ウォルターの反撃②
チランの執務室。
1人で作業するためだけの、そこまで広くは無いその部屋に、5人が集まった。
執務室の主、メルクリウス。
その弟にして天才剣士、フリード。
彼らの祖父、アレス。
女神の天使、ウォルター
“女神の使徒”の枢機卿、チェルノー。
あまり大勢の前で出来る話し合いではないので、ごくごく少数での非公式な会談だ。
都市の中まで仇敵であるテロリスト集団“女神の使徒”が入り込んだ、それも幹部クラスが単身で。
もしこのことが周囲に知られた場合、外聞が悪いなどというレベルではない。もしも“女神の使徒”がその気になれば都市内に致命的な被害が出るという証左であり、チランの危機管理体制が疑われてしまう。チランの住人に不安が広がり、大混乱が起きるかもしれない。
ただ、これは逆から見れば“女神の使徒”は一般人に手を出さないという無言のメッセージでもある。
出来るけど、やらない。
自分たちが戦う相手はかつての帝国貴族と軍人だけという主張であり、無差別殺人をするような狂人集団ではないというわけだ。
穿った見方をするのであれば、それは人道的な理由ではない。
これは他の都市に援軍を求める大義名分を与えないためであり、“女神の使徒”が一筋縄ではいかない集団であると考える事もできる。
メルクリウスはそこまで想像し、警戒を強めていた。
対するチェルノーとウォルターはメルクリウスを説得するのが最初の目標であり、駄目であってもこの場で敵対しない程度に場を荒れないように話をするつもりだ。
だからこそ予想できる話の展開をみんなでいくつも考え、対策を考えてきた。問題は想定外の展開になる事で、そうならないようにするにはアドリブ能力が必要だ。
2人は既定路線で話が進むよう、深く祈っていた。
なお、残る2人のうちフリードはメルクリウスの護衛で、話し合いに参加するつもりが無い。
アレス翁もすでに現役から退いた身なので、本格的にまずい行動を起こさない限り口を挟むつもりはない。
この2人は最悪の事態にならないよう、喧嘩別れしないようにと考えていたが、そのために積極的に動かないのでそれなりに落ち着いていた。
「全員そろった、よね」
全員が揃ったところでメルクリウスが話し合いの幕を切った。
「初見の方もいるし、まずは全員自己紹介から入ろうか。
私がチランの公王、メルクリウスだ。この非公式の場では立場は忘れないが王としての権威・権力を振り回す気はないよ。忌憚無く、互いの本心で語り合おうじゃないか」
メルクリウスはそう言ってアレス翁の方を見る。
「メルクリウスの祖父で、アレスじゃ。
今は役職など持たぬ、ただのジジイじゃな」
「メルクリウスの弟で、フリード。騎士たちのまとめ役だ」
視線を受け、アレス翁とフリードが挨拶する。
「救世教会の天使、ウォルター」
「“女神の使徒”の枢機卿でチェルノーと言います。
チランの公爵を討った、本人でもありますな」
そして最後にウォルターとチェルノーが名乗る。
そこに軽くない牽制と、ちょっとした含みを持たせて。
案の定、目の前に親の、息子の仇を見付けたメルクリウスとアレス翁の視線が険しいものになる。フリードはあまり変化が見られない。
これは2人の名乗りのうち、所属の部分が違う事を隠す行為であり、同時にこの発言でチラン側がどういう反応をするかの試金石でもある。
序盤の牽制であればたとえ最大級の爆弾であっても理性で押さえつけるのが交渉役の立場だ。始まってすぐでは互いの主張や譲歩できそうな部分、協力できそうな話を一切していない。ここで怒りに身を任せるようであれば重要な情報を相手に渡さずに話を終える事が出来るし、ここで話し合いを続けようとする姿勢を持ってもらえればそれ以上の爆弾が無いのでこの後の話で相手が激怒する可能性は低くなる。怒りで理性で押さえつけるのがギリギリとなれば冷静な思考をできないようになり、場のコントロールが容易になる。感情論に固執するようなら味方にするのは到底できない話だし、そもそも話し合いをするほどの相手でなかったとして見切りをつける。
逆にこの情報を後出しをした場合は、この情報がバレるまでに冷静な相手からいくばかの情報を無自覚に引き出される恐れがあり、バレた段階で交渉決裂になる可能性も高くなる。
牽制によりメルクリウスはやや冷静さを欠いてしまったが、怒りに染まろうとする情動を理解し、それを抑えようと意識する。
相手の意図が分かっているが、だからといってメルクリウスには感情を完全に制御できるほどの強さがない。交渉の席を蹴る事の愚かさが理解できてもこの場でチェルノーを切り殺したいと思ってしまう。
ただ、アレスやフリードは武人としての考え方が強いので戦場の先にある結果に対し、冷静さを失わない。……殺意を覚えていないわけではないが。
こうしてウォルターとメルクリウスによる言葉の戦いはウォルター優勢で始まった。