銀河鉄道の夜
「終電、無くなっちゃったね」
深く青い海に砂粒を散りばめたような満点の星空の下で、彼女は呟いた。雲一つない美しい空に浮かぶ銀色の球体が、彼女を明るく照らしている。彼女は、何かを諦めたように笑って言った。
僕は、ため息交じりに呟く彼女の姿を見て、その真意を測りかねる。美しいセミロングのまるで墨のような深い黒髪を、粘り気のある風が囁くように撫でていた。
「大丈夫だよ、何とかなる……」
「えっ?」
「歩けば、何とかなる」
僕は勇気を出して、彼女に僕の思いを伝える。誤魔化さず、誠意を込めて。彼女を帰さなければならない。
「本気で言っているの?」
彼女は不機嫌そうに表情を変えて、僕に質問をする。壊れそうなガラスを扱うように、冷たい空気を切り裂くように伝わる彼女の声。
「本気だよ」
「バカにしないで」
僕の人生で知りうる限り、最も誠実に彼女の問いに答えた。
だが、まるで静かに冷え固まった霜のように、彼女の表情が冷たく固まる。
「こんなの、どうにもならないわよ」
「それでも、歩くしかない」
彼女は悔しそうな顔をして、涙を滲ませた。
「なんで、そんな事を言うの……」
僕は彼女に返す言葉がなく、口を噤むしかない。彼女を慰めるような言葉も、気が利くような優しい言葉も、今は何の意味を為さないのを知っているからだ。
「無理よ!」
彼女の諦めたような怒号が、僕の頬をぶつ。どうにもならない。そんな彼女の気持ちが、痛いほどに伝わってくる。
「それでも歩いて行くしかない。僕は行くよ……」
「待って、待って!」
彼女は、まるで雲に隠されたような月のような儚げな表情で、僕を引き留めた。僕には、深い奥底に沈めていた彼女の秘めたる気持ちが膨張しているのがわかる。
「もう、いいじゃない……。助けなんて来ないわ」
グシャグシャにつぶれた銀河鉄道の車両の一両にもたれかかって、彼女は呟いた。彼女の美しい髪は、黒く塗られていた車両の一部に吸い込まれたように溶け込んでしまう。脱落した浮遊車輪装置は無残に変形し、綺麗に塗装された外装も見る影はない。空高くから堕ちた銀河鉄道列車は、もう走り出す事はない。
「歩けば、助けを呼ぶための緊急連絡装置を見つけられるかもしれない」
僕は、最後の希望を伝えた。それが、唯一彼女の助かる道だ。
「ダメ、ダメよ! 貴方が死んでしまうわ」
僕らが不時着したこの惑星は、夜はとても冷え込む。車両の傍は、列車のエネルギーと暖房システムがあるので、凍える事はない。でも、車両から離れていけば……
待つのは凍えて死ぬ運命のみ。
それに列車のエネルギーも有限だ。
「僕は、君と未来を生きたいんだ。そのために助けを呼ばないといけない。車両からこぼれ落ちた連絡装置をみつけさえすれば、銀河鉄道救助隊が僕らの事を探してくれる」
僕は、僅かな希望に縋って。可能性を信じて言った。自分の勇気が無くならないうちに。彼女は連れていけない。僕が一人で探すしかない。
「いいえ、無理よ。地球の数倍大きな質量をもつこの惑星から、連絡装置を見つけるなんて不可能よ。それに救助隊だって、居場所の分からない私達を見つけるなんてできないわ。この惑星は広すぎるもの」
彼女のいう事は至極真っ当な事だった。緊急連絡装置を僕が見つける事は現実的ではなく、それを使えない僕らを銀河鉄道救助隊が見つける事は不可能だ。
「ねぇ、貴方が銀河鉄道の旅に招待してくれた時、私はとても嬉しかったの。ついに貴方と結ばれるんだって。無事に旅を終えたら、きっと素晴らしい思い出なったんでしょうね」
彼女は僕の事を真っすぐと見つめ、儚げに笑った。
深い深い青色の空に浮かぶ月は、ただただ僕らを照らしている。この瞬間だけを切り取れば、いかに僕らが神様に祝福されているかが分かったはずだ。
