異世界魔法使いへの道
ウォルターはアルは腕を治してもらった後、リハビリをメインに頑張っていた。
治してもらった直後は酷かった。
何もないところで転び、森に出ては躓き、荷物を運んでは落とした。
すべては腕の分だけ重量バランスが崩れたからであり、これまで当たり前のようにできたことができなくなってしまったために、森に出て狩りをすることができなくなってしまった。
「まともに動けるようになるのが先だ。今のままでは危ないと、自分でも分かっているだろう?」
助けた相手、アルはそんなウォルターを安心させるように笑い、外で狩りをする。
最初は心配したものの、彼はウォルターを超えるペースで狩りを行い、その優秀さを見せつけた。見たことの無い魔核を何種類も見せられれば、格の違いが分かる。余裕のある年上と言う事もあり、ウォルターにとってアルは師匠ともいえる存在になっていた。
心配は杞憂だったのだが、それはすぐに取り越し苦労と分かる。だがそれでも何もしないというのはウォルターには落ち着かない状態だった。無理もない、この少年はたった一人で、誰の助けを得ることもできずに生きてきたからだ。無償ではないとはいえ、誰かに支えてもらい、その庇護下で生きるというのはウォルターには不思議な感覚だった。
(けど、本当に何者なんだろう?)
森の中を走破するという簡単な運動をしながら、ウォルターはアルについて考える。
自分の知らない魔法を使い、腕を治してくれた人。
討伐者としても優秀で、モンスターを苦ともしない実力者。
血まみれで倒れていたところを助けたのはほんの偶然だというのに、命の恩人と言ってくれた。
ウォルターの知っている人間である町の住人であれば、助けたところで礼の一つも言わなかっただろう。むしろその前の怪我をしたことに対し、非の有無を無視してウォルターを責める者が多数であった。ウォルターに責任があるかは関係なく、ウォルターになら何をしてもいいという腐った考えの人間ばかりだったのだ。
そんな中で生きてきたウォルターは、他人に何かすることが当たり前で、何かしてもらえるとは思っていなかった。
アルが腕を治してくれると言った時ウォルターはその言葉にすがりついたが、それは例外。心に抱えた傷が言わせたものであり、ウォルターを言い表すなら、言葉は悪いが「奴隷根性の持ち主」というのが正しい。
(でも、何者かなんてどうでもいよね。
今度魔法を教えてくれるっていうけど、楽しみだなぁ)
ウォルターは町に住むことを許されず、常に足元を見られ、言われたことに唯々諾々と下を向く日々を生きてきた。
だがアルという外から来た人間がいて、ようやくウォルターも人間らしい考え方を知った。自分以外の誰かに望みを持つという、当たり前のことを考えるようになった。
対等な相手がいるという、他の誰かには当たり前でもウォルターには黄金の価値を持つ事実。それがゆっくりとウォルターの考えを“人間”にしていく。
体だけではない。心のリハビリが行われていくのだった。
今はウォルターが魔法を教え、教わり、互いに支え合う事をしている。
リハビリを理由に町に行かないのもプラスに働いている。
今はこの小さな世界が、彼の全てだった。
「結局、魔力を使っていることには変わらないんですね」
「ああ、呪文はあくまで補助にすぎない。魔力の流れをどこまでイメージできるか、魔法の結果がどんなものかをイメージできるかがカギとなる。慣れてしまえば呪文はいらない。
だが、慣れる前に呪文無しで使えば魔法は失敗するだけだ。
今はとにかく回数をこなして感覚を掴むべきだな
『水よ 高きより低きに流れる者よ 清らかなる汝 その生まれし時の姿を 在りし日の姿を取り戻せ』 ≪純水≫」
魔法使いになる最初の一歩は魔力の知覚。それが出来なければ話にならない。
入門魔法とも初級魔法とも分類される比較的簡単な魔法を実演するアル。
今使ったのは≪純水≫という、水から不純物を取り除く魔法。これが使えるだけで移動時に水を得る手段が増えることになるので、優先して教えている。
