【トリアイナ大森林】撤退戦
たった2時間でも仮眠をとったことでウォルターの魔力は4割程度まで回復し、ある程度の時間なら戦闘が可能な状態になった。
無論、ダンジョンを脱出するための2日間を戦い抜けることは出来ない。狭い通路を利用し、少人数で足止めして時間を稼ぐのが前提だ。
そして足止め要員は生贄とも読める。
ウォルターがそのことを知れば難色を示すだろうから、部隊長たちはウォルターに最前列で戦うように“お願い”し、後ろを向かせないように仕組んだ。
ウォルターはそのことを疑問に思わず、女神の使徒とともに敵の作る壁を突破することに意識を向けた。
この状況に焦っているのは皇帝である。
援軍が来ることを考えておらず、このまますり潰せば勝てると思っていたところに邪魔が入った。しかもウォルターが逃げようとしている。
皇帝はウォルターの事を潜在的な危険要素として認識しているため、ここで逃がせば未来の自分が危ういと恐れている。
今はいいが、新しく魔力だまりを占拠しないと魔力がどんどん目減りしていく。戦力を用意することができなくなる。
そうなればあとは消滅するしかなく、それを許容できない皇帝は次の一手を考えた。
手持ちの戦力はすでに5000程度しか残っておらず、追加の戦力は用意できない。数は互角に持ち込まれた。
ウォルターらは気が付いていないが、このまま籠城されても守り切られて終わる運命が待っている。
切り札はあるが、それを失敗すれば終わり。
敵であるウォルターらの兵力は約5000。
満身創痍、疲労困憊といった有様であるが、それでも油断できない強さがある。皇帝は精霊魔法や生命魔法の知識を持っていないが、敵対したことで脅威であることは理解している。
相手が万全なら個々の強さで劣る事は明白で、連携などまで考えれば手持ちの軍勢でウォルターを殺すことは難しい。
足止めを重視して持久戦に持ち込み、体力を削り切るのが正解だろうと皇帝は予測した。
切り札の投入はウォルターがダンジョンを出たタイミングで行う事にした。ダンジョンから脱出した一瞬が最後の好機だと、油断するだろうと賭ける事にしたのだ。
ダンジョンの奥、魔力だまりの部屋は徹底的に破壊されている。
ここにはもう何も残っていないと判断され、破棄された。
この事はウォルターも確認済みで、少なくとも何かある可能性は非常に低いと判断された。
事実、ここにはもう何もない。
ウォルターたちは、少なくとも作戦目的は達成した。
あとは生きて帰るだけである。
「これより、ダンジョンを脱出する! これ以上の死者を許さず、みなで生きて帰るぞ!!」
「「……」」
部隊長らが兵士を鼓舞するが、どうにも兵士たちの士気は低いままだ。
この逃避行の、最大の問題を分かっているからだ。
すなわち、「ダンジョンから出ても状況は変わらないのでは?」ということだ。
ダンジョンから出ようと、敵がいなくなるわけではない。
ダンジョンから敵が出てくればそのまま戦闘は継続され、単純に生き残ろうとするならこの場で戦場を限定しつつ戦うべきではないだろうか。
そういったネガティブな考えが兵士たちの頭の中にある。
それに、迎撃戦より撤退戦の方が難易度が高い。
生き残るために死地に向かう覚悟が無いわけではない。
それでも、表で生き残れと言いつつ、裏で死んでくれと言う上官に思うところが無いわけではない。
兵士たちも人間なのだ。長く続いた苦境の先で感情を抑えきれるわけではない。
せめて、表立って「ウォルターを生き残らせるために死んでくれ」と言ってくれればまだ吹っ切ることができたのだが……。
場の空気は良くない。
それでも撤退戦は始まる。
これが正念場と信じて。
皇帝側は戦力の消耗を抑え、最後の一手に全てを賭けている。
そのため初日は先頭を行くウォルターの前に人外兵が現れたぐらいで、他はほとんど被害を受けない。
そのウォルターの前に現れた連中も、足止めや囮で正面から現れるか、十字路の側道から不意打ち気味に現れる者ばかりで、はっきり言えば脅威にもならない連中であった。
正面はウォルターが駆逐し、側面からの奇襲は女神の使徒が即座に潰す。
