本当の交渉(裏)
ウォルターとメルクリウスの会談はその後も行われ、「何をするか」という大きな枠組みと、「互いが守るべきルール」という細かいところまで決められ、明文化された条約の締結を以って一度終了という流れになった。
二つの組織が協力体制を取るにあたり、“女神の使徒”側から精霊魔法の訓練が行われることになった。
これは一見すると軍事機密の流出で戦力格差が埋められる愚行のように見えるが、それ以上に精霊魔法を教える事で他国に恩を売り、仲間に引き込む利点があった。
昔であれば帝国の仲間としてチランを支持するチラン以外の連合各国も、今では友好的他国程度の間柄であり、政治的に有利になる材料として“女神の使徒”との確執を突いてくるような関係だ。今回教える事になった精霊魔法は初級だけと気休めにしかならないが、それ以上の魔法があると分かれば連合各国がチランを蔑にする可能性はゼロに近くなる。逆にチランと組んで包囲網を作る可能性も低くはないが、ウォルターという監視役に対して強硬手段を取るとは思えず、危険性はそこまで高くない。個人が暴走する可能性については今更だ、それを避けたければ身内以外の全てを諦める必要がある。
そして。
最も重要な事として、ランク8ダンジョン【精霊の庭】を使い、マキの後継を顕現する許可が下りた。
これに対してチラン側からは人員を出さず、ウォルターらが独力で行う事が条件に挙げられている。
チラン側は余剰戦力などないし、現状維持で手一杯。
“女神の使徒”側は戦力の底を見せたくない。
互いの思惑が一致した形である。
チラン側は“女神の使徒”がウォルターの安全を考慮しないとは思っていないため、ウォルターがダンジョン内で死ぬことは考えていない。
攻略期間については1ヶ月以内と定められ、その半分の15日が経過した時点で終わりそうにないと判断した場合は即座に帰還することが求められた。これは他国の兵が来るまでの時間を基に算出されたため、反論は全て封じられた。
他国から来る兵の訓練はウォルターしかできない事があるし、“女神の使徒”の応援が行う精霊魔法の訓練でお茶を濁すにも限界がある。そう考えれば妥当な設定であり、強く反論できる話でもない。
契約違反には罰則まで定められ、絶対に戻ってくることを約束させられた。
ここまでが、表の話し合いで決まった内容である。
「して、その……『ホムンクルス・カーディアン』じゃったか。それは、量産できんのか? いや、ダンジョンを涸らす部分だけで構わんのじゃが」
「僕には無理です。マキなら、できるかもしれませんけど」
「むぅ。本格的に、一度話をしてみたいものじゃな」
表とは別に、裏ではウォルターとアレスの間でいくつかの密約が交わされていた。
それはマキ達を顕現する代償「ダンジョンを涸らす」という結果についてである。
現状、大都市近辺のダンジョンは人の管理下に置かれている。多少大き目の都市は何とか近くのダンジョンを管理している。
しかし、小規模な村や今回戦場になった旧帝都周辺のダンジョンは管理できない状態にある。特に旧帝都のダンジョンはランクが7と無視できない規模で、これを放置してはどれほどの災害を引き起こすか分からない。だから管理者が必要だ。
ただし管理するにしても「どこの誰がどれだけの戦力を、物資と戦費を出すか」といった問題になり、簡単に決まる話でもない。
だから、ウォルターの申告通りホムンクルス・カーディアン作成に伴うダンジョンの魔力枯渇を利用したいというのがアレスの考えだった。
可能ならばダンジョン管理が負担になっている地方にも同様の処置を施し、ダンジョンを潰してしまいたいと考えたのだ。
似た様な事はこの世界の為政者のほとんどが考える話だ。
ダンジョンという「資源」は確かに魅力的だが、小さなダンジョンであれば攻略が簡単でも実入りが少なく、大きなダンジョンであれば戦力の維持が無視できない負担になる。また、管理するには遠すぎるダンジョンも問題で、ある程度近場であっても手が回らないというのは珍しくない話である。
だからアレスの相談は至極まっとうな内容で、ウォルターに話を持ちかけたのは当たり前と言えた。
しかしウォルターは自分1人でホムンクルス・カーディアンの魔封本を作れるわけではない。参考資料として渡されている原本は一部がブラックボックス化され解析できないようになっているので、独りで学んだところで限界がある。
そして魔封本そのものを他者に渡すほどウォルターは迂闊ではないので、他の誰かを頼る気など無い。
手札全てを晒しては交渉にならないので、まず「自分は作れない」という情報のみを開示し、「マキなら製作可能である」事を隠した。どちらにせよ本人がいなければ意味の無い情報なので、真偽の確認は行われないし、できない。
それに、だ。
この世界のダンジョンを作ったのは救世教会の女神である。作った理由も「人間同士が争うのを防ぐため」となっている。
“女神の使徒”の神殿でそのことを学んでいたウォルターは、ダンジョンを涸らすことが正しい事とは考えられず、出来れば断りたいという気持ちがあった。
人類保護のつもりでダンジョンを涸らしたら、戦争で大勢人が死にました。
さすがにそれは間が抜けているというか、考え無しな行動だ。ウォルターは協力出来ないという事で話を終わらせるつもりである。
アレスの側も否定的な空気を読み取り、ウォルターの下手な誤魔化しを深く追求しない。
ただ、ダンジョンを潰すというのは確実に利益になる話で、諦めようとは思っていない。出来ると分かっただけで大きな成果だ。
皇帝がダンジョンを涸らしたうえでその魔力を利用していることから、そこで使用されている技術を入手し、実用化してみせると密かに決意を固める。
今回の交渉はそのための仕込みであり、「マキに頼ってダンジョン枯渇を成そうとしている」というミスリードが目的である。本命は自分の手で技術再現を行う気である。
ウォルターは自分の情報を隠す方に意識が向かい、アレスの思惑には気が付かない。女神の神託として皇帝討伐を行うのだから、その悪行の結晶、ダンジョン乗っ取りから始まる一連の技術をアレスが入手しようとしているとは考えていない。
為政者と個人の間には、考え方に大きな隔たりがある。
技術そのものを悪とせず技術を使う人間の善悪を問うような考え方を、ウォルターはしていない。
ウォルターやチェルノーはアレスの真意を見抜けず、彼らの行動への対策を怠るのだった。