他にも教えているが、≪発火≫や≪光源≫といった生活を便利にする魔法を中心に教えている。
アルは時折「じてんしゃ」「ほじょりん」などウォルターには分らない言葉を使うが、そこはフィーリングでなんとか付いていく。
ウォルターにとって幸いだったのは、全く系統が違う顕現魔法も魔力を扱っていた事。
その結果、短期間での精霊魔法と簡単な回復魔法の習得に成功する。
「≪純水≫」
「一週間でここまで覚えるっていうのは、そうとう筋がいいなぁ」
「先生の教え方が上手なんですよ」
「他の連中はここまで物覚えが良くないんだよ」
「あはは……」
一週間。たったそれだけで初級魔法の詠唱破棄までウォルターはできるようになった。
最後の魔法名宣言すら言わずに済ませる無詠唱まであと一歩という高レベルである。
下地があったとはいえ、ウォルターの物覚えの良さにアルは苦笑する。
アルは元の世界でも人に魔法を教えることがあるが、その生徒と比較してもウォルターはずば抜けて優秀だった。
本人は比較対象がないために自覚がないという困った事態になっているが、これから教師役をするかもしれないのであれば物覚えが良く優秀であることに越したことはない。
この世界で新しい技術を広めるのに完成された他の世界の技術を持ち込むこともない。それに、大きい力を持てばその分危険が増す。モンスター相手ではなく、人間相手というウォルターには不本意な形で。
その程度に考えていたアルは魔法の初歩の初歩だけ教え、“生活を少し便利にするが他の技術で代用可能”な魔法だけ教えていく。
そこから先は、この世界の人間が頑張ればいい。
それで話は終わりのはずだった。
「ここまで、ですか?」
「うん。これ以上の魔法は必要ないからね。この世界の他の魔法使いがどのレベルかを正確に把握しているわけでもないけど。強力すぎる魔法を覚えるのは目立ちすぎるし、何より覚えるための時間もない。下手に中途半端な情報を持てばその分、別のリスクも背負わなきゃいけない。中途半端に覚えるのが一番性質が悪いからね。区切りのいいここまでにした方がいい」
お互いが魔法の基本を覚えたところで、アルによるウォルターの特訓が行われることになった。
アルの方は聞きたい情報を一通り聞き終えたのに対し、ウォルターの方はまだまだというレベルでしか魔法を習っていなかったからだ。
しかし、1週間という短い時間を考えればそれもしょうがない。普通であれば促成栽培とまで言われるほどのハイペースで詰め込んでいるが、魔法の深奥、アルが使った≪再生≫級の魔法を会得したければ、素人であれば才能があっても数年は修業が必要というのが相場である。それを1週間や2週間で済ませようというのが無理な話なのだ。
アルは自分がこの世界にいる期間を1~2ヶ月と考えている。現在は2週間経過したところ。残りわずかなその間にどこまで教え込めるかアルは考える。
「でも! 僕の腕を治してくれたあの魔法、あの魔法を覚えて僕みたいな理由で虐げられている人を助けたいんです!」
「他人に君がそういった魔法が使える人間だと知られるだけでかなり不味いんだけどね。そもそも≪再生≫を覚えることが不可能として。それなりレベルまで魔法を覚えるだけでも相当無理をする必要があるよ? 生きるか死ぬかの直前までやる事になるけど……その覚悟は、あるのかな?」
「それでも構いません! よろしくお願いします! 僕に魔法を教えてください!!」
魔法を学ぶ前に、短期育成コースでは険しい道となることをアルは説明する。ついでに、それだけやっても基礎の基礎、中堅どころにはなれず、目指す上級への手がかりしか掴めないことも。覚えた後の保身についても考えてもらわなければいけない。ウォルターには危機意識が無さすぎるとアルは眉をひそめ、反対する。
だがウォルターの決意は固く、それでもお願いしたいと頭を下げる。
