愚者の理論
「ワタシは部外者ですわよ? こんな情報、漏らして大丈夫ですの?」
「そうだね。兄様からは誰にも言わないように言われている。だけど私は君たちの事を信用しているんだ。兄様もこのことを許してくれているよ。
それで、君たちには相談に乗ってほしい。私はこれからどうすればいいか。何をしなければいけないのかを」
帝国からの命令を聞いた翌日。ローラはドレスを身に纏い、貴族令嬢としてマキ達に会いに行った。
マキとウォルターはローラの護衛なので公爵邸の一画に部屋を与えられており、会いに行くのは容易だ。以前ガルフから貰った家は完全にお荷物状態となっているが、状況が状況なので仕方がないと言える。
貴族のローラが一般人扱いのマキに相談するのは型紙破りであまりいい事とは言えない。
しかし姉のローザと違い、ローラにはこういった事を相談できる貴族の知り合いが少ない。マキはかなり大きな貴族に仕えるメイドと思えたので、ローラが相談するには適任と思えたのだ。ウォルターはオマケでしかないので空気なのだが、一応一緒にいる。
なお、相談することが許可されている理由はマキの身辺チェックの意味合いが強い。一般公開する情報と秘匿する情報を分け、更に秘匿情報を伝えていい相手ごとに内容を僅かに変え、その流出具合によって各自の情報セキュリティ評価を行う訳だ。マキにだけ流した秘匿情報が洩れたらマキの責任になる。裏切り者をあぶりだす典型的な手段だ。
ローラは言った。何をすればいいか分からないと。
現状は帝国とチランの間に埋められない溝が存在し、完全に敵対路線となっている。ただでさえ余裕がないところに発生した問題は、メルクリウスをはじめチラン側の人間を激怒させた。
冷静になったところで帝国側からの要求を呑むわけにはいかず、どのみち妥協点を見出すことはできない。
しかし、帝国と決別するとしても問題が無いわけではない。
チランは大都市であるが周辺との交易をおこなっている。これまでは同じ帝国内部の取引であったが、これからは他国との取引になる。喧嘩別れした相手とこれまでと同じようにできるはずもなく、経済的な打撃は無視できない。
また、元々他国であった隣国、コルボート王国との関係も変化する。帝国と敵対路線をとる国と仲良くするという事は、王国もまた敵対路線をとるという事である。それを受け入れてくれるのであれば良いが、まずないだろうというのが現在の見解である。
なにより、民の感情がどうなるかが分からない。今までエアベルク公爵家は善政を布いてきた自負がある。だが、ここまで大きな変化をもたらせばどう転ぶか分からない。人こそ国の財産だ。
一番の不安材料は、帝国から独立するという流れを今まで考えていなかったことだ。
人間の恐怖とは、既知の物より未知の方がより恐ろしい。既知の恐怖は想像できるし、対策もとれる。しかし未知の恐怖にはそれができないため、どうすることもできない。
漠然とした願いを抱くこともできず、ローラは完全に足を止めてしまっていた。
マキは与えられた情報から相手の考えを類推する。
とはいえ一般人の持つ情報から考え付く範囲なので、ローラから情報を引き出すために口に出しつつ思った事を口にする。
「聞いた限りでは、チラン領の独立が前提条件ですわね。あえて受け入れ不可能な要求を突きつけたとしか思えませんわ。
そうなると、チランが帝国内に組み込まれていることが不利益を発生させるという推測が成り立ちますけど」
マキは一旦言葉を区切り、ローラの反応を窺う。
ローラは意見を求められていると分かり、自分なりの考えを言う事にした。
「……最近のチランは活気付いているし、税収も右肩上がりだ。これは帝国に収める税の増加も含まれるから、経済的な面では独立させる方がデメリットが大きいと思う。
それに帝国唯一のランク8ダンジョンを抱えているんだから、それをアテにした面もあるはずだ。デメリットばかりが目立つよ。
他には……食料輸出の問題がある。チラン近辺の貴族領の中には食糧問題を抱える都市がいくつかある。チランに依存しているようなものだし、気軽に交易が出来なければ周辺への悪影響は無視できない」
ローラはメルクリウスほど政務に携わっているわけではないが、それでも一般人より全体を見ている。社交界に顔を出すこともないわけではなく、周辺貴族の情報にも明るい。持っている情報の中からパッと思いつくことをピックアップした。
マキはローラの話を聞き、だいたいの事情を察する。帝国上層部がなぜチラン切り離しを画策したかおおよその予想が出来てしまった。
「つまり、チランは安泰ですわね。切り捨てたがる訳ですわ」
帝国へ多くの税を納め、周辺貴族を支え、オンリーワンの交易品を持つ。
マキはガルフの情報を集めた事がある。彼が貴族子弟だけでギルド運営を行っている情報から、周辺貴族との関係は良好で取り入りたがる者が多いと推測できる。
そこから予想される未来は一つである。
チランが、帝国内で最も栄える都になる。そして帝都に取って代わるという未来が。
要するに、帝都の貴族がチランを恐れているという事。今回の騒動は方便で、ただ利用されただけ。
自分たちが一番でなければいけないという虚栄心が暴走した結果であったと。
あまりにくだらない、愚者の暴挙にマキは頭が痛くなるのを感じた。




