コルテスカ地下宮殿・地底湖エリア2日目
ウォルターとマキはその晩、鰐の肉を堪能して就寝する。
特に何かあるという事も無く翌朝を迎え、朝食を取ってから再び訓練に入る。
じっとしている迷宮鰐を見付けるのに土の精霊魔法はほとんど意味をなさない。火の精霊魔法なら熱探知ができるのだが、迷宮鰐は水中に潜んでいることも多いため、ほとんど区別がつかない。水の精霊魔法は水中専用で、用途が限定される。基本的に、この状況下でなら心音を聞き取る風の精霊魔法が一番使いやすい。
音を拡大し、ノイズに対する情報の取捨選択を行い、得られた情報から敵を見つけ出す。言葉にすれば簡単だが、実際やっている側、ウォルターにしてみれば何をどうやればいいかも判らず、手探りとなる。いや、手詰まりになりつつあった。
「マキぃ」
「情けない声を出すんじゃありませんわ。シャキッとしなさい、ウォル」
ウォルターが「今度こそ!」と意気込んで攻撃したのがまたハズレで、とうとう泣きが入ってしまった。ハズレの回数はすでにこの日だけで10回を数えてしまったからだ。しかも、戦闘はまだ0回。ウォルターの心が折れかけるのも仕方がないと言えた。
マキは叱咤するが、上手くいかず成功のビジョンが無い状況下で頑張るのが難しいのは、分かる。どうしようかと思案するが、手本を見せるにも視覚的・魔力的な情報だけでウォルターに伝えられるコツでは、この場合あまり意味をなさない。
何かいいアドバイスを、と思案したマキの脳裏に一つの考えが思い浮かぶ。
「そうですわね。では、見本を見せましょう。付いてきなさい」
そう言って、マキは迷宮鰐がいるところに向けて歩き出した。
マキが連れて行ったのは岩に擬態している迷宮鰐のところ。迷宮鰐の感知範囲はおおよそ50mというのが経験則で分かっていたので、100mほど離れた場所で2人は腰を下ろした。
「この近辺にいますわよ。まずは自分で探し当てなさい。もし相手が動いたのならワタシが対処します。感じることにのみ、意識を集中させるのですわ」
本来であれば索敵は移動しながら行い、見付けた敵と戦闘行為に移る事も含めてワンセットで覚えねばならない。だが一度にそこまでさせるより、一つ一つ順番に覚えさせることにしたのだ。あとでそれらを並行してできるようにならないといけないが、このまま苦手意識を持つよりはましだとマキは考えた。
ウォルターは言われたとおり、素直に行動に移る。
もともと風の精霊魔法については問題が無かったのだ。かなり広範囲の情報を入手することができる。そして自分たちが移動中に発生させる音というノイズが減り、歩くときに気を取られる足場の確認といった作業が減ったことで、より正確に情報の分析を行う余裕ができ、何よりマキに守ってもらえるという安心感がウォルターの精神を安定させて最大能力を引き出す。
感知に要した時間はほんの数秒。
ウォルターは迷宮鰐の擬態を見抜くことに成功する。
敵を見付けたのだ、ウォルターはそのまま戦おうと巨大鼠を顕現させようとするが――
「お待ちなさい。しばらく、感知している音に意識を傾けなさい。まずは“見本”をよーく観察して、聞き取るべきものを覚えるところから始めるのですわ」
それはマキに止められた。
マキはせっかくの見本だから、意識せずとも心音を拾い出せるようにと、聞くことだけを求める。
ウォルターは言われた内容を理解し、大人しく腰を下ろした。
「どうせですわ、敵の心音を聞き分けながら、雑談でもしましょう」
それを見届けたマキは微笑み、訓練の難易度を上げるべくお喋りに時間を費やすことにした。
魔法を使い迷宮鰐の心音を聞き分けながらの雑談はウォルターの負担はそれなりに大きく、普通の休憩にはならない。しかし、ウォルターも微笑みを浮かべる程度の余裕を持ちながらそれをこなしていく。
