クロスワールド
ウォルターは普段、『フィールドダンジョン』で狩りをすることで生計を立てている『討伐者』だ。
『ダンジョン』は定期的に攻略し、溜まった魔素を散らさないと災害を引き起こす。
よって、ダンジョンを攻略する人間には倒したモンスターの証明である『魔核』と引き換えに報酬を出すようになっている。討伐者は主にそれを糧に、日々生きている。
他にもモンスターの肉や皮などを素材として欲しがる者がおり、その取引なども行われる。
通常であればモンスターを討伐する者と剥ぎ取りを行ったり運搬をしたりする補助者、更には素材販売で利益を上げる支援者がまとまってできる『ギルド』が一丸となって攻略にあたる。
しかし、そうした仲間を得られない者はソロ討伐者として生きていくしかない。
ウォルターは、そんな『ソロ討伐者』だった。
ウォルターは単独で狩りをする討伐者であり、普段はダンジョンでも“浅い”場所で狩りをする。
リスクに対するリターンを考えると、奥まで行くメリットが無いからだ。
通常、ダンジョンは浅い階層よりも深い階層で強いモンスターを生み出す。ダンジョンの最奥が魔素だまりなので、より強いモンスターが出やすいのは奥なのは当然だ。まれに階層ごとに歪のようなものが発生し、小さな魔素だまりを作ってしまい、そこにも強いモンスターが現れる事もある。
しかしそんなところまで潜らないウォルターには関係の無い話で。
この日もウォルターはフィールドダンジョン【ウェスペール草原】で巨大鼠を相手に狩りをしていた。
「アイン、ツヴァイ! そのまま追い込め! ドライ、フィーアはタイミング合わせて!」
ウォルターは討伐者の中でも【顕現魔法】を扱う魔法使いだ。
【顕現魔法】とは、『封魔札』に魔核を埋め込み、埋め込まれた魔核に対応したモンスターを召喚し、使役する魔法である。
この世界ではわりと一般的な系統であり、だいたい100人に1人か2人は使える人間がいる。顕現魔法の使い手は討伐者に限らず騎士や商人にも大勢いて、そのほとんどが騎乗用や馬車馬代わりのモンスターを召喚するのに使っている。
討伐者の場合は召喚するモンスターでそのランクが決まると言われる。
そしてウォルターが扱える唯一のモンスターは【巨大鼠】。
最下級と言われるほどランクの低い、雑魚モンスターだった。
巨大鼠はモンスターとしてのランクが低い分、扱いやすく数を揃えるのが容易なモンスターだ。
ウォルターは通常4匹を扱い、率いている。一応ではあるが、最大10匹まで呼び出すことが可能である。
顕現魔法で扱えるモンスターを増やすと、その段階で召喚主の魔力が削られる。召喚しているかどうかに関わらず、だ。
よって無駄な召喚可能モンスターを作らず、呼び出せるモンスターは厳選するのが当然の成り行きではあるが、ウォルターには巨大鼠以外を狩るだけの実力と、余裕がなかった。
今もダンジョン最初に出てくる“はぐれ巨大鼠”を自分のテリトリーに引っ張り出し、数で押しつぶす戦術をとっている。
もしもウォルターが信頼できる仲間と一緒にダンジョンへ潜るのであれば、もっと奥の階層を目指せただろう。しかしソロのウォルターにはちょっとの怪我でも致命傷になりかねないデメリットが存在し、その危険を冒す理由がない以上、ウォルターは浅い階層から踏み出すことはない。
ウォルターはそうやってほぼ毎日、巨大鼠を5~6匹狩っては魔核と、糧となる肉と、売り物の毛皮を得て生きていた。
そんな日々が、いつまでも続くとウォルターは思っていた。
代わり映えはないが生きていける。
退屈で感覚がマヒしたウォルターにしてみれば毎日が変わる理由などどこにもないと、諦めが支配している。
理不尽に対し些細な抵抗をするものの、何かが変えられると思ってはいない。どこかで何か、諦めきれない何かがあっただけだ。
