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第二章 片目の男

傾いた椅子が中途半端な角度で停止している。おまけに音が遮断されたようで、床を叩いても何も聞こえない。


(・・・これってレグレットの仕業・・・・だよな?)


レグレットが見えるゴーグルは、ピトロが持っている荷物の中に忘れてきてしまった。だから、もちろん姿を確認することはできない。


「げげっ、完璧固まってるよ。これが真の無表情・・・なんて」


男は、本を拾おうとして屈んだ体勢で止まっている。それどころか、瞬きひとつしない。頬を(つね)っても反応がないのだからもう諦めるしかない。


部屋に一つしかない扉は、どうやっても開かない。無理に開けようとして壁に両足を乗せてひっぱるが、腕と足が痺れて尻餅をついただけだった。


(・・・・どうしよう!閉じ込められた!!)


・・・パタ


また、本が一冊床に落ちた。


ヴァッツは、とりあえず落ちた本を拾い上げる。無音の空間で、本の落ちる音だけが必要以上に耳に響いて不気味だ。


(このレグレット、何が目的なんだ?)


いつも浄化されているレグレットにある殺気がない。


「歴史書か・・・」


・・・パタッ


「今度は法律書・・・随分古いな」


・・・ポス


「今度はっと?」


軽い音で落ちた本は、他の落ちた本と比べると薄い冊子のようだった。


なんとはなしに本を(めく)っていくと、内容は何かの調査書らしく、手書きで書いた数字や人名、地名が並んでいる。


「これって・・・・・血痕?!」


所々に赤黒い血が付着していた。

赤い指紋が生生しい。

べっとり付いた血の痕から悪魔が出てきそうだと錯覚する。いかにも曰く有り気の呪い本みたいだ。


・・・・・・ガチャ


今度はドアの開く音がして、ヴァッツは急いでその冊子を書棚に押し込んだ。


(俺は何も見てない、俺は何も見てない!)


心の中で呪文のように反芻する。


部屋に何が入ってきたのかなんて考えたくもない。レグレットの仕業だろうと頭では理解していても、原因がわからないので恐怖を誘う。

とにかくこの部屋から抜け出したい。ただその一心で、開かない窓を力任せに開けようと試みた。


「・・・・っダメか・・・」


体がふらついて後ろの書棚にぶつかった。ヴァッツにあたった本は、数冊音もなく落ちた。


・・・・ポス


さっきの冊子がまた軽い音をたてて落ちる。


・・・・ヴァッツは震え上がった。


窓に見知らぬ少女が映っている。少女は、ただ黙ってヴァッツを見つめていた。


急いで後ろを振り向いたが、その少女はいない。


人間の姿を留めたレグレットをゴーグルなしで見たのは初めてで、それがまたわけが分からず混乱する。ヴァッツは自棄になって手近にあった本を少女の映る窓に叩きつけるが、音もなく当たって、音もなく落ちてしまう。


ヴァッツは、脱兎のごとく走り出した。


部屋からどうやって出るかも考えてない。ただ、じっとしていることが怖くて仕方がなかったのだ。


書棚の角を曲がろうとすると、誰かにぶつかって抱きとめられる。


振り仰ぐと、眉から頬に向かって切り傷がある、片目がつぶれた金髪の男が立っていた。


(・・・誰だ・・・?)


顔に嵌った目が琥珀色で、髪の色が風に揺られる稲穂のような明るい金髪だったためか、ヴァッツは恐怖を忘れて固まった。


(誰だ・・・・でも、この人どこかで・・・)


