アレス翁
ウォルターとマキが旅立ってから3日後のアイガン。
そこに、30人の騎士を率いた一団が訪れた。
「これはこれは、アレス様。遠路はるばる――」
「そのような挨拶はどうでもよい! 孫は、ローラはどこに居る!!」
「はっ、すぐにお連れします!」
「儂が行く! 案内せい!!」
「ははあっ!!」
騎士を率いていたのは大都市チランの実質的な統治者でありローラの祖父にあたる人物。
名を、アレス=エルメンガルト=エアベルク。御年62歳のご老体だ。鋭い眼光に不機嫌そうな顔、192㎝の巨体とそれに見合った質量を持つ筋肉で、とても一般的な老人とは言えない迫力を醸し出している。
それを迎えたのはアイガンの領主で子爵位を持つ男だった。
男は普段から傲慢とまではいかないが、尊大な態度の目立つ人間だった。だがしかし、すでに公爵位を息子に継がせたアレス翁の迫力に飲み込まれ、小物としか言いようのない態度で接している。それもそのはず。アレスの機嫌を損ねれば、子爵としての地位も名誉も無くなるかもしれないんだから。
子爵は粗相があっては困るという事で、自分でローラの元まで案内をする。
ローラの方は先日、この町を拠点とする大商人のクーラが連れてきており、町と町を行き来するには戦力不足という理由で早馬を使い、子爵の館に逗留させていた。
本来、早馬を使ったところでチランまでは2週間はかかる。
しかしチランで黒幕を捕えて行先を聞き出していたアレス翁は少数の騎士を引きいてアイガン方面へ駆け出しており、その道中で「アイガン子爵がローラを保護した」と知ったのだ。
そのことを知ったアレス翁は早馬でアイガン子爵に連絡を入れた物の、話を聞いたのがアイガンから1日しかないすぐそばの村だったために、アレス翁が着くほんの数時間前に連絡を受け、急いで準備を行ったのだった。
元公爵を受け入れるには不十分な状態だったがそんなことはどうでも良く、アレス翁は孫娘の所に急行する。子爵の心労は溜まる一方だ。
そして子爵に案内された部屋のドアを、アレス翁はノックもせずに勢いよく開けた。
「お爺様!」
「おぉ、ローラ!!」
部屋の中にいたローラは、ようやく見知った顔と出会い笑顔を見せる。
アレス翁もまた、可愛い孫娘の無事を知って破顔した。
それを見ていた子爵はほっと一息つくと、気を利かせてその場を離れた。もちろん周辺には、見えない場所に人を配置しているのだが。
「よく無事だった……。心配したんだぞ、ローラ」
「心配をおかけして申し訳ありません、お爺様」
「おお、もう良い、もう良いのだ、愛しのローラ。お前が無事だっただけでわしはもう十分なのだ」
アレス翁にとって、ローラは最も可愛い孫だった。
もともと、他の孫が大きくなるまでアレス翁は公爵として現役だった。その為、孫に接するときも公爵として接する必要があり、厳しく当たったことも少なくなかった。
しかしローラは孫の中で最も幼く、そのため公爵としてのアレスをほとんど覚えていない。そして他の孫より素直に甘える事の多いローラをアレス翁は誰よりも可愛がった。
今回の事件もその孫バカぶりが原因で、ローラに公爵位を奪われるのではないかと疑心暗鬼に陥った孫の一人が行った事だった。
もちろん、アレス翁としては実力不十分な人間に公爵位を継がせるような愚行はしない。そんな地位に見合わぬ実力しかない者に公爵の位を付けた所で不幸になるのは目に見えているからだ。
とにかく、犯人は捕まって打ち首となり、すでにローラの安全は確保されていた。
「本当に、本当にお前が無事でよかった。奴隷にされたと聞いた時は心臓が止まると思ったぞ」
ローラが奴隷に落された場合、アレス翁といえど公爵家のものとして扱うことができなくなる。
しかし、奴隷の刺青を施されていないローラの美しい顔を見て、アレス翁はしみじみと無事を喜んだ。頬を撫で、目の端に涙を浮かべる。