だからこの日も、いつものように終わるものだと思っていた。
最初に気が付いたのは、召喚している巨大鼠だ。
鼠を大きくしたモンスターである彼らの嗅覚は、意外と鋭い。討伐者として人生のほとんどを生きているウォルターも人にしてみれば鋭い感覚を持っているのだが、そんな彼よりもだ。
辺りに漂う血の臭い。すぐにウォルターは警戒をし始めた。
血の臭いは隠されておらず、ウォルターは巨大鼠4匹を率いて慎重に近づく。
そして、倒れている男を見つけた。
血まみれの人が倒れている。
ウォルターは、それを見て駆けだした。助けるためだ。
倒れていたのは20を少し過ぎたぐらいの、若い男。
身なりは良く、来ている服はボロボロであったが真新しく、古着のそれとは違う生地であるのは明白であり、高い身分の持ち主か金持ちであることが見て取れた。
しかし、あまり周囲の人間とと関わってこなかったウォルターには関係なく、分かるはずもない。彼の頭にあったのは「死にかけている人だから助けないと」という考えだ。
止血を済ませると急ぎ巨大鼠を追加で召喚し、血まみれの男をその背中に乗せる。
そして、自分の家に男を連れ込んだ。
3日ほど経った。
男の意識は戻らず、ウォルターは彼の治療をかいがいしく行った。
町に連れて行った方が良いかもと考えたが、ウォルターはその考えをすぐに振り払う。
町の人間がウォルターにとる態度はいつも冷たく、彼がもしそんな目に合えば確実に殺されると思ったからだ。ウォルターは町の人間を一切信用していなかった。
だからウォルターはここで治療を続ける。薬草を採取し、すり潰して包帯の下に塗る。僅かだが魔力を帯びた薬草は、こうすることで傷薬となる。
その傷薬は本来なら売り物で、二束三文で買い叩かれると言っても貴重な収入源だった。それを惜しげもなく使い治療を続ける。
なんで自分がここまでして人を助けるんだろうと思うウォルターだが、血まみれの彼を見た時、「助けなきゃ」という思いが全身を支配し、余計なことを考える余裕を奪われていた。今はたまに疑問が頭をよぎるが、それでも全身に包帯を巻かれた彼を見ると、見捨てる、助けないといった選択肢はあり得なかった。
彼に与える食事は、雑穀と野草、細かくした巨大鼠の肉を煮込んで作るお粥もどきだ。肉は出汁に使うだけで直接食べさせることはしない。
意識を失っているので、自分がまず口にし、咀嚼したそれを口移しで流し込む。水分が多めであることとよく噛んで飲み込みやすくしないといけないことを、自身の体験からウォルターは知っていた。だから、口移しであろうと躊躇せずに行う。これは治療行為の一環なのだ。
口びるを付け、こじ開ける。
歯は閉じられておらず、指で閉じられないようにしてからお粥を流し込む。
まだ温かい、熱を持った粥が流し込まれると体が反射で動く。歯が閉じられようとするが、指でそれを防ぐ。
何度かそれを繰り返し、皿一杯分のお粥を食べさせ終えたウォルターは満足そうに体から力を抜いた。
そして汚れた口元を拭おうとして、彼と目があった。
目を覚ました男、アルヴィースは状況に戸惑っていた。
何か変な味のする物が口の中に流し込まれる。
抵抗しようと思ったが、体がうまく動かない。
体が動かない原因を全身に負った傷が原因だとすぐさま理解し、魔法でさっさと治す。
そして状況を確認しようと、怠くて重くしか動かないまぶたに力を入れ、目を開いた。
自分のそばにいるのは年若い少年で、まだ10を少し過ぎたばかりであろうか? 成長期前というのもあるだろうが、かなり小柄だ。ちゃんと栄養を摂っていないのだろう、線は細いというよりガリガリで、成長期に入ったところでまともに体を作れないと危惧するレベルだ。
服はボロボロ。粗末な襤褸切れをもうしわけない程度に纏っているだけで、見た目から見た職業は浮浪者といっても過言ではないだろう。