「おいおい大丈夫か?そんなに目を見開いてると、目玉が転がり落ちるぞ」


三十路過ぎらしい片目の男は、ヴァッツの頭をくしゃっと撫でつけた。心配してるというより愉快といった顔つきで、ニヘニヘ笑って唇が上下する。

この変わった侵入者は、肌蹴た胸に銀色のプレートをぶら下げていた。


「お、おじさん想師・・・なの?」


今度は想師を警戒しつつ、ためつすがめつ片目の男を凝視する。


官師や聖騎士が外套の色形で身分が判別できるのと同じように、想師は小さな銀のプレートを持ち歩くように定められている。


ヴァッツは想師に対する警戒を弱めて興味津々にプレートを眺めた。

生来いろんな事に興味を抱く性格である。なかなか日頃見る機会がないのだから、未熟なヴァッツ少年は気持ちを抑えることなどできない。

そしてその想師は、まばらに生えたちょび髭をひっぱり、その様子をしげしげ観察し、呆れたように嘆息した。


「お前怖がってたんじゃないのかよ?」


「その態度の変わりようはなんだ」と、目で語っている。その視線を受け止めたヴァッツは満面の笑顔で「はは」と照れ笑いを浮かべた。


「・・・まあいいけどよ。ところで、えらくかわいい憑き物が憑いてるみたいだが、心当たりはないのか?」

「あんな・・・女の子なんて・・・知らないよ」


至近距離から見下ろす視線に小さな少年はたじろいだ。陽気なように見えて、片目しかない瞳はガラスのごとく光を映しても茫漠としている。


「・・・・・やっぱり見えてるのか」


片目の男は複雑な光を目に湛えて、溜息をつくように呟いた。


「えっ、なに?」

「誰に似たのか鈍感な小僧だ。その能力があれば、高位聖職者にでもなれたかもしれんのに」

「何のこと?」

「別に・・・。それよりさっきの女の子、どっか行ったみたいだぜ。大方お前の顔に驚いて逃げたんだろうな」


そう皮肉に笑った片目の男を、ヴァッツは臆面もなく睨み付けた。体格差や年齢なんて関係ない。馬鹿にされたら許さない。相手が誰であろうと一歩も引かない。それが記憶のない三年間でやり通してきたことだった。


「おっ、いい面してるじゃねぇか」

「喧嘩売ってるの?」

「生意気」

「なんだと!」


いきりたった大人と子供が顎を突き出し、壮絶な睨み合いに突入した時、何も知らないその声が間に入った。


「トスティン様?いついらっしゃってたんですか?」


分厚い本を抱えた男が、本の散らばった床を見渡しながら、不思議そうな面持ちで立っていた。どうやら、もとに戻ったらしい。


大人気ない大人がちっと舌打ちする。


「あんたがその本を拾ってる間に決まってんだろうが」

「そう、ですか・・・。しかし、どうして大量に本が散らばってるんです?」


首を傾げつつも、後半はヴァッツに問いかけた。しかし、答えたのは、片目のトスティンだった。


「地震があったんだよ。それで、驚いたこのガキが転んで書棚にぶつかったんだ」

「そうですか。全然気づきませんでした」

「あぁ、そりゃ微弱な揺れだったからな。ガキが目玉かっひろげて驚く方がよっぽどおかしいのさ」


ヴァッツが睨んでいることを無視して、口の悪い大人が大口開けて笑った。トスティンは大人の配慮でいらぬ心配させまいと(実際は、単に説明するのが面倒だったからではあるが)ついた嘘だった。

しかし、ヴァッツに『嘘つきな大人』という認識を植え付けるには十分だった。


使用人の男は特に気にした様子もなく、いそいそと本を拾い片付け始めた。


「そういえば、なんか変わった冊子見つけたんだけど、呪いの本なんかじゃないよね?」


ヴァッツは恐る恐る問いかけると、爆笑が聞こえてきた。


「憑き物憑いた官師見習いが呪い怖がってどうすんだ」

「うるさい。俺はこの人に聞いてるんだ」


またも睨み合いになる両者の間に火花が散った。火の元になりそうな二人に割って入るのは、やはり事務的な男の声だった。


「・・・私もよく存知あげておりませんが、前の家主が残した本も混ざっています。量もかなりのものですし、旦那様も全て把握していらっしゃらないそうでございます」

「そうなんだ・・・」

「すみません。気に障るのでしたら旦那様に相談して処分致しますが」

「い、いいよ。大丈夫」


(捨てちゃったら呪われそうじゃん。この依頼さえ終わったらこの館ともおさらばだし・・・・)という薄情ともとれそうな理由をつけて、怖いのを我慢する。


「・・・あれ?」

「どうしました?」

「アイツがいない」


いついなくなったのか、それより何より何しにこの書斎に来たのかさえ聞く暇もないまま、あのうるさい片目の男が幻だったかのように、姿を消していた・・・。

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