こうよ」
頭がぐらぐら揺れてきたヴァッツは、意識が遠のき始める。
「その前に調べ物があるんだ」
ヴァッツが椅子から落ちるのを横に回っていたトスティンが支えて、寝台に連れて行く。
(こいつ!食べ物の中に何か・・・・入れたな・・・・・!?)
薄れる意識の中で、ヴァッツはトスティンによって食べ物の中に薬を入れられたことを悟る。
しかし、眩暈がするほどの睡魔には抗えず、部屋を家捜しするような音を聞きながら眠りの中に落ちていった。
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(あ~ガッツだ。ガッツだ、ヴァッツ。怒りを根性に換えろ!)
そうして気合を入れたヴァッツは、今日の朝の感情を呼び覚ますように回想する。そうすれば、鉄格子のかび臭い牢獄にいることから現実逃避できるだろうと考えたからだ・・・。
朝、目を覚まして寝台からずり落ちたヴァッツの第一声は「あのオヤジのハゲ頭」だった。
もちろんトスティンの頭が燐光を放つような不毛地帯になっているわけでもなく、子供が大人に怒りをぶつける時に発せられる常套句である。しかし、その時のヴァッツの姿は一味違う。両足を開いて立ち上がり、頭を抱えて振り乱し、最後に「やぁらぁれぇたぁぁぁ~!」と叫んで寝台に倒れこんで反動がついて床に落ちた。
鍋に眠り薬が混入されて、朝まで睡眠を満喫したヴァッツは、トスティンに出し抜かれ師の居場所を聞くこともできぬまま朝日を浴びた。
そして、その怒りをエネルギーにするはずだった。
しかし、そんな怒りなどよりも衝撃的なことが、この後のヴァッツに降りかかることになるのだった。
「そういえば、探し物ってなんだろ」
普段使わない机の上の埃がないことに気づいて、部屋を見渡した。とりあえずいつもどおり物が配置されているが、見るところを見れば誰かが触った形跡がある。もともと簡素な部屋だったので、無くなった物もないと一目でわかった。
(俺の持ち物で、あのオヤジが欲しがる物ってなんだろう?)
思い当たる高価な物といえば、唯一光具ぐらいだがそれもちゃんとあるし、仮にも想師なら必要のない代物だ。床に座って考えこんでいると、小さな足先が視界に入ってきたのでその人物を仰いだ。またあの女の子なのだが、天井を指差している。
「あの屋敷に縁のある子じゃなかったんだね
」
自分の部屋にまで現れたレグレットを見て動揺する。この時やっと自分に少女が取り憑いているのだと実感した。
「勘弁してよ。天井裏にある物っていったらあの冊子じゃん。うあ~嫌な感じ」
漸く思い至ったのはいいが、あまりにも怖かったので目に触れない天井裏に隠しておいたのが幸い?したらしい。助走をつけて壁を蹴って跳躍し、割れ目のような天井にある取っ手を引っ張ると、階段が降りてきた。それを上って古びた箱を開けると、不吉な冊子が変わらずそこにある。顔を背けて本を開くと、血で黒くなった書面が横目でも確認できた。さすがに、目をとおさないわけにはいかないと思い、嫌々ながら字面を目で追う。
「『ゼルディアス暦三十五年ジャファスの月』・・・今から四年前か、結構最近じゃん。それで、『我が父ボーゼス=ジャルモ=ロウの悪事について語る・・・のジャルモニアにおいての人身売買という・・・極まりない行いを』!?」
ところどころ紙魚で読めないが、少し呼んだだけでとんでもない内容なのは馬鹿でも理解できる。どうやら、このボーゼスの娘が父親を告発するために調べた調査書らしい。人身売買という単語からして恐ろしいのだが、記載してある数字も恐ろしい。何の数字かはこの際考えないようにして、ヴァッツは考える。
・・・・果たしてピトロもいないこの状況で、一人で何ができるのだろうかと・・・・。
おまけに師は連れ去られ、頼みのトスティンもどこかに消えてしまった。
そしてそれが、違法である人身売買とも関わっているようでもある。
例えば、このまま憲兵に事情を説明したとして、すぐ師を探してくれるのか。そもそも子供の言うことを信じてくれるかもわからない。
ヴァッツは暫く悩んだ末に、最も身近で信頼できる大人、博士に相談することに決めた。




