返事は届かず
【オズワルド平原】は10㎞四方の平原だ。戦いながらでも平原中央の魔素だまりまで1時間もあれば踏破できる距離であり、道中は視界が開けているので、迷うことなど無い。
問題は足場の悪さである。背の高い草が生えているためにどうなっているかが分からず、時々沼地などがあったりするなど、天然のトラップが仕掛けられている。そしてモンスターは草に隠れて近寄って来るため、慣れないと不意打ちを食らう事で有名だ。
対処方法はいくつかあるが、ウォルターは人海戦術と漢探知を組み合わせた作戦を採用している。すなわち、巨大鼠を周囲に配置し、足場の情報を確認するというものだ。巨大鼠がモンスターを探し、足場を確認する。多くの討伐者が採用する方法であり、だから門番も最弱で有名な巨大鼠しか呼ばせてもらえないウォルターを戦力としてカウントする気になったわけである。戦闘能力は期待できないが低コストで呼べる巨大鼠は、こういった場面でこそ出番があるのだった。
ウーツの町の近くにあったダンジョンもランク1だったが、ランク1とは「最低ランク」という意味であり、その中でも格差があるという事だろう。【オズワルド平原】は【ウェスペール草原】よりも難易度が低かった。
ウォルターは足場の悪さにより、得意の足技を封じられた。精霊魔法の方も足のつま先を起点にしていたため、使用不可能である。今更指などを起点にすることなど出来ない。この辺りはマキの方で「あとで特訓ですわ」と言っていたので、早晩に解決する問題だろう。
ではどうするか?
答えはやはり「巨大鼠に戦わせる」となる。
ウォルターは自身が戦うのを諦めて正面の索敵に全神経を集中させ、ひとたび敵を発見すれば複数をぶつける事で対処していった。
数は力だ。同じモンスターであれば数の多い方が勝つ。普通に戦わせるだけで、それなりに稼げる。
ちなみに、この手段で稼ぐのは簡単だが簡単であるが故に実入りは少ない。よってここに来る人はまばらで、魔素だまりを「稼ぎたい討伐者」がどうにかしてくれると期待することは出来ない。たまに騎士団から人が派遣される。ウォルターのようにリハビリで足を運ぶか、初心者が最初の試練として訪れるだけだ。他に稼げるダンジョンがあるなら、そちらに流れるのが人の常である。
巨大鼠が見えない追跡者の身体を上から押さえつける。体格はそこまで大きく違わないが、ボスと雑魚では基本スペックが違う。見えない追跡者は体を震わせ、巨大鼠を跳ね除けた。しかし、その動作が大きな隙となり、他の巨大鼠が飛び掛かった。見えずとも体当たりをするぐらいなら問題ない。見えない追跡者を吹っ飛ばした。そして吹き飛ばした先で喰らいつき、絶命させる。
見えない追跡者は自身の血で赤く染まり、その体をウォルターの目に曝している。理屈は分からないが、体が透明なだけで、傷や汚れがあればそこだけはちゃんと見えるのだ。だから見えない追跡者は最初だけ怖いが、一度発見してしまえば脅威と呼べるほどではなかった。複数出現するという特性も含めて、大した敵ではない。
「もうリハビリは十分ですわね」
【オズワルド平原】に通い始めて4日目、ウォルターの戦闘指揮を見て、マキはもう大丈夫だと判断した。
ウォルター自身は指揮をしていただけで体をあまり動かしていないが、往復で10㎞以上の行軍を行い周囲を警戒し続けていたのだ。途中で休憩を挟まなければ相応の消耗を強いられる状態なので、それをこなすだけでも回復具合が窺えるというものだ。
「自分ではよく分かりませんが?」
「ワタシが大丈夫と言っていますわ。それに、あまり雑魚戦に慣れても困りますもの」
マキが気にしていることの一つは、強敵との戦いが控えている状態で雑魚としか戦っていない事だ。格下相手の戦いは、数をこなすと実力の低下につながる。ウォルターが直接戦っているわけではないけれど、そろそろ強敵との戦闘をするべきだと考えたのだ。