手には空になった皿を持っており、先ほど口に流し込まれた不味い何かを思い出せば、彼は自分に食事をとらせていたのだと判断した。
少年と目が合う。
アルヴィース――アルは、何を言うべきか考え、眠りすぎで軋む体を起こし、視線の高さを合わせた。
「君が助けてくれたのだな。感謝する」
そう言ってから、頭を下げる。
命の恩人相手だ。頭を下げ、感謝するのが人の道理だと思っているからだ。
特に彼が裕福な者には見えず、見渡す部屋の内装からも、そうとう貧しい生活を強いられているのが分かる。そんな中でアルのような見ず知らずの人間を助けるのは、そう簡単にできる事ではなかった。それが分かるからこそ、アルは自分の感謝を伝え、礼を以って報いたいと考えた。
「ム?」
アルはお礼になりそうな物、とりあえずは綺麗な服と手持ちの食料を取り出そうとアイテムボックスを使おうとした。
だが、反応が全くない。
その原因を現状から推測し、何もできないな、と諦める。
先ほど魔法が使えたことから、魔法関係が大丈夫であることは分かっている。回復魔法だけでなく他の魔法も大丈夫かどうかを確認しなければならないな、と心の中に留め置いた。
「あああの! まだ寝てないと! すごい怪我なんですよ!?」
アルが思案の渦にのみ込まれていると、少年が慌ててアルを寝かしつけようとする。
だが、怪我はすでに癒え、元々の体格差と筋肉の差で少年の行為は徒労に終わる。
「怪我なら大丈夫だ。先ほど治した」
「治し、た? え?」
「ほら、もう傷跡も残っていない」
アルは巻かれた包帯を外し、綺麗に治った腕を見せつける。塗られた薬草を拭い取ると、確かに腕が治っているのが少年にも理解できた。
少年は何が起きているか分からず、困惑に包まれる。
(回復魔法が無いのか? もしくはレアって事か? それともこのレベルの怪我が治せない? ……いずれにせよ、面倒なことになるかもな)
アルは少年の反応から自分のやったことが珍しい事であると判断し、回復魔法を人前で使わない方がいいと心にメモをする。必要があれば使うが、治さなくても問題ないシチュエーションであれば使わないように心に留め置かねばならない。普段から回復魔法を多用するアルには意識しないと出来ない事だ。
(とにかく、情報が欲しい。どう動くか決めるには情報が足りない)
そこまで考え、アルは最初に必要とされる情報を聞くことにした。
「私の名前はアルヴィース。セイレン候、アルヴィース=エンドーヴァーという。こちらでは爵位などたいして価値のないものだからね、気軽に「アル」と呼んで欲しい。それで君の名前を教えてもらえないかな、少年?」
その後二人は自己紹介と、簡単な情報のすり合わせを行う。
「なるほど。回復魔法など、こちらには無いのか」
「はい。魔法薬の類はありますけど、あれほどの怪我を治すようなものは僕も知りません。田舎者ですから、僕が知らないだけかも知れませんが」
「いやいや、私はこちらの事情を何も知らない身だ。今の私より、ウォルター君の方が物知りだよ」
「恐縮です」
互いに名乗り合うと、アルが貴族であるためにウォルターがひれ伏したりなど一波乱あったが、場はすぐに取りなおされた。
アルが特に注意して聞いているのは魔法関連。
最高クラスの魔法使いであるアルにとって、自分の手札が周囲にどのように映るかは特に注意して調べなければいけなかった。
そして分かったのは、アルの知る魔法のほぼすべてがこの世界に無い事。
回復魔法はもちろん、簡単な攻撃魔法すら扱える人間は滅多にいない。ただしモンスターの類に関してはその限りではなく、下手に魔法を使えばモンスターと思われかねないなど、諸注意を受けた。
逆にこの世界特有の魔法が存在し、ウォルターの使う【顕現魔法】というのがあるの興味を特にひきつけた。