助けられた恩があり、それだけの理由でもアルには教える義務が生じている。アルは何度か考えてみたが、実際にやってみて、心が折れるまでは付き合おうと不本意ながら決めた。最後まで責任を持って教えたい相手だけに、中途半端を嫌った部分もあったがウォルターが粘り勝った形だ。ただ、手抜きはしないと、それだけは譲らずに行こうと考えた。
「はぁ。身の振り方は後で考えるとして。魔法使いの促成栽培コース1名様ごあんな~い」
「ありがとうございます!!」
深く頭を下げるウォルターを見て、たぶんこの子は折れないんだろうなと、アルは頭を抱えたくなった。
「水精霊魔法ができれば飲み水に困る事が無いし、風の精霊魔法ができれば熱さや寒さへの耐性が付く。意識しなくても普段から精霊を傍らに置くイメージだね」
「回復魔法を使うときは元の状態を思い出しながらやる事。まずは万全な自分をイメージすることから始めようか」
「ほらほら、ちゃんと強化しないと追いついちゃうよ? 追いつかれたら罰ゲームだからね?」
こうしてアルによる本格的な魔法講義が始まった。
アルは各属性の精霊魔法の初歩と回復関係の魔法、そして身体能力を強化する魔法を教える。
精霊魔法――地水火風の基本4属性に光闇雷氷を含む計8属性の魔法――は応用範囲が広く、使いやすい。基本さえ覚えておけば後はイメージ次第でどうにでもなるので、向こうの世界では初期に学ぶ魔法として一般的である。
そしてソロで動くかどうかに限らず、回復魔法の使い手は戦闘職に重宝される。軽い怪我すら油断できないソロ討伐だけでなく、パーティに一人は押さえておきたいのが回復魔法だ。魔法に限らなくてもよいのだが、魔法薬類の作り方を今から覚えるよりは効率が良かった。
最後に身体能力強化の魔法は単独行動をするときには必須と言っていい魔法である。主な利用方法としては“逃走”であり、戦ってはいけない後衛職の人間は速度強化系の身体強化が必須というアルの常識に基づく選択だ。次点で知覚能力と認識能力を向上させるタイプの魔法も覚えていくことになるのだが。
多少乱暴ながらも実践で学ばせるアルの方法は、まともに学校などで学んでこなかったウォルターにとっては分かりやすいものだった。
親から文字を学び一通りの読み書きができるウォルターでも、教師から机上で学ぶやり方は慣れていない。
結果としてハードなやり方をアルは選択しているわけで、簡単な基礎知識を口頭で教えた後は「できなければ死ぬ」と思うような方法でウォルターに魔法を詰め込む。
そうやって体力と魔力を限界まで使わせて、基礎ごと能力を鍛えているのだ。
大気中の水分を集める≪集水≫の魔法を覚える前には水断ちをしてカラカラにし、
回復魔法を使う対象は自分の体、わざと怪我をしてそれを治させ、
身体強化をしなければ絶対に追いつかれる鬼ごっこで捕まったらさらにしごかれる(という建前で本当は捕まらなくてもしごきはキャンセルできない)毎日を何日も繰り返す。
その間の生活費はアルが稼いでいるのだが、ウォルターにしてみればいつモンスターを狩って、いつ町で換金や買い物をしているんだろうという疑問がわきかねない生活をしている。
ただ、訓練中も訓練後もそんな事に気を回す余裕がなくなるまで特訓が行われる。
自分から志願した事もあり、ウォルターは愚痴一つ漏らさない。
愚直にアルを信じて教えられたことを学ぼうとする。
その真っ直ぐさで、乾いた土が水を吸うかのように教えを吸収していく。
人間の限界とは、住んでいる世界によって決まる。
温い世界にいればその世界で生きていける程度の能力しか身に付かない。
これまでランク1のダンジョンで小銭を稼いできたウォルターは、それを歯牙にもかけないレベルのアルに鍛えられることで大きく認識を改めていく。
常識を大きく塗り替えていくウォルターではあったが、当の本人は意外と気が付かないものだ。
こうしてウォルターは人外レベルまで突き抜けた師を得て大きく道を踏み外したわけだが、本人がそれに気が付くのは全ての特訓を終えた後であった。