「私ね、この貨物車には上等なワインや甘いケーキが詰まれているのを知っているわ。私をエスコートするために用意したものでしょう。銀河鉄道の旅を演出する素敵なディナーを、私は楽しみにしていたわ」
まるで、海で溺れて藁にも縋る様な彼女の声。叫び続けなければ壊れるような心の悲鳴。それが僕の心を、鋭利に突き刺す。
「だから、私とこの中で過ごしましょう。二人で、狭い車両の中で寄り添って生きるの。車両内に残ったご馳走で乾杯したら……」
「僕は!」
「ねぇ、貴方は甘いお菓子は嫌いかしら? 私はきっと、ケーキのように甘いわよ。ここで一緒に過ごしてくれるなら、私は貴方の心に溺れてしまうわ」
彼女の言葉は、全て真実だろう。美しい青空も、壊れた貨物車も、どのように表現してもありようは一つだ。きっと、外に出ても絶望しかない。それでも僕は彼女の為に、心を奮い立たせる。
「ダメだよ、それは……」
「私ほど、甘い女はいないわ。きっと、蕩けるように甘いの。それで喉が渇いたら、私で潤せばいいの。ねぇ、私は女なのよ」
彼女の甘い声が、僕を誘惑する。そうだ、分かっている。ここからどこかへ歩いても、緊急連絡装置は見つからない。でも、それでも彼女が生きてくれさえすれば……
「それでも僕は……」
「もう、いいのよ。強がらないで」
僕の唇を、柔らかい彼女の唇が塞ぐ。甘くて、甘くて。目が眩み痺れそうな程の快感が僕を襲った。マシュマロのように柔らかで上品な感触。優しく包み込むような、ふわふわとした感覚。彼女のまるで僕の全てを吸い込こんでしまうほど美しい瞳に射抜かれてしまう。
「二人は幸せに人生を閉じるの。ねぇ、そんな恋。いや愛かしら。とても素敵だと思うわ」
「あぁ……」
「今日の貴方、カッコよかったわよ。でももういいの。私の心は貴方のモノだわ」
気が付けば、僕達は手をつないで、寄り添っていた。照れくさそうに笑う彼女と乾杯をした。輝いて弾ける星々の泡立ちが、儚く立ち消えていく。そして僕はゆっくりと歩み寄って、月光に照らされた彼女に触れた。
どれくらいか分からない。だけども僕たちは確かに、お互いを確かめ、愛を囁きあった。
もう、時間は残されていない。車両のエネルギーはとうにつきた。
そして幸せを優しく撫でるように、白雪が降りしきる。
「ねぇ、幸せだったわ。銀河鉄道事故に遭遇してしまったけど、こうして貴方と深く触れ合えたもの。私達の相性は抜群よ。きっと、これ以上幸せな人生はないわ」
「僕も、そうさ。君を感じられて、触れられて、奇跡のような人生に違いない」
僕と彼女は死の間際まで幸せだった。
「もう終しまいね、愛してる」
「あぁ……、僕も愛してる」
深々と降り積もる白雪が、銀河鉄道列車を覆いつくした。
◇◇◇
◇◇◇
僕がVRゴーグルを外すと、視界には見慣れた光景が飛び込んできた。目の前には、高級コンピューターと、VRゴーグルを外した彼女の姿だ。
彼女は僕の事を見ると、顔を上気させて微笑んだ。
「この『銀河鉄道の夜』っていう映画は面白かったわ。今の新しい機械ってすごいのね。映画の主人公とヒロインになって、そのまま体感できるなんて! まるで現実の様だったわ」
「僕も没入しちゃったよ。面白かった。それにヒロインの君といるととてもドキドキしたよ」
「私もよ、貴方、カッコよかったもの。命がけで私を守ろうとしてキュンとしたわ。でも、最後は私の魅力に抗えなかったみたいね」
「そういう君こそ、僕が一人で助けを呼びに行こうとしたら寂しがってた」
僕たちは顔を見合わせて、お互いくつくつと笑った。
気がつけば、時計の針はもう零時を回ろうとしている。
だから彼女は時計に視線を送って……、色っぽく微笑んだ。
「終電、無くなっちゃったね」
(了)
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