4-1 「魔と聖」
「どいてくれ、エマ!! 俺は魔王のもとに連れ去られた人達を助けないといけないんだ!!」
その言葉を無視し、エマは《魔導銃》をシャドウに向けたまま問う。
「シャドウくん、〈スプリガン・コート〉は持ってる?」
「? ああ持っているが―――」
シュッと光が走り、シャドウの足元が焦げ付く。
エマが発砲したのだと、シャドウは遅れて気付いた。
「どういうことだ、エマ!! 今は悪ふざけを―――」
「シャドウくん、あなたが囚われた人達を助けたいように、私にも救いたい大切な人がいる」
「だったら、なんで―――」
「私はこれから魔王の城へ行く。そのために私は一時的に存在を消すことができる〈スプリガン・コート〉が必要なの」
「だったら、なおさらじゃねえか。俺と一緒に魔王の城へ行けば―――」
「いい加減に気付いてよ!!」
急に大声を出したエマにシャドウがびくりとする。
「私はついこの間まで男を騙して金貨を奪い、そのお金で装備を強化し、自分を強くした。全ては世界でたった一人の妹を救うため。でも、あなたと出会って、自分のやってきたことの間違いに気付いたの。そう、あなたは私にとって恩人なの!! それに、あなたは私より弱い。魔王の城なんて行ったら、確実に死ぬの! 私はあなたに死んでほしくないの!!」
エマは胸の内をシャドウにぶつけた。
自分にとって恩人であるシャドウを死なせたくない。
死の危険にさらされるのは自分だけでいいと。
「分かったら〈スプリガン・コート〉を私に渡して。あなたの大事なものかもしれないけど、私からしたら、あなたが死ぬことよりも何倍も増しだわ」
エマは本気だ。
自分の命をかけて、誰かを救おうとしている。
だが、シャドウは―――
「断る」たったそれだけで切り捨てた。
「お前は俺にとって大事な仲間だ。仲間のためなら俺は命を―――」
「・・・・・・もう言葉はいらないわね」
エマはまっすぐに《魔導銃》を構える。
「おい、エマッ!?―――」
「【雷精よ】―――」
瞬間、極小の光の矢がシャドウの腹に命中した。
「ぐふッ!?」
体中に電気が走る。そのまま倒れこむ。
意識はまだ安定している。だが、それも長く続かない。
「どうして、避けなかったの・・・・・・」
そんないまにも泣きそうな声が声がシャドウの耳朶を震わす。
背中のバックパックの中からするりと漆黒の外套が奪われていく。
おい、まてよ・・・・・・と声を発しようとするが、喉の筋肉が麻痺しているためか、上手く言葉に出来ない。
狭まる視界の隅で、亜麻色の髪の少女がこちらを見下ろしている。右手にはシャドウを撃った凶器、左手にはシャドウから奪った漆黒の外套を持って。
目には涙を浮かべている。
(何で泣いているんだよ・・・・・・俺はそんな顔を見たくねえのに・・・・・・)
エマが漆黒の外套を身に纏う。
その瞬間からエマの姿は暗闇に溶け込むように消えた。
(俺はなんで、こんなにも―――)
『嘘つき』なんだ。
世界が闇に包まれる。
◆◇◆◇◆
鼻をつく珈琲の香り。シェイカーを振る音。
シャドウは見慣れない天井を見上げていた。
「ここは・・・・・・」
「おう、やっと起きたか」
声のする方へ首を向け、声の主の顔を見る。褐色の肌にスキンヘッドの巨漢。
「マスター・・・・・・」
シャドウは痛む体を無理矢理起こし、喫茶店兼バーの店長に尋ねる。
「マスター、エマは? エマは見なかったか!?」
「エマだと? 一体何があった?」
シャドウはエマとの間にあった出来事を話した。
エマがシャドウの魔法道具を奪ったこと、妹を救いたいと言っていたこと、そして苦しそうに泣いていたこと。
話し終えて、シャドウは再び立ち上がる。
「俺はいまからエマを止めに行く。だから、マスターは―――」
「やめておけ・・・・・・」
「どうしてだよ!! あのままだとエマは死にに行くようなものだぞ!!」
「どうしてそう言い切れる?」
「う、それは・・・・・・」
マスターはシェイカーを置く。気まずい沈黙が二人を包み込む。
「お前はエマのことをどれだけ知っている?」
どこか重々しそうにマスターが口を開く。
シャドウは思考を回転させ、出会って一週間も経っていない亜麻色の少女のことを思い浮かべる。
ソロの冒険者であること。レアな【魔障壁】が使えること。そして、『賢者の刻石』を手に入れることに強く執着していること・・・・・・。
「『賢者の刻石』・・・・・・」
マスターが少し驚いたように目を見張る。
「なんだ、聞いていたのか・・・・・・」
「マスター、知っているのか!? エマがそれに執着している理由を!!」
数秒おいて「はあ」とため息を零し、マスターはいつものように珈琲を淹れ始める。
少し天井を見上げた後、褐色の肌の巨漢は自らの過去を語り始めた。
