ナンパ男
チランは大きい。
人口は10万を数え、帝国の皇都や隣国と頻繁に交易を行うことで多くの貨幣を稼ぎ、近場のダンジョン4つを治める為の屈強な騎士団と多くの討伐者ギルドを抱えている。
ダンジョンは都市内部に組み込まれ、専用の壁を作って囲っている。内部からモンスターが溢れだした時の対策であり、ダンジョンに挑戦する人間を管理するための措置である。ダンジョンに無為無策に突っ込む人間が出れば、無駄死にするだけである。ある程度の能力制限を設け、資格無しの人間を弾くことも為政者には求められる。なお、ダンジョンのランクは帝国内でも最高の8を筆頭に、ランク5、ランク4、ランク1である。
チラン特有の産業と呼べるものは特にないが、強いてあげるのであればダンジョンのモンスターから得られる魔核がそうだと言えるだろう。また、その魔核を使用して作られるアイテムの数々も生産されているので、都市としての発展具合は帝国でも有数と言える。
だが、問題が全くないわけでもない。
人口が多いというのは問題が多いという事でもあり、チランには貧民街が存在し、定期的に騎士たちが間引いてはいるものの、逃亡奴隷たちの受け皿を作っている。それに伴い犯罪発生率も低くならず、ある程度の自衛能力が市民には求められる。
そしてもう一つ、水の問題がある。チランの水は余所の土地から来た人間には合わないことが多いらしく、地元住民は良いのだが旅人や行商人には体調を崩すものがたまに出る。あと、流れの討伐者にも――
チラン到着から2日目。ウォルターは体調不良でダウンした。内容は発熱と、お食事中の方にはお聞かせできないアレである。倒れてからさらに2日が経過していた。
当然、ダンジョンに潜ったり訓練をしたりするのは中止となる。マキが付きっ切りで介抱しているが、なかなか良くならない。少なくともまともに食事ができるようになるまでは別行動もとれない有様だった。
「すみません……」
「それは言わないお約束ですわ」
倒れた時から、何度も行われたやり取り。
ここまでの旅の間からチラン周辺の水を飲んでいたのだが、それが蓄積し、チランに着いてから発症したのだ。旅の最中に発症しなかったのは幸運だったと言えるだろう。
ウォルターは不甲斐無さに歯痒さを感じているが、水の合う・合わないというのは努力でどうにかするものではない。時間をかけて、ゆっくり慣らしていくしかないものである。マキが魔法で水を用意するという選択肢もあったのだが、長期的に考えれば体を慣らしていくほうがいいと考えた末に、ウォルターは未だベッドの上から起き上がれないでいる破目になった。
マキにしてみれば足踏み状態になるのは面白くないものの、ウォルターに恩を売れるの絶好の機会であり、トータルで見れば大幅にプラスと甲斐甲斐しく世話をしている。病人食を作ったり、食べさせたりするのも楽しい事だと本人は喜んでいる。その内心をウォルターに覚らせるような真似はしていないが、実害が無くともあまり褒められた話ではない。
熱を出したという事で額に濡れタオルが置かれているが、マキは魔法でそれを冷やして対応している。時折汗をかいたウォルターの体を拭いたり、着替えさせたりする。
食事は宿の厨房を借りて自炊しており、こまめな栄養補給に努める。雑穀の粥とスープを中心に、消化しやすいものを作る。この時ばかりは、魔法で用意した自前の水を使っている。
何をするわけでもないが傍に付き添い、独りではないと安心させる。病気の時は心細くなるものだが、頭を撫でてもらえるだけで不安は消えていく。
こういった事はマキの得意分野であり、ウォルターは徐々に快方へと向かっていった。
チランに来た当初、マキはウォルターの世話だけでほぼ一日を使い切り、他にやる事と言えば周辺の地理を把握していざという時の逃走経路を確保するぐらいであった。