基本的に通路が狭く敵は多数で現れないため、迎撃戦よりも楽に戦いは終わる。
ウォルターを消耗させることに人外兵を投入されたため、軍にはさほど被害が出なかった。
この日は無事に野営地まで辿り着き、不寝番を立てつつゆっくり休むことになった。
被害が大きくなったのは夜中で、睡眠中の兵士を起こして体力回復の邪魔をしようとしたのか、何度も襲撃を受けては外周の兵士が叩き起こされる羽目になった。昼間は出なかった被害もこの時ばかりは200の死者を出すに至ってしまう。
ウォルターは一番安全な中央で眠っていたため、敵が来ても起こされることなくゆっくり休めた。
2日目の午前。
今度は人外兵が後ろから襲ってくる。
逆に前を行くウォルターは全く人外兵と出遭わず魔力は温存され回復していったが、ウォルターの精神力はガリガリと削られていった。
ウォルターの前に出て来る分には被害を抑えられるのだが、後ろから追撃をかける様に攻められると、どうしても被害が大きくなる。
自分の与り知らぬところで被害が出ているかも、と思えば、冷静さを維持するのは難しい。
ならば逃げる道を安全にしようと周辺の敵を探すが、結果は芳しくない。
皇帝は前日が失敗だったと判断し、魔力を削るのではなく感情を乱す方に作戦を変えていたのだ。
皇帝の作戦は功を奏し、ウォルターは抑えきれる限界まで苛々としてしまう。
2日目の夕方。
ようやくダンジョンの外が見えてくる。
この時ばかりはウォルターも苛々を忘れ、僅かに気が緩む。
が、完全に楽観視するほど気を抜く訳は無い。ウォルターは足を止め、女神の使徒から数名が周辺の状況確認にと前に出る。
伏兵を警戒しての行動だが、視界に映る景色に敵の姿は無い。
周辺を確認したことで、最後まで残っていたはずの警戒心が薄れた。
……油断をしてしまった。
ウォルターは周囲を仲間で固め守られつつ外に足を踏み出す。
そして、完全に無防備な状態で不意打ちを受けた。
「地中!?」
「ウォルター様ぁ!!」
皇帝の切り札。
剣の形をしたものが、武器型人外兵が、ウォルターに襲い掛かった。
ウォルターの半径20m。そこから飛びだす100の刃。
同時に、周囲の木々から外法兵――黒一色の、影法師のような姿の敵兵が200。いや、ここだけでなく、他の場所に配置された外法兵も一斉に軍に襲い掛かっている。総数は2000。皇帝の持つ、残る全戦力である。
地中という普段意識を向けない場所からの急襲。外法兵は影に溶け込むことで存在を限りなく薄くして少し離れた場所から不意打ち。救援は他の外法兵で抑える。
この特殊な能力はここまで使わず温存してきた。というより、外法兵を最小限にして人外兵を主力にしてきたのはこの時のためだ。人外兵との戦いに慣らすことで外法兵との交戦経験を積ませない意味もあった。
だから斥候に出た者は目に見える物だけで敵の有無を判断してしまった。
まずは武器型で確実にウォルターの護衛を削り切る。上手くいけばウォルターに手傷を負わせる。
次いで外法兵が襲い掛かれば、きっと殺せる。手傷を負わせていなくても数の暴力で攻めれば勝機はある。
皇帝はそう考えていた。
だが。
ウォルターの肩の上には小さな何か。
今のマキが本体と言う、一匹の鼠が。
足元から出てきた武器型を全て砕いた。
ウォルターや皇帝を含め、それを見た全員が完全に思考を止めた。
何が起きたのか分からなかったからだ。
「チュー!!」
ネズミの鳴き声が響く。
ウォルターの方を見ていなかった者たちと外法兵の間では既に戦端が開かれている。そこに早く参戦しろという声だ。
我に返ったウォルターたちはすぐに敵に向かっていく。
結局は多少被害を出したものの、軍は勝利をおさめ、生還を果たす。
最初に送り込まれた2000人。
援軍にと向かった4000人。
合計6000の兵士は3500をわずかに超える程度に数を減らしたが、それでも目的を果たし、生きて帰った。
辛勝とはいえ、勝利は勝利。
「俺達は、生きている! 生きて、国に帰れるんだ!
だから! 勝鬨を上げろーー!!」
「「「うぉおおぉぉぉっ!!!!」」」
だから勝利を祝う声が響き渡った。