マキが対戦相手を務められれば良かったのだが、マキは人目のあるところで実力を披露したくない。あまり目立たずに生きていこうというのであれば、マキは控えておくのが最善だった。
「それに、小銭稼ぎでは手持ちの資金が目減りするだけですわよ? 余裕はありますけど、早めにランク4のダンジョンで稼げるようにならないと宿を追い出されますわね」
「!? 分かりました!!」
貧乏はウォルターの敵である。減っていく資金の話をされ、反射的にマキの言葉を肯定をする。
4日間通い詰めてモンスターを排除し続けた結果、魔核は70個ほど集まった。うち、約40個は巨大鼠の物である。ウォルターはそれらを売却して銀貨10枚を手に入れた。4日分の宿代は食費込みで銀貨8枚、他の雑費で銀貨4枚を消費しており、銀貨2枚分の赤字であった。それ以前の、寝込んでいるときの分も合わせると銀貨30枚を消費していた。
魔核買取のレートはウーツの町にあった魔核買取所の半額程度だ。このように地方より安く買い叩かれるにも拘らず生活にかかる費用は大都会だけに高い。だからランク4のダンジョンに挑戦する実力は無いがランク1では物足りない討伐者ギルドは外に出ていってしまう。たとえランク1のダンジョンに挑戦する初心者がいなくとも何とかなる状態だけに、何の対策もされていなかった。
売った魔核と減ってしまった銀貨を天秤にかけ、ウォルターは歯噛みした。
運よく大量に手に入った岩猿の魔核を全て売り払ったことで41枚もの銀貨を稼いでいたからよかったものの、そうでなければ手持ちの銀貨はすべて消え、路頭に迷うところであった。
ランク2モンスター岩猿の魔核は銅貨40枚程度で、ランク8のダンジョンで魔核を手に入れた場合は安いものでも岩猿の1万倍以上、金貨5枚で取引される。危険度もそうだが、単価が圧倒的に違う。ランク4のダンジョンの物であれば岩猿の75倍となる銀貨3枚であり、やはり難易度相応の金額になる。
魔核を売却したことでランク4ダンジョンへの挑戦権を手に入れたからまだ納得できるが、ウーツ以上に暮らしにくいチランの生活に、ウォルターは不安を抱いてしまう。もっとも、チランで暮らす事自体にそこまでこだわる気が無いのでいざとなればウーツの時と同じ方法、基本的にはチランの外で暮らして、買い物の時だけ街に入ればいいと思っているが。
マキの方は減っていく資金よりも、公爵家の出方が気になっていた。
というのも、ウォルターがフリードの提案を断る方針を打ち出したからだ。
「断りましょう」
「相手は公爵家ですわよ?」
「いやぁ、半分冗談だと思いますよ? それに、貴族っていいイメージが無いじゃないですか」
ウォルターはフリードと直接話をしたわけではないので、その本気の度合いを疑っていた。それに、公爵家が凄いと言われても、それがどれほどすごいのか分かっていなかったりする。
また、断るという方針を打ち出したはいいものの、それを本人に伝えていないのもマキが気に病む原因となっている。
「んー。公爵家に平民が行っても、門前払いを喰らいません?」
実際に行ってみたら門前払いをされたため、相手が来るのを待っている状態でもある。ローラとフリード、どちらも門番にウォルターの話を通していなかったのが原因だ。公爵家の2人は平民と仲良くなったことが無かったので、自分の客が門前払いをされるとは考えていなかったのだ。
何度も通いつめれば不審者として捕まってしまうので、公爵家を訪ねたのは2回だけである。
よって合法的な手段はとることができず、フリードの件は保留になってしまった。
(なるようになりますわよ。そんなことを考えるより、ウォルターを鍛えている方が建設的ですわ)
いざとなれば逃げればいい。
マキはフリードの事で考えるのを止めた。