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本当の交渉

 基本的に、引退したアレスが孫の政治に口を挟むことは無い。

 よって、本来であればこの会談でも無言を貫くつもりでいた。


 だが、さすがに致命的な状況に陥ると分かっていれば口出しせざるを得ない。

 このままでは。

 メルクリウスは致命的な間違いを犯す。

 チランを守護してきた者として、その先にある不幸を見逃すわけにはいかなかった。



「すまぬな。今回の会談はここまでのようじゃ」


 突然口を挟んだアレスは、ウォルターらに向かって片手を上げて終わりを宣言する。

 ストレスに耐えつつようやくゴールまでの道筋が見えてきたタイミングでの終了に、反論しようと口を開きかけたウォルター。だが、自身もここが引き際で、これ以上追い詰めるのは得策ではないと口を噤む。

 完全勝利という言葉は目指すべきゴールに見えてしまうが、実際は目指さない方がより多くを得ることができるのだ。



 ウォルターが大きく息を吐き、疲れた表情を見せた。張っていた気は緩み、安堵からか口元が少し弧を描く。

 逆にチェルノーはここからが本番とばかりに表情を引き締め、アレスを睨んだ。


「ふむ……急に終わりというのは、いささか強引で張りませんかな?」

「会議、会談などは実があってこそ行う意味があるもの。何の実も無いお喋りをする時間など、お互いに無いでしょう」


 チェルノーもこれ以上の話し合いに必要性を感じてはいない。だがアレスの発言は横紙破りであり、安易に許容しては体面が保てない。その為、形だけでも苦情を言う必要があったのだ。

 アレスの方もその事は分かっており、大したことではないとばかりに軽く流す。


 その後、形式ばかりのやり取りをアレスとチェルノーが何度か繰り返し、正式に会談は終了となった。

 そして、場外戦闘――とは言っても言葉だけのやり取りだが――が始まる。





 公王メルクリウスとの会談が終わり、ウォルターとチェルノーは部屋の外に出る。

 と、廊下に出たところでアレスが二人のそばに寄った。


「先ほどは済まなかったな」


 公式の場が終われば後は非公式。アレスは何のためらいも無く頭を下げた。本来は主となる者ではなかったというのに話に嘴を差し込んだことに対する謝罪だ。公王の対面に立った者への行いとしては、それは非常識の部類に入る。

 会談の中でも謝罪を口にしたが、頭を下げたわけではない。こうやって頭を下げる事で正しく謝罪し、あとは相手の(ゆる)しを得て無礼を清算しようという訳だ。


 だが、ウォルターらも交渉の基本ぐらいは教わった。簡単に言質を取られない手段ぐらいは口を酸っぱくされて教えられている。非公式の場になったからといって油断したりはしない。


「頭を上げてください、アレス様。アレス様の立場では仕方のない事でしょう」


 謝罪に対し、微笑みを浮かべて頭を上げるように言うウォルター。


 この言葉だけ見ると赦しているようにも見えるが、「もういいです」「気にしていません」とは口にしていない。そうやって「まだ許したわけではない」という立場を維持しているわけだ。

 アレスは内心で苦笑し、メルクリウスの不見識に文句を言う。


 アレスはウォルターの事を「ただ言われるまま流される子供」で「貴族の常識に疎く、やりやすい相手」と聞いていた。

 それは一緒にいた間は間違いではなかったが、今となっては間違いでしかない。子供だというなら成長することも含めて子供ということ。ほんの数日で成長する「子供の伸びしろ」を甘く見た失策である。

 ウォルターが学んでこなかったことだからできなかっただけであり、正しい教えを受ければその限りではない。


 先ほどまでのやり取り、そしてこの対応でアレスはウォルターを難敵と認めた。

 ……付け焼刃かつ、経験不足の新米交渉人を。



「それで、何用ですかな?」


 アレスの謝罪を中心に会話を長引かせると、そのまま赦しを求められる可能性が高い。なのでチェルノーは手早く話題を変えた。

 会話に置いて引き際は重要だ。アレスは会談での失点を軽傷に抑えることを諦め、少し踏み込むことを選んだ。


「何、食糧支援を行おうと思ってな。満足な糧食さえあれば動かせる戦力が増えるのではないかと思ったのじゃ。

 そちらの戦力がいか程かは分からぬが、そこまで多くは無いのじゃろう? ならば食料の余剰生産には難があり、動かしたい戦力に対し思うほどの糧食を用意することも叶わぬのではないじゃろうか。

 幸い、チランは食料関係に余裕があっての。得手である分野で支援を行おうと考えているのじゃよ。無論、無償でな」

「ほう。しかしそれはいつ戦端を開くのかも分からぬ今から心配することですかな。戦力がどの程度かも確約できないうちから決めても良いので?」


 アレスは新しい支援の話を持ちかける。

 対するチェルノーは具体的な言葉を使わずにそれをやんわりと断る。自分たちの総力を把握させないためにも具体的な数字を出すこと拒否しつつ。


「ははは。お恥ずかしい話ですが、大きな組織というのはお役所仕事になりがちでしての。早めに計画書を出し予算を確保せねば動けぬ部分もあるのじゃよ」

「成程。小回りが利かぬのですな」

「ええ。例え王でも書類が無ければ動けぬのが辛い所でしてなぁ」

「あっはっは。では()に話だけはしておきましょう」

「すみませんなぁ」

「いえいえ。お気遣い有り難うございます」


 アレスの申し出に、チェルノーは舌打ちしそうになった。

 このやり取りを受けた場合、“女神の使徒”の総戦力と食糧生産に関する情報が漏れかねない。最終的には断る一手しかないのだが、受けようが断ろうが「貸しひとつ」になるのが支援という名の交渉だ。

 面倒な話ではあるが、一方的に何の説明も無く支援を断るというのは不誠実にあたる。組織としては理路整然とした、誠実な対応が求められてしまう。


 物資の支援はメルクリウスが相手に不快感を与える可能性を考慮して申し出なかった範囲だ。相手を格下、戦争の準備すらできない弱小集団と侮る事にもつながるので。

 だからそれを盤外(・・)で持ち出し「何が起きても非公式な出来事」として処理するつもりなのだ、アレスは。



 「公式な話は終わっている」ので「相手が怒っても問題ない」という発想。それは最初に「相手が話を蹴っても構わない」と前公爵殺害を公言したチェルノーの戦術と似ている。

 最後にやり返された事実をもって、ウォルターの人生初になる会談は終了を告げた。

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