ホムンクルス・カーディアン
アルがいなくなった後、ウォルターはノロノロと体を起こした。
何とか動けるところまで回復したのだが、アルが突然いなくなったことに頭が追い付いてくれなかったのだ。
目的も無く徘徊するゾンビのようにフラフラと、それでもどうにか家までたどり着き、ドアを開けた。
「お帰りなさい、ウォルター様」
ドアを開けた先には、メイド服を着た美少女が立っていた。
肩まで伸ばしたストレートの銀髪を持つ、人形を思わせるほど整った顔立ちをした少女だ。肌は白く、シミひとつない。声は鈴のように響き、聞くものに心地よさを感じさせる。ただ立っているだけであるが、その所作は洗練されていて、上品さを感じさせる。一般人の中でも下層に位置するウォルターでは品の良さというものはよく分からないものでしかないが、それでも自分の家には場違いな、上流階級の人間だと思わせるものがあった。
胸と言うかバストと言うか乳と言うか、ごく一部が貧しいものの、完璧と称してもよさそうな美少女である。そんな見知らぬメイド少女が、笑顔で自分を出迎えた。
ウォルターは何かの見間違い、もしくは道に迷って見知らぬ誰かの家に来てしまったのだと認識した。一度ドアを閉め、自分の家であるかどうかを確認する。自分の家であると確信したらもう一度ドアを開け、
「お帰りなさい、ウォルター様」
目の前にいる少女を見間違い、幻覚幻聴の類と判断した。
メイド少女を完全に無視してウォルターは椅子に腰かける。
「はい、先ずは体を拭いてください。それとも、ワタシがお拭きしましょうか?」
ウォルターに無視されつつも、メイド少女は世話をしようとタオルを差し出す。
そこまでされて、ようやくウォルターは現実を受け入れる。差し出されたタオルを受け取り、無言で自分の身体を拭く。
身体を拭き終えたあと、拭ったタオルをメイド少女が回収する。そこでウォルターが「ありがとう」と声をかけると、メイド少女は破顔した。
「まず、自己紹介が必要だと思うんだ」
気を取り直したウォルターは、廻るましく変わる現状に翻弄されつつも、どうにか自分のペースを取り戻そうとする。メイド少女と向かい合うようにテーブルを囲み、話し合いの場を設けた。
メイド少女は一度椅子に座ったものの、すぐに席を立って頭を下げる。
「失礼しました。マスター・アルヴィースよりウォルター様の教育・護衛を任されましたホムンクルス・カーディアンのマキと申します。以後、よろしくお願いしますわ」
スカートの端をつまみ、流れるような動作で頭を下げたメイド少女、マキ。
マキはニコニコと微笑んでいるが、ウォルターには全く状況がつかめず困惑する。マキがどこから来たのだとか、ホムンクルス・カーディアンとは何なのか。同じ言語で喋っているにもかかわらず、全く言っていることが理解できなかった。
その後、ホムンクルス・カーディアンとはアルが顕現魔法で作り呼び出した魔法生物であること、今後魔法関係の教師として必要な知識を与えられていること、今のウォルターでは何をやっても勝てないほどの戦闘能力を与えられていることが説明された。なお、一回呼び出してしまえば、あとは自力で周囲から魔力を吸収し、自身を維持できるといった機能まである。人間とさほど変わらない思考能力を持ち、補給すら不要の超戦闘能力保有モンスター。それがホムンクルス・カーディアンである。
なお、ホムンクルス・カーディアンを召喚するような高度な顕現魔法はこの世界に存在しない。これはアルのオリジナルであり、「世界にたった一つの魔法」と言っていい魔法である。封魔札という固定概念にとらわれたままでは、魔導書を魔核の代わりにするなどという発想は出てこない。いや、封魔札で呼び出したモンスターに核を与えるといった発想すら出てこないだろう。結果として持っている魔力供給不要の自律能力すら再現できない。それが「普通」である。
ある程度噛み砕いた説明を聞いて、ようやくウォルターは現状を理解する。ただ、理解できたのは現状の一面でしかない。マキの特異性については、自身の勉強が足りないから知らないだけと誤解している。よって、それを秘密にしようという発想すら出てこない。マキの方も常識が自分基準になっているため、世間一般とは大きくかけ離れた認識でいる。
二人とも、世間知らずであった。
一通り話が終わると、マキはウォルターにロウで閉じられた封筒を差し出す。
「マスターより、ウォルター様へのメッセージですわ。中身はワタシも知りません」
この時ばかりはマキの顔から笑顔が消え、神妙な顔をしている。
ウォルターは慎重な手つきで封を開け、手紙を取り出した。
『親愛なる我が弟子、ウォルターへ
