第三章 逃避
「おや、大雨でもきそうですね。ヴァッツは今どこにいるんでしょう」
空が曇り始めて、目端には稲光がちらついた。突風が吹いたので、一緒にいたアシアを庇うようにして風上に立ったピトロは弟子が心配になってきた。
「確か、今日は傘を持っていないはずですし・・・」
「心配性ね。あなたの推測どおりなら、もうすぐ集団葬儀が終わってここを通るわよ」
アシアに会いに来たピトロだが、空模様が気になってアシアと一緒にヴァッツを待つことにした。普段真面目に官師になるべく最後まで授業に出ているヴァッツが、今日はなぜが途中で抜けてどこかに行ってしまったことがアシアも少し気にかかっていた。
しかし、ピトロにそれを報告したところ、ヴァッツは集団葬儀を見に行ったのだろうと看破した。もちろん、実際に大聖堂に様子を見に行ったわけでもないが、ピトロは妙に自身ありそうに言い切った。そんな弟子の行動を知り尽くしているピトロが、傘を忘れたことぐらいで心配しているのがアシアには笑いを誘う。
「降って来たね」
大広場の長いすに腰掛けた二人の頭上に屋根があるが、もっと風が強くなればそれも意味をなさなくなるだろう。
「場所を移しましょうか?」
「大丈夫。それに、ほら。集団葬儀が終わったみたいよ」
城に用がある聖職者や官師とはいえない団体が、正門にむけて押し寄せてくる。
「・・・・『鬼』ってこんな顔かしら」
「鬼?・・・なんですか?突然」
「なんかね、東国では怖い化け物を『鬼』っていうみたい。それを教えてくれた知人に久しぶりに会ったんだけど、今のあなたの顔を見てちょっと思い出したのよ」
集団葬儀の参加者を見るピトロの表情が厳しく、いつも穏やかなピトロとは似ても似つかなかった。
「・・・ちょっとショックですね」
「かなりショックを受けるべきね。あなたにはそんな顔をしてほしくないわ」
ピトロはアシアの容赦のない口調の裏で、何が本当に言いたいのかを察した。一方アシアも、ピトロがなぜそれほど怖い顔をしていたのかも解って言っていたのだ。
「私が死んでも人間でいてほしいわ」
「・・・嫌ですね、そんな言い方して。でも、忘れてしまったら鬼にすらなれませんよ」
「ピトロ・・・このままじゃ、救われないわ」
血の気のひいたアシアの顔を見て・・・目を見て、自暴自棄になったピトロは「馬車を呼んできます」といって身を翻した。
自分を救うのは自分自身でしかない。ピトロが鬼のような顔をする原因が自分にあるために、なおさらアシアが助けになることもできず、それを痛感した。病を患って、医者に死を宣告され、それを知ったピトロは死ぬ本人より様子がおかしくなった。封師であっても親しい関係であるアシアの記憶は消される。ピトロはそれを何より怖がったのだ。何としてでも、愛すべき恋人には自分の死を乗り越えて欲しい。例え自分の存在がピトロの中から消えても、彼の心が救われるのならば、それで構わないと思った。
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必死で逃げるヴァッツはもう何が何だかわからなかった。
途中で巡回中の兵士に会った。
話かけられて医務室へ行くように言われて断ったら、強引に引きずられたあげく殴られた。そして初めて光具のスパナで人を殴るはめになり、罪悪感で後ろ髪がひかれたが逃げた。
それから何回も、話かけてくる聖職者や官師などの数人に追いかけられた。その都度、人がいる中を通って追っ手を撒いて、また撒いてを繰り返し・・・今に至る。
大広場でアシアを見つけたときは、集団葬儀から帰る群衆に紛れて歩いている時だった。人ごみを探しての道だったので迂回したが、この集団には助けられた。
隣を歩く人々に奇異の目で見られたが、むしろ安心して気にならない。彼らは式さえ終われば寄り道せずに正門に向かう。その流れに逆らわず歩くだけでいい。
ヴァッツの姿を見つけて手を振るアシアがいる。雨が降ってきて、服にじわじわ雨が染み込み、体が震えた。
赤い目で叫ぶヴァッツを見て、それから背に負われている丸目に視線を向けたアシアは小さな体で駆け寄ってきた。
「これはいったい・・・・何があったの?!」
ヴァッツは今にも泣きそうな顔をしながら、今まであったことを説明した。「何がなんだかわからないんだ!」と、半狂乱になっているヴァッツの背を抱いてやりながら、アシアは雨に濡れた顔を自身の長衣で拭いてやった。
しかし、ヴァッツの言う内容は要領が掴めない。椅子に丸目を横たわらせてアシアは傷を見たが、背中の小剣が内臓まで達している。医学知識は官師になる際に多少必要であるため、丸目が助かる確率が低いことをアシアは悟った。
「こいつ・・・助かるよね」
「わからない。でも早く医者に見せたほうがいいのは確かね」
アシアの目が一瞬泳いだ。
(あぁもうダメなんだ・・・)と、ヴァッツは悟った。
雨が強くなってきた。
通り過ぎる人数も雨が降ってからとたんに減った。集団葬儀の参列者たちも足早に通り過ぎて行く。
「何かありましたか?」
参列者と思われる一人の女性が、ヴァッツらの異常な様子に気づいたようで話かけてきた。「実は、この子が怪我をしてしまって・・・」
どう説明すればいいのか、言い淀むアシアがいい終わる前に、人々はざわめきたった。
「医者に見せるんだろ?俺、馬車を呼んで来るよ」
「あ、ちょっと、馬車ならもう呼んであるわ」
アシアの言うことも聞かず若い男が走って行ってしまった。中年と思しき細面の女は、気遣わしげに丸目の様態を心配し、羽織っていた内掛けを丸目に掛けてやる。アシアは集まった人の対応の早さに驚き、そして、あっという間に若い男が馬車を呼んできた。
「どうしたんですか?!」
ピトロが帰ってきたのは、半ば強引に人々が丸目とアシアを馬車に押し込んだ時である。
「丸目・・・俺の友人が襲われて、今医者に見せにいくところ・・・て、ちょっと置いて行かないで!」
ヴァッツがピトロに説明している間に馬車の扉は閉められて動き出す。
「私も同行します。待って下さい。ヴァッツ家に戻ってなさい」
「あっちょっと、俺も!」
素早く駆け寄ったピトロが馬車に飛び乗り、ヴァッツは乗り損ねた。それを見送った人々は一斉に散開し、各々帰路に着いた。
ヴァッツは雨も気にせず呆然と座り込むと、背後に気配がして振り返った。稲光が走って、人影が浮き上げる。
「あぁあ、置き去りにされてやんの」
「よかった。無事だったんだ」
トスティンだった。腕に軽傷を受けているが元気そうだ。
「当たり前だろ。ところで、追いかけなくていいのか?」
「追いかけるって、もう追いつけないじゃん」
馬車は肉眼では確認できないぐらいに遠ざかっている。だいたい馬車相手に走ったところで追いつけるはずがない。
「でもあの馬車が向かう先は、『死に掛け坊や』を襲った奴らの所だぜ。要するに、誘拐されたんだな」
「どういう・・・こと?」
「あの馬車も、さっきの周りの奴ら何人かも一味だって言ってるんだ」
その時、稲光が強張ったヴァッツの顔を照らした。




