魔法実験
アルことアルヴィースは、元いた異世界において魔法使いとしては名前を知らぬものなどいないと言われるレベルの大魔法使いである。
そして各種マジックアイテムを生み出す生産者でもあった。
そんな彼が異世界にやってきたのだから、その世界独自の魔法に対して興味を持つのはある意味当然の流れであり、その技術を吸収するのは彼にとって常識であった。
アルは最初の一週間で【顕現魔法】の基礎をすべてマスターし、自力で応用編に突入していた。
それだけでなく1年分以上の生活費なども軽く賄えるだけの生活力を発揮し、細々とした生活用品の作成も行い、更にはウォルターを遥かに超える料理の腕を見せつけ困惑させた。
それでいてウォルターの代わりにダンジョン攻略まで行っているのだから、多忙という言葉では済まないほど働いている。
が、本人にしたらこれは休暇中のお遊びみたいなものである。
一つ一つは本気であるが、遊びにも全力を尽くすという、ただそれだけのことなのだ。
……それに、アルは元の世界の方がさらに多忙だったため、この程度を「忙しい」と形容しないのだった。
この世界、ウォルターの使う顕現魔法とアルが使う各種魔法の根源は、全く同じであった。
単純に技術の進化、その方向が違っているだけだ。そのため、アルがいた世界でできる事はこの世界でもだいたいはできる。アルが試して出来なかったのは、「ステータスウィンドウを開く」事と「アイテムボックスの操作」のみだ。
ステータスウィンドウが使えないことでマップ表示や現状のステータス確認はできなくなったが、こちらは大勢に影響を及ぼさない。それよりもアイテムボックスが使えず中に仕舞ったものがどうなっているか分からないのが痛い。そして各種本気装備が使えない事も、悩みのタネだった。
もっとも、これらの問題全ては気分的な物であり、本気で困ったことになる事はない。
アルの本気が必要な事態とは、世界崩壊の危機ぐらいなものであったからだ。
「顕現せよ、巨大鼠」
アルが呪文を唱えると、手製の封魔札が光り出す。
すると封魔札の上半分に書かれたものと同じ魔法陣が足もとに描かれ、その上に巨大鼠が現れた。
巨大鼠は命令を待つようにアルを見上げ、待機している。
呼び出されたモンスターは大人しいもので、命令が無ければ基本的には動かない。
MPを消費して奇跡を起こす技術であるのには変わりないのだが、この世界の魔法はより儀式的な準備が必要で、汎用性がない。モンスター召喚にのみ力がそそがれている。
(この封魔札ってマジックアイテム、本当に必要なのか?)
アルは作られた封魔札を手に取り、それがどのような効果を持つか確認する。
モンスターの血と魔核を溶かすことで魔力を込めやすくしたインクを使い、図形や魔術文字を書き込む。札に魔力を込めた時、インクの部分により大きな魔力が込められ、それが魔法陣として起動。モンスターの召喚を行う。
魔法の専門家たるアルは、封魔札に魔力を込め、「巨大鼠」を召喚した。この封魔札はアルが自作した物であり、実験用にと用意したものだ。
その結果を見届けてから別の封魔札を手にしてもう一体巨大鼠を召喚した。
(魔核を『喰わせて』強化したっていうけど、これ、より魔力を込めやすくしただけだろ)
魔力の流れを“眼”で追い、入力とその過程、出力を確認する。
(最初から魔核をたくさん使ってみても出来あがりには関係しない。『喰わせ方』が重要ということ。上手く魔核の段階で処理すればもう少し効率が上がるかな?)
アルは呼び出した巨大鼠を札に戻し、今度は魔核を手に取る。
そして同じ種類のモンスターから回収した別の魔核を手に取り、ウォルターのやっていたことを思い出しながら試してみる。
「≪魔核融合≫」
本来は封魔札に対し魔核を喰わせる術式だ。
であるからして、何も起こらない。触媒につかった魔核のみ、消滅する。
「んー」
今度は同じ魔核にモンスターの血をふりかけ、≪魔核融合≫を試す。
結果は同じく、触媒のみが消滅した。振りかけられた血はそのまま残り、封魔札は通常の手順で魔核を融合したときと同じ結果を出している。つまり、無駄。
(ま、この程度ならだれでも試すか)
次はインクに対して同じ実験を行うが、やはり魔核を無駄にするだけで終わる。
他にもインクに既定の量の二倍の魔核を混ぜる、別の種類の魔核を使ってみるなどして思いつくことを試してみるが、どれも成功しない。
(封魔札の図形に≪魔核融合≫の補助術式が組み込まれていると考えるのが自然か。まずは封魔札のパターンから解析する方が先決だな
ウォルター手持ちの封魔札は1種類しかなかったが、彼の父親が遺した封魔札の図形は20種類にも及ぶ。
その中から共通する部分を抜き出し、リストアップ。あとはその部分を適当に書き換えて封魔札を作り、どのように変化するかを試していく。
(お、ビンゴ)
実験で消費した魔核が100を超えた頃。アルはようやく該当部分を見つけ出す。
今度はその部分を単体で書き出した封魔札を作り、魔核単体同士での≪魔核融合≫を試す。
すると、元になった魔核は触媒となった魔核を吸収し、僅かに強化された。だが。
(あちゃー。効率は変わらないか。でも、封魔札の図式をより理解する一歩は踏み出せたわけだ。ま、上出来と言っていい)
最初に期待した結果は得られず、寄り道した分の利益を得たという事はない。
だが、知らなかった知識を一つ蓄え、アルによる封魔札の研究は続けられる。
(魔核を大量に食わせた封魔札が進化するのは、強化の飽和による変質。失敗することがあるのは変質の制御を正しくできていないから。補助用のアイテムを作ればいいか、この程度なら)
(空いたスペースを使って属性を追加することもできるね、これなら。属性の追加による変質は許容範囲内。……これなら逆に変質を加速させる方が面白いか?)