が、そこでローラが困ったような顔をしたため、頬を撫でる手を止めた。
「どうしたローラ? そんな顔をして」
「お爺様に、言っておかねばならないことがあります」
これまで再会を喜んでいたローラであるが、奴隷の刺青に話題が移り、真剣な顔をして祖父を見つめた。
「私は一度、奴隷に落ちました。刺青を施され、ここまで連れてこられたのです」
「何!?」
アレス翁は大都市チランの統治者である。
その行政に深く関わっているし、貴族であれば奴隷を扱う事も少ないとはいえ、法律関係で良く知ってもいる。
その中で奴隷とそうでない者の区別をつけるための刺青についても一通りの知識はある。
その刺青が消えるという事の重大性も、よく分かっていた。
「その話を詳しく聞かせなさい、ローラ」
アレス翁はそれまでの「祖父としての顔」を捨て、為政者としてローラを問いただした。
「俄かには信じられん……」
「ですが、全て事実です」
「子爵の報告にもそのような話が書いてあったが、何らかの化粧を施されたものとばかり……」
「私も、自身の事でなければ疑う話です」
「うむ。ローラが嘘をついているとは思っておらん。じゃが、のぉ」
アレス翁はローラの説明を一通り聞き終え、こめかみを押さえた。
一度施された刺青が自然と消えるなど聞いたことが無いし、もしそのような事があれば奴隷というシステムそのものを見直す必要があった。だから信じられないというより信じたくないとばかりに頭を振る。
報告したローラも、自分に何が起こったのか全く分からなかった。朝起きてお顔を洗うために水を張った桶を用意したら、そこに映る自分の顔から刺青が消えていたのだ。慌てて宿の受付嬢に顔を見てもらい、刺青が無いか確認するほど信じられなかった。刺青があると思っていた時に、最後に会ったウォルターたちにも話を聞きたかったが、ウォルターたちは旅立った後だった。
その後クーラのもとを訪れ領主に話を通して保護してもらい今に至るが、分かっていることなど何もなかった。
「消えた刺青の事は、まぁ、良い。不都合があるわけではないしの」
アレス翁はしばらく悩んでいたが、類似する件が無いか後で確認し、それから原因を探ればいいと問題を後回しにすることにした。考えても分からない事は考えるのが無駄だからである。
だから「それよりも」と前置きをする。
「ローラを助けた討伐者、ウォルターだったか。その者はどのような男だった?」
アレス翁が興味を持ったのは、ローラを助けた討伐者だった。
ローラを助け、見返りを求めない。それは単純に権力者に近づけば不利益をこうむることがあると考えると、そこまで不自然な話ではない。
どちらかといえば、助けるときに見せた「戦闘指揮能力」の方に興味が湧いたのだ。
「はい、巨大鼠12体を率い――」
「成程、成程のぅ」
ローラの話を聞き、時に相槌を打ち、時に質問をするアレス翁。
そうしてウォルターへの興味を募らせていく。
(巨大鼠なんぞ、ただの雑魚じゃ。その雑魚を率いて悪漢を封殺する。数の利、地の利があろうと容易な事ではないのに、のぉ。中々面白そうな奴じゃなぁ)
通常、巨大鼠が12体ほど群れた所で窮地に陥る討伐者というのは少ない。個体能力が低く連携が取れない為に各個撃破が容易であるのがその理由だ。
しかしウォルターという指揮官を得て巨大鼠が5人もの討伐者を倒した。これは快挙と言って良かった。
……実際は身体強化の魔法により個体性能が底上げされていたというのが理由として大きく、ウォルターの指揮能力はそこまで過大評価されるほどでもなかったのだが。そんなことをアレス翁は知らない。知りようが無い。
「ふむ。孫娘を助けてくれた礼はせんといかんな。……探させるか」
こうしてマキの苦悩も無駄となり、結局ウォルターは公爵家に目を付けられるのだった。
二人がそのことを知るのはこれから1月後の事、チランに辿り着いてからである。