「そういえば、休憩場は使わないんですね?」
「ええ、節約は大事ですわ」
「お金は、大事ですよね」
ウォルターが話題にしたのは、休憩場を使わないことだ。
マキは理由を節約と言っているが、休憩場の利用料金などは迷宮鰐の魔核一つあれば事足りる。維持費は回収せねばならないが、そこまで割高にしては利用客がいなくなる。当然の話だ。だから料金節約を理由にするのはフェイク。
これまで全く使おうとしなかったので意識していなかったが、こうやって休憩するに至ってふとウォルターは疑問に思った。
では、どうして使わないのか。
「それに、ワタシは馬鹿どもの相手なんてしたくありませんわ」
「そうだね。マキには寄ってくるよね」
「これだから下半身に頭のある連中は……」
「あはは……」
本当の理由は、マキが絡まれること。
ウォルターとマキは武器を持たず、防具を身に着けていない。それ自体は、討伐者の常識において珍しい話ではない。顕現魔法を使う者であれば武器などを持たず、魔法に専念することがあるからだ。
顕現魔法の使い手に求められるのは、強力なモンスターを使う事だけではない。周辺を観察し、戦況を見極め、適切な戦力を投入することにある。武器を持てば武器で戦う事に意識を割くことになるし、防具を身に纏えば動きが重くなる。無手で軽装なのは求められる役割に特化しているからであり、そういったスタイルの討伐者がウォルターたちのようになるのは珍しくない。もちろん武器を持った顕現魔法の使い手もいるが、そういった者は魔力に余裕が無く1体使うだけで限界といった、別の理由で兼業しているに過ぎない。
では、そんなマキがどうして絡まれると思っているのか。
その理由は簡単だ。美少女だからである。
戦闘の緊張をほぐすために男たちが求めるのは酒と女の柔肌であり、休憩場ではそれらが常に不足しているから。美貌で目立つマキが襲われないとは言い切れない。
無論、休憩場の中でもめ事を起こすのはご法度なのだが、この狭い世界では顔見知りで実績のある常連の言葉が優遇される傾向にあり、マキたちが割りを食う可能性が高く夜伽を命じられかねない。
全て悪い方に考えた、ただの可能性ではあったが、もめ事が起こる可能性が少なくない以上、警戒して立ち寄らない方がマシだとマキは思っている。ウォルターも野営などは旅の間で散々したし、これまでの生活を思えばマキの手料理がある今の方がずっといいので不満はなかった。
ダンジョンの上層と下層を繋ぐ場所に休憩場はあるので、下層に挑むのなら一度は立ち寄らないといけない。
今回の目的はこの地底湖までだったので問題ないが、ダンジョンの更に先やランク5のダンジョンに挑むのであれば、いずれは通らねばならない場所だろう。
通るときは急いで通り抜けるだけにしようと結論付け、この話は終わった。
雑談をしながらも、ウォルターは迷宮鰐の心音や呼吸を聴き続けていた。軍勢顕現に比べてしまえばウォルターの負担はないと言っていいほどで、何かと並行して情報の抽出をする技術は覚えたといっていいレベルにまで上昇する。
その後、マキが迷宮鰐に動く間も与えず遠距離からの一撃で屠り、再び移動しながらウォルターの索敵訓練が行われた。
ゆっくり時間をかけて聞き分ける音を覚えたからか、ウォルターがハズレを引く事はほとんどなくなった。水中の心音聞き取りを始めまだ不十分なところはあるが、それはこれからの経験で補強されていく部分だろう。
この日はウォルターが見つけた迷宮鰐4体を追加で屠り、合計5体の戦果となる。
翌日の朝から帰還すれば夕方には街に戻る事が出来るだろう。
地底湖の2日目はこうして過ぎて行った。