「三年前まで俺は、拷問師をやっていた。依頼を受けたら、他人を痛めつけて、情報を吐き出させ、出た情報を売って生計を立てるような日々だった」
「・・・・・・」
「他人をいたぶる声を何度も聞いて、人としてネジが取れた俺は、他人を傷つけることが正しいことなのだと、そう結論付けていた」
馬鹿な話だよなあ、と元・拷問師の男は自嘲気味に笑う。
「そんで、そんな裏社会の危険な仕事に手を染めていた俺は、三年前にあいつ、エマに出会った。拷問をする対象として。依頼人からは『騙されて金を奪われたから、調教をして「商品」に仕上げるように』と依頼された。そんな汚れ仕事は俺にではなく調教師に頼めよと本気で殴りかかりそうになったな、あの時は」
元・拷問師は無理矢理にでも笑って、この重苦しい空気を払拭しようとするが、シャドウの真剣な表情がそれを許さない。
「・・・・・・で、エマを捕まえ、椅子に縛り付けたところまではよかったんだが、その後が困った。なんせ拷問されるやつの多くは男だったからなあ。女を拷問することは初めてだったんだ。歯を全て引き抜くか、爪を全て剥ぐか、或いは指の先から一ミリ単位で切断していくか。服を引き裂いて、鞭で体中を打つという選択肢も入れていたが、そんなことをしたら、俺が女のいたぶる声を聞いて、愉悦に浸るただの変態に成り下がってしまう。だから俺は最終手段に出ることにした」
「最終手段?」
「ああ、この国で禁忌の薬とされている〈誘導薬〉を使うことにした。飲んだ者を意のままに操ることが出来るクソったれな薬をだ」
「ッ!!」シャドウの脳裏に先日、オリヴィアに飲まされそうになった記憶が蘇る。
「その様子だと、それがどれだけ恐ろしい薬か知っているらしいな」
「ああ、嫌というほど知っている」
「ここからさらに重い話をする、だがその前に」そう言って、元・拷問師の男は作り続けていた珈琲をシャドウの前に置いた。
「それを飲んでくれ・・・・・・」
「あんたが元・拷問師と知って、さらに〈誘導薬〉を使っていた過去を俺に話しておいて、俺が素直に美味しいと言って、珈琲を口にすると思うか? この珈琲には〈誘導薬〉が入っている、そうだろ?」
元・拷問師はシャドウの言葉に目を丸くする。どうやら当たりらしい。
「気付いていたのか? 俺が珈琲の中に〈誘導薬〉を入れたことに?」
「まあな。俺はあんたが珈琲を作るところを三度見ている。一回目はエマと共に初めて訪れた時。二回目はエマに騙されて寝起きの俺に珈琲を出してくれた時。そして三回目は昨日、エマとともに夕食をここで食べた時。あんたは今さっき、この三回の淹れ方と一つ違う方法で作っていた。小さな小瓶の中身を珈琲の中に入れるのを俺は見逃していない。珈琲は同じ作り方じゃないと、美味しいものはつくれない、そうだろ、マスター?」
肩をすくめ、完敗だと言わんばかりにマスターは苦笑する。
「だが、だからどうする? 俺はお前がなんのために、エマのことを知りたいのか、その心意が知りたい。上辺だけを繕った綺麗事より、聞こえがいいだけの偽善より、お前の中にあるエマを助けたいという気持ちを」
「どうしてそこまで、エマのことを・・・・・・」
「それは、この珈琲を飲んだ後に話そう。この珈琲―――〈誘導薬〉を飲ませてお前の心意を聞く。この薬の前ではどんな嘘も通用しない。あらいざらいの本音をぶちまけることになる。お前が出す答えによっては、お前に死ねと命令する」
マスターは本気だった。意志の強い目はエマが自分にとって、どれだけ重要な存在なのかを物語る。中途半端な覚悟で出す答えは全て握りつぶす勢いだった。
目の前に置かれた珈琲の一杯。ただそれだけが異様な重圧を放つ。
(それでも俺は知りたい。エマが見てきた過去を。感じてきた世界を)
「マスター、俺がこの賭けに勝ったら、エマについての話を聞かせてもらう。俺が覚悟もないクソな答えをだしたら、俺を殺していい。この条件でいいな?」
「ああ」と短く答え、マスターはシャドウを見る。
そんなマスターの死角―――テーブルの下でシャドウはポケットから小瓶を取り出す。
(これは賭けだ。俺の命とエマの過去の話を天秤にかけた。だから―――)
小瓶のふたを開け、マスターが目を離した一瞬に、小瓶の中身を飲み―――
(俺に力をかしてくれ、イリスッ!!)
机の上の珈琲を口にした。
次の瞬間、あふれ出てくる倦怠感。重くのしかかる圧力。視界が狭まる不快な感覚。
(負けてたまるか―――ッ!!)
体の中で〈誘導薬〉とイリスから昨夜渡された〈万能回復薬〉が争っている。
じわじわと体を睡魔に惑わす『魔』と優しい暖かさを感じさせる『聖』。
二つが融合し、ぐるぐると体中を駆け抜けそして―――。
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