(複数種類の魔核をインクにしても上手くいかないのは、種類ごとに魔力の波長が違うのに、混ざり方が均一にならないから。安定の無さが原因なら、安定させる技術があれば何とでもなるな)
(このモンスターとこのモンスターで共通する部分は召喚されるモンスターのスペックデータか。書き換えて能力を強化するのも可能だな。まるで、データの不正書き換えみたいだ)
アルは自身の魔力を操り、封魔札なしで巨大鼠を顕現する。
巨大鼠は部屋の中を歩き回り、最後にアルの膝の上に載ってから姿を消した。
(経験情報の蓄積まで考えたら、封魔札化するのが最適。一応だけど完成された技術って事か。でも、あとは向こうでも続けられるところまでデータは取れたかな)
たった一ヶ月。
たった一ヶ月であったが、アルは自分が知りたいと思う事を一通り調べ終え、多くの結果を出した。
封魔札の情報解析技術に加え、属性付与、特殊個体の創造、果ては魔核を無視したオリジナル個体の作成方法に至るまで研究を終えている。
大量の魔核を確保できる能力を持ったアルは、他のどこでもやらないレベルの実験を次々に行う。
いや、実際にこういった研究をする機関は国や大手のギルドであれば抱えているのが普通だ。似た様なことは国のお抱え研究機関や大手のギルドでもやっている。
しかし、彼らに知りえないことをアルは知っている。そう、異世界魔法の知識だ。
それらを駆使するアルはこの世界の常識に後ろ足で砂をかけ、無視していく。
ついでに元の世界でできたことをこの世界でもできるようにと代替品を探し出し、各種マジックアイテムを作っているので、設備の面では大幅にアドバンテージがあった。
その全てを結集した結果、この世界の技術者が100年かけても到達できないところまで研究が進んだのだ。
(この世界にいられるのも残りわずか。計算が間違っていなければ、そろそろお迎えが来るだろう。それまでに――)
アルは自分の作った各種アイテムを見て、後悔する。
(残して行くしかないくせに、下手に外にもれれば争いしか生まない物ばかり作った。残されるウォルターの護衛ぐらいは完成させないと不味い)
アイテムボックスが使えないならと、マジックバッグを作った。見た目に反した積載量と、いくら物を入れても重くならない鞄。
腕が千切れようがそれを一瞬で回復させる魔法薬各種。
さまざまな効果を付与された武具。
元の世界の魔法を教授するための魔導書。
そして実験により生み出された、この世界ではありえないモンスターを召喚できる封魔札たちと、それを作ることを可能にする手順書。
いずれも何も考えずに世に出せば、戦争にすらなりかねない物ばかりだ。
それが理解できてしまうがために、アルは安全装置の作成を考える。
ウォルターが悪用するなどと思ってはいないしそういう意味で信用していないわけではないが、信頼しているのは人格面の話だ。彼とて万能無敵であったり不老不死ではない。その死後に適切な管理をするためのシステムを用意すべきだと、アルは考えた。
(んー。あとで少年にも再現できる方法がいいかな? で、あれば……)
その為の草案はすでに彼の中にある。
ダンジョンを利用して、マジックアイテムを作る方法。アルは普段自分の魔力を使ってアイテムを作っているが、魔素だまりを一度見たことでそれを代用する方法を思いついていた。
多少手間と時間がかかるが、再現性のあるやり方を模索しておくことは、この世界に対し残せる知恵を増やすという事であると同時に、ウォルターの抱えるリスク削減ともなる。
ウォルター1人ができる事と、難易度が高かろうが誰でもできる事とでは認識のされ方が違う。いざという時の保険になるだろう。
そんなわけで、アルは【ウェスペール草原】に向かうと、ダンジョン一つを“接収”するのだった。
無論、周囲への配慮はしていない。