しかしウォルターの多少調子が良くなってきたことで自由な時間が増えれば、宿から多少遠くに行くこともできるようになる。行動範囲の広がったマキは、この日は大通りに面した商店をいくつか冷かしていた。が、1人で出歩いていたのが災いし、珍しくナンパに付きまとわれてしまった。
マキは美少女として作られているため、普段から衆目の目を集めていた。
しかし今まではその服装――高級そうな、行為の貴族が着るようなメイド服――に気圧されて話しかけようとするものが少なかっただけだ。そういう意味ではこのナンパ男は勇者と言えるかもしれない。
「ねえねえ、少しぐらいいいじゃなーい」
「……」
マキは終始無言。この手の手合いは相手をすればより一層付きまとってくるため、相手をしない、無視をするのが最善であった。
付きまとっているナンパ男は中々上等な服に袖を通しており、それなり以上に稼ぎのいい家の人間であることが分かる。顔立ちも整っており、柔らかな金髪が日の光を受けて輝いていた。
ただ、顔に浮かぶ軽薄な表情が全てを台無しにしており、付きまとわれていることもありマキは嫌悪感しか抱いていない。
「美味しいスイーツのお店を知っているんだよー。少しだけさー、そんなに時間取らせないしー」
どこまでも付きまとってくるナンパ男は厄介な事にマキに触れようとせず、進路を邪魔することもしない。よって物理的にどうにかするには決定打となるモノが足りず、足早に立ち去るには周囲にいる一般人が邪魔だった。
不幸というのは重なるモノである。
どうしようか、このまま宿まで戻るわけにはいかないとマキが焦りを感じたその時だった。マキの進路を塞ぐように、大男が3人、マキを囲うように立ちふさがった。
「おおっと嬢ちゃん、悪いが付き合ってもらうぜ」
「大人しくしろよ? こう見えてアニキは紳士なんだけど、抵抗するなら痛い目見てもらわないといけなくなるからな」
「手間、掛けさせるんじゃねーぞ」
大男たちはいかにもチンピラといった風情で、あまり身なりは良くない。全身から暴力的な雰囲気を漂わせた、粗野な印象を受ける。下卑た表情もそれに一役買っている。
大男たちは全員しっかりと筋肉がついていて、荒事にも慣れているように見えた。
とは言え、マキにとってはどうでもいい連中である。やはり無視して済ませようとした。
「おい! 無視してんじゃねぇ!!」
ナンパ男とは違い、マキの肩を掴もうとする大男。その手をするりと躱し、マキはニヤリと笑った。
「正当防衛成立ですわよね」
正当防衛といった法律はこの世界に無いが、自分をかどわかそうとする相手が相手であれば、暴力的手段を取っても問題は無い。自衛の範疇だからだ。
先ほどまでナンパ男を無視する間にたまったフラストレーションを解消すべく、マキは一歩踏み出した。一般人相手に本気を出すと死者を量産してしまうので手加減をする必要があったが、それでも彼らはマキにとってサンドバッグ以外の何物でもなかった。
しかし。
「いや、俺の目の前でこんなことするとか。さすがにびっくりだよ」
先ほどのナンパ男が大男たちの蛮行に呟いた。
そしてナンパ男はゆっくり甚振ろうとしたマキより早く、大男たち3人を殴り倒す。不意打ち気味に腹を打ち据えられ、大男たちは一撃で崩れ落ちる。
「でもまぁ、これで話をするきっかけに――って、あれ!?」
マキはナンパ男の意識が自分から逸れた瞬間、姿を消して逃亡していた。
口にこそしないが盛大に、愚痴を言いながら。
(厄日ですわ厄日ですわ! 本当にツイていません!!)
あの場に留まればナンパ男に礼の一つでも言わねばならず、どこかに付き合わねばならない状況に持ち込まれただろう。故に逃亡を選択したわけだが。
(ああもう! 「間違えましたわ」とでも言って一発殴ってやればよかったですわ!)
イライラする気持ちを持て余しつつ、マキは足早に宿へと戻っていった。