来客
精神的な疲労を感じ、疲れた顔をするマキ。
それでも無事、宿に戻ってきた。借りている部屋はウォルターと共同の二人部屋で、鍵は外に出るたびにカウンターに預けるようになっている。だからマキはまずカウンターに顔を出し、部屋のカギを受け取ることにした。
「202のマキですわ」
「マキ様ですね。お部屋の鍵です」
宿の名前は「ホイットニーの宿」という、帝国内でも有名なチェーン店だ。美味しい白パンで有名なのだが、食事がほぼ自炊のマキ達には関係なかったりする。グレードは普通の行商人や庶民には少し厳しいお値段だが、ちょうど岩猿の魔核で懐が潤っているマキ達なら十分に払える額だった。
そのうち拠点となる家を購入する予定だが、流れの討伐者が家を買うには審査が、ダンジョン攻略の実績が必要である。最低でもランク4のダンジョンで魔核1000個以上を集められなければ家の購入――というより定住を許されない。長期的にダンジョン攻略を期待できる討伐者以外はお断りなのだ。
カウンターにいるのは受付嬢で、マキには敵わないが若く美しい娘さんがその役を担っている。
受付嬢は部屋のカギをマキに渡すと、一言付け加えた。
「そういえば、ウォルター様に来客があります。勝手に部屋に上がってもらう事もできませんので、来賓室にお通ししています」
「来客、ですの?」
「はい。ローラ様と名乗られましたが……」
受付嬢は、もちろん公爵家のローラを知っている。しかしローラがお忍びできている様子だったので、あえて人通りがあるかもしれないロビーでそのことを口にはしない。ローラという女性名はそこまで珍しくないので、名前を出すだけならセーフである。
マキはその名前を聞いて、アイガンで出会った少女をすぐに連想した。
(突き放すようにしてから別れましたが、律儀にお礼でも言いに来たのでしょうね。
まさか、今のウォルターを引き抜こうなどと考えてはいないと思いますが。警戒は必要ですわね)
ローラの用件に当たりを付け、マキは来賓室へと足を向けた。
来賓室には、ローラの他に全身鎧フル装備の騎士が2名待機していた。騎士の数は少ないが、屋内という事で最精鋭から厳選してここまで連れてきたのが2名であるというだけだ。外には目立たないように騎士鎧を着てはいないが、他にも大勢控えている。
ローラは貴族の娘が普段着にする豪奢なドレスではなく、一般庶民の娘が着るのと同じ、木綿の服を着ている。ありふれた品なので、ある程度顔を隠せば確かに町娘にも見えるだろう。……控えている騎士さえ、いなければ。一応、騎士は別ルートで移動してきてからこちらで合流したので、対外的にはローラと騎士は無関係である。
ローラはドアを開けてマキが入ってきたのを見て、一瞬表情を輝かせるが、すぐに沈んだ顔になった。貴族の娘とは思えない表情の豊かさである。普通の貴族の娘であれば、感情を顔に出さないといった腹芸はお手の物のはずであったのだが。
マキはそんなローラに内心苦笑しつつ、鉄面皮のすまし顔で応対する。
「これはこれは、ローラ様。ようこそお越しくださいました」
身分の都合上、ローラは座ったまま鷹揚に応対する。
細かいことを言えば、ローラは継嗣ではないので貴族ではなく平民である。貴族とは皇帝より貴族の称号をあたえられた者とその配偶者、次期後継者である継嗣までに与えられる身分であり、まだ継嗣の決まっていないエアベルグ公爵家では公爵と公爵夫人の二人だけが貴族である。だが、貴族の身内は大体貴族として扱われるのが通例だったりするので、大きく間違っているわけでもない。
「その節は世話になった。本日はその礼に伺ったのだ。まずは座ってくれ」
この場における最上位者として、ローラはマキに着席を勧める。マキはそれを受けてから、ようやくローラの対面に腰を下ろした。
「アイガンの町では助かったよ。あの時お借りした金子と謝礼だ。まずは受け取ってほしい」
ローラは背後に控える騎士に命じると、金貨数枚の入った袋をマキに渡した。
アイガンでマキというかウォルターが用意したのは銀貨数枚であり、宿代まで入れたとしても100倍近い金額になって返ってきた計算になる。
マキはというと、その中身を確認もせずに受け取り、横に置いた。この場で中身を確認するのは野暮であり、無礼である。貴族の娘が借りた金に色を付けて返し、相手がそれを受け取った。その流れが重要であり、金額の多寡は関係なかったからだ。
ローラはそんなマキの行動に苦笑し、背後の騎士は「分かっているじゃないか」と感心したように目を細めた。
「確かにお受け取りしましたわ、ローラ様。生憎、ウォルターは熱で倒れていますので、ワタシが代わって礼を申し上げますわ」
マキの微笑に対し、ローラは無言で頷く。
本来であればウォルターにも挨拶するのが筋であり、それこそがローラが本当にやりたかった事ではあった。だがさすがに病人の部屋に押しかけるほどローラは無思慮ではなく、わざわざ別室でマキを待っていたのだ。
ローラはしばらくの間はウォルターに会えないと諦め、帰る事にする。
「今日のところはこれで失礼するよ。また今度、ウォルター殿にも礼を言いたい。宿はしばらくここを使う予定でいいのかな?」
「ええ、一月分の先払いを済ませていますわ」
「次に来るときは連絡を入れるよ。では、また」
ローラとマキは立ち上がり、マキが頭を下げ、ローラを見送る。
2人いた騎士の片方が来賓室のドアを開け、ローラが外に出ようとした。
と、そこで意外な人物が顔を出した。
「おやローラ。もう話は終わったのかい?」
軽薄そうな笑顔を顔に張り付けた青年。
先ほどマキをナンパしていた男である。
「お兄様!?」