顕現魔法とは、倒したモンスターから得られる魔石を使い作られた『封魔札』を用い、使われた魔石と同じモンスターを呼び出し、使役する魔法。
封魔札は作るときに所有者設定をするのだが、その時に所有者の魔力の最大値を削る。そして削られる魔力はモンスターの強大さに比例する。よって、多くの封魔札を持っていること、強力な封魔札を持っていることが討伐者のステータスとなる。
封魔札からの顕現にはほとんど魔力を用いないことから、アルはそれをTCGにおけるデッキ制限と理解した。
その他、細かい制約などについても踏み込み、情報を確認する。
逆にウォルターは、アルの使う魔法が技術的に確立されたものであり、自分にも使えると断言されたことでその習得について意欲を示した。
封魔札を使う顕現魔法と違い、アルの使う『精霊魔法』『回復魔法』『召喚魔法』などはどれも触媒などを用いない上に強力で、使えるようになれば世界が一変すると言っていい。
無論、モンスター扱いされる危険性はあったものの、普段人と関わりを持たないウォルターにそれは些末な事だった。
命の恩人という事もあり、アルは自分の魔法を教えることに許可を出す。
その代わりアルは自分にも顕現魔法を教えてほしいとお願いし、二人は互いに魔法を教え合うことで合意した。
そして、アルはウォルターに重要な質問をすることにした。
「君のその腕、治せる、と言うか生やせるのだが。治療を受ける気はあるかい? 治すなら一瞬だし、そう時間のかかる事でもないし、何かが必要といった手間もない。本当に簡単な治療でどうにでもなる事なんだが。
私としては、命の恩人である君には五体満足でいて欲しいという我儘を押し付けるのが心苦しくもあるのだが、ぜひ、治療を受けてほしいと思っている」
アルはウォルターの腕が一本しかないことを不憫に思い、治療を申し出た。
先ほどまでの説明を受けて回復魔法がこの世界では異質であることを知った。それでも、腕一本分の不便さと言うのは計り知れない。だから治せるのだし、治した方がいいのではないかと思ったのだ。
しかしそでによってデメリットを受けるかもしれないのはウォルターだ。アルではない。そしてアルはいずれウォルターから去っていく身であり、責任をとれる立場にない。だから本人に確認をして、その意思を聞こうと思ったのだ。
だから意思を確認した。
言われたウォルターは、何を言われたのか理解できなかった。
回復魔法は怪我を治すと聞いた。
しかし、すでに失った身体部位を生やすのは、回復ではなく再生だ。ジャンルが違うと言っていい。今まで、町の回復魔法の使い手や商人に無くなった腕を取り戻す方法はないか聞いたことがあったが「そんなもん、王都の大神官様だって無理に決まっとる」と希望を打ち砕かれて終わっていた。
そのことに衝撃を受けつつも、アルはか細い声で何とか言葉を絞り出す。
「もし……腕が元通りになるなら、お願い、します」
そして頭を深く下げた。
その様子に満足したアルは、一言≪再生≫と口にする。
するとアルの腕があった場所が光に包まれ、光が消えるとそこには傷一つない、むき出しの腕があった。
ウォルターはその腕を動かそうとするが、反応がない。
「さっきまでなかった腕だ。すぐに動かすことはできないさ。まずは、こうやって――」
アルは生えたばかりの腕を手に取ると、その肘を曲げては伸ばす事を繰り返す。
「動いている感覚が分かるかな? まずはその感覚に慣らすところからだ。なに、一週間か二週間リハビリをすれば、じきに動かせるようになるさ」
アルはそう言って笑いかけると、他にも指の屈伸を行い、リハビリのやり方をレクチャーする。
ウォルターの腕はまだ自分の意思で動かせない。
それでも、もう諦めていた腕が返ってきたことに、ウォルターは声もなく泣いた。
アルはそれを優しい目で見つめていた。