君がこの手紙を読んでいる頃には、僕はもうこの世界にいないだろう。元の世界からの迎えが来て、その手を取った後だと思う。
ウォルターをこの世界に残していくのは、決して君の事を嫌いになったからではない。ただ、連れてはいけないという事実があるだけだ。もしも連れていこうとした場合、君は確実に死ぬ。一度命を救われた身としてはそのような事を容認できるはずも無く、防ぐ手立てを思いつかない以上、置いていくしかないんだ。
僕には向こうに残した家族がいるし、護るべき領民たちがいる。こちらの世界にいつまでもいることは出来ない。旅立つ僕を、どうか赦してほしい。
さて、この手紙が君のもとに渡ったという事は、マキと顔を合わせたという事だね。
彼女は僕が残していくアイテムの管理とその使い方の説明に役立つようにと作り上げた、人の手で作り上げた新たな命だ。顕現魔法を用い、魔導書を核とした新しい種類のモンスターと思ってもらえればいい。
顕現魔法の可能性を切り拓いていけば、いずれウォルター、君にも到達できるステージだ。僕はこれを目標の一つとし、精進してほしいと思っている。精霊魔法や生命魔法を教えていったが、君が今まで支えにしてきた顕現魔法もまた、多くの可能性を秘めているからだ。既存のイメージに囚われることなく、広い視野を持って見直してほしい。
最後に。
マキの外見は固定化された情報で構成されている。書き換えは可能だが、それにはウォルター君の努力が必要だ。もし彼女が自身の姿を変えようと願えど、成長した君の協力がなくてはそれが叶う事は無い。
よって、彼女自身の願いの為、顕現魔法の勉強は熾烈を極めるだろう。
生き残ってくれ。
それが僕の願いだ。
アルヴィース=エンドーヴァー』
手紙は、マキも並んでのぞき込んでいた。
前半から中盤までは良かった。ウォルターは少し涙ぐみ、鼻を鳴らしてしまう程度に。
だが、最後が不味かった。ウォルターに対する宿題として顕現魔法を極めるようにと書いてあったのだが、
何か恐ろしい気配を感じ、ウォルターはゆっくりと首を動かし、隣にたたずむマキを見る。
マキの表情は、無色。能面のように感情を感じさせない無表情だ。ただし、全身から立ち上るオーラが見えるほど、ウォルターはマキに鬼気迫る何かを感じた。ウォルターの本能が、警報を鳴らす。
しばらく固まっていたマキだが、その体が徐々に震えだした。ウォルターは全力で逃げ出したい気分になったが、体が竦んで動けない。
「う、うふふふふふふ」
突然、マキが笑い出す。ウォルターはすでに涙目だ。逃げる事もできずに震えるしかない。
ウォルターには女性が胸にこだわりを持つという事が理解できていない。対人経験の少なさが、現在のピンチがどんな理由からもたらされるのかを理解させてくれない。
マキはおもむろにウォルターの頭を掴んだ。
痛みは無い。だが、どのように力を入れても外すことができないという掴み方だった。
「ウォルター様、では、お勉強を始めましょう」
地獄の底から聞こえて来るかのような声色。笑顔ではあるが、それは口の端が不自然に吊り上がった狂気の笑み。先ほどまでの美少女ぶりはどこかに消え、般若の顔になったマキ。その眼には狂気が宿っている。
哀れな子羊は頭を掴まれているので自力では頷けないはずだが、それでもコクコクと頭を上下させた。それがウォルターの意思によるものなのか、それともマキが力を入れて無理やり動かしたのか。どちらにせよ、救いが無い。
そのまま勉強の時間となるが、すぐに開始できるわけではない。ウォルターの魔力は回復しきっておらず、教材の類も出していない。まずは準備という事で、マキがせわしなく動いている。
椅子に座ってじっとしているウォルターの耳には、マキのつぶやきが聞こえる。
「ありえませんわ、あの唐変木。女性の象徴を何だと思っているのかしら。いくらマスターとは言え、このような仕打ちを受ける謂れなどあり得ません。もし会うことがあれば、首を掻っ切ってやりましょうか。どうせその程度では死にませんもの、脳みそを吹き飛ばすのもいいかもしれませんわね。ぶち殺してやりますわよ、マイマスター」
ずいぶんと猟奇的な発言だ。
だというのに、マキの表情は先ほどまでのアルカイックスマイルではなく、平常の、ごく普通の表情だ。忙しそうにバタバタしているため、見た目だけなら「仕事に集中している女性の顔」と表現できる。
だが、発言がこれでは表と裏のギャップにウォルターは恐怖しか感じられない。
この瞬間、戦闘能力の上とか下という話ではなく、それ以上の何かによってウォルターとマキの関係は決定された。もちろん、ウォルターがマキに逆らえないという、至極当たり前の関係である。