戦後処理
旧帝都の城へ財宝を回収しに行った部隊は二つに分かれて行動した。
片方はウォルターとの合流をした方であり、もう片方はマキとの合流しに行った者たちである。
しかし、マキ達は彼ら増援と合流しておらず、そのおかげで彼らは全滅を免れた。
そんな彼らが何をしていたのかというと、当初の予定通りの任務、財宝の運搬である。
皇帝は財宝を奪われまいと別の場所に隠したのだが、偶然にもそれを兵士が見つけたのだ。
皇帝は物を隠すことに才能があったり物を隠す訓練を受けたりしたわけではない。人外兵に任せただけである。
隠し方は雑で、ある程度目端の利く者であれば普通に片付けてあるのと変わらない状態。近くを通れば一発で見つかるのも不思議な話ではない。多くの人間が重い物を大量運搬した形跡を見付けた兵士がその跡を辿ると、山のように積まれた財宝が発見されたのだ。
マキとの合流は財宝が無かったからそうしようと考えただけで、本来の仕事ができるのであればそちらを優先するのは当然の流れだった。
ウォルターのところに向かった仲間に連絡を入れる事も考えられたが、伝令が報告を上げようと、何もしないでウォルターらと合流して戻ってくるのを待つのと何ら変わりない。
彼らは自分たちだけで当初の仕事を黙々とこなしていた。
そうして6日が過ぎたころ、ウォルターたちが戻ってくる。
その数を、大幅に減らして。
何故かマキも一緒だったがそれは大きな問題ではない。
合流した兵士らと共に財宝の持ち出しを進める。
7日が経った頃、マキと行動を共にしていた兵士が来ないことが問題になる。
マキが最後に別れた場所と現在地を考えると、移動には1日もかからない計算になる。だというのにまだ合流しないというのは、何らかの問題が発生したと考えられ、マキを含む500人が調査隊として派遣された。
それに彼らは2食分の食料を携行していたが、それ以上の荷物を持っていない。残りの食料はマキが持っている。放置すれば危険という判断があった。
「……何が、あったんですの?」
目の前の光景を見て、マキは呆然とした表情で呟いた。
【アキュリス大峡谷】の順路が完全にふさがれ、切りたった崖の片方が完全に崩壊していたからである。
順路を塞ぐ岩の壁を越えて様子を窺えば、崩れた崖が4~500mも順路を埋める、仲間たちを全滅させた土砂である。
その光景を見て生存者を期待することなどできない。
マキはどう見ても連合軍2000人の兵士が全滅していると打ちのめされた。
ショックで動きを止めたマキに代わり、同じように岩の壁を上った兵士が周囲を見回す。
すると、崩れた崖の反対側に倒れた人影を見つけた。
人外兵や外法兵は倒したら魔力に還るため、兵士はその人影を仲間の死体だろうと考えた。せめて連れ帰って弔おうと、死体のそばに駆け寄る。
「フリード、さま?」
その人影に近寄った兵士は、それが誰の死体かを知って悲痛な表情を浮かべた。
兵士はチランの出身ではないが、共に行動をした者として、有名人のフリードの顔と名前、立場ぐらいは知っていたのである。
いや、剣と魔法の腕の事も知っていて、彼ほどの剣士を知らなかった兵士にしてみればフリードが殺されたという現実が理解できなかったのだ。
フリードの死体には多くの傷があり、それが何者にやられたのかを想像するのは容易である。
悔しさのあまり叫びたくなる気持ちを抑え、兵士はフリードの顔の汚れを拭ってから、その体を持ち上げる。
全身の傷は、最後まで戦士として戦ってきた証拠である。
崩れた崖に押しつぶされるような死に方をしたのではなく最期まで戦士として戦いぬいたであろうフリードを誇りに思いながら、兵士はマキのところを目指した。
フリードの死、【アキュリス大峡谷】攻略部隊の全滅の報はすぐに届けられた。
マキがいなかったから全滅したのではないかという意見もあったが、それはあの場に残った兵士たちに対する侮辱とも取れ、マキの責任を問う声は無い事は無いが、マキが表だって非難される事は無かった。
何があったのかという話は皇帝が攻めてきた、進路と退路を塞がれて襲われたとされ、その犯人と手段の方は大きく議論される事が無い。崖を崩す方法についてはどちらがやったのかという疑問もあり、
その後フリードの遺体は防腐処置を施され、すぐにチランに運ばれる事となった。
チランの王弟という立場もあるが、それ以上に優れた戦士としての彼へ、多くの将兵が敬意を抱いていたからである。
他の遺体については土砂に巻き込まれ損傷が酷かったため、その場で火葬される事となった。
財宝運び出しの仕事はウォルターがどうにかしたため早めに終わったが、それでも新しく紛れ込んだこの仕事は多くの兵士の気持ちを乱した。
【トリアイナ大森林】で仲間を失った事も合わせ、すでに5000近い死者が出ている。ここに来た当初は1万2千だったことを考えれば、10日に満たない間で約半数が死んでしまったのだ。意気消沈するのも無理はない。誰もが涙をこらえながら作業に従事する。
結局、遺体の引き上げに4日もの日数が必要とされた。
最後の仕事、皇帝の捜索を残して舞台は最後の局面を迎えようとしていた。