会談
大聖堂の中は見た目よりも広く感じる造りになっていて、ここがダンジョンであり、通常とは異なる法則に支配された空間であることを感じさせた。
大聖堂は外部もそうだったが、内部もまた数多くの装飾が施されている。壁に掛けられている絵画やタペストリなどは女神が降臨した時代の伝説を物語のように描いており、使われる装飾もそれをより深く表現するために放つ雰囲気を統一させている。
人がモンスターに襲われる絵から始まり、苦難の時代、人がどれほど怯えて暮らしているかを描いたタペストリなど。
女神の登場と、付き従う精霊やモンスターたち。人を守ろうとする絵や傷付いた人を癒やす女神の姿。
人々に笑顔が戻り、女神を崇める衆生たち。
いずれ集った人は国を興し、力を付ける。それを見届け、地上から去る女神。
人は苦難の時代を忘れ、酒色に耽る。そんな人間たちを諌めるかのようなモンスターの大量発生。
ダンジョンがモンスターを生んでいることを知った国はダンジョンを治めるために兵士を動かし、各国は争いをする余力を失う。
平和になった世界だが、ダンジョンとモンスターという枷は重い。緩やかに荒廃していく人の世界。ここで物語は終わりを告げる。
言葉にされるでもなく、ウォルターはこの世界の歴史を知る。
こういった情報は一般人には公開されておらず、正しい歴史などは王侯貴族ですら学べない、貴重な情報だ。このタペストリの語る歴史がどの程度正確な物かは誰にも分からないが、外に出回っている歴史書よりは人の手が加わっていない。外の歴史は為政者により都合よく捻じ曲げられ、作られたものが多いので。
そしてウォルターは考える。
この道を通り、この歴史を学ばせたことにも意味があると。
おそらくだが、ここから得られる情報を自らの正当性の主張とし、チランなどの国家勢力から切り離したいのではないかという推論だ。
ウォルターを自分たちの言葉で操る事は下策であり、持っている情報を多角的かつ公平な物にすることで自発的に選んでもらえるようにという意図を感じた。
最終的には自分の意思を尊重するあたり繊細かつ不確定要素の多い方法であるが、意思を押し付けるよりは上品なやり口である。
が、それでも「自分たちの方法論で行動を操作できる」と考えているとすれば、それは表面化しておらずとも傲慢な考え方と穿った見方をできるかもしれない。
ただ、ウォルターは彼らに対し、考える事を求められていると好意的に解釈した。
しばらく歩き、通された部屋は小さめの会議室。大人数を収容できるわけではなく、並べられた机などから見ても4人、狭くなっていいとしても6人が上限だ。
ただ、狭いとはいえ調度品は上質であり、座る椅子も柔らかくウォルターを軽んじている物ではない。
使徒たちの内情としては、最高級品を集めた部屋を、見栄えが悪くならないよう、殺風景にならないように考え抜いた結果だ。一応窓のある、狭くとも閉塞感の無い部屋を選んで不敬にならないよう、細心の注意を払っている。
部屋に入り席に着くと、どこからともなく現れた若い女中が飲み物を置く。女中はそのまま部屋の外に出てドアを閉じ、部屋の中にはウォルターと教皇、ユリアン、まだ名乗っていない枢機卿の4人になる。
まず最後の枢機卿がホロゥと名乗り、書記役として会話に加わらないことを前提にこの場にいると自身の役割を説明する。
この場にいる全員の名前をウォルターが把握して、会談は始められた。
今回の会談は、ウォルターにと手は行動方針の決定が主目的となる。
彼等“女神の使徒”がどの程度の力を持ち、どこまで自分の考えに同調してくれるか知り、そこから行動計画を考えるつもりである。
自身の願い、言うなれば戦略目標については揺るがないレベルで決まっている。だが、そこに至るまでの戦術がまだ形になっていない。だから、この会談でその見極めをしたいと考えている。
逆に使徒の側はというと、こちらの考えた非常に単純で“御使い様”を自陣営の象徴として祭り上げたいというだけ。ウォルターは警戒していたが、彼らは自分たちの個人的感情にウォルターを巻き込むつもりが無い。
ただし為政者の側に組み込まれることについては歴史的経緯からいかなる言葉を並べたてようとも拒否するつもりである。なぜなら、ウォルターらが生きているであろう数十年と、その後の数年までしか協調できないと考えているからだ。自分たちの次の世代がきっと手を取り合える限界。それ以上はまた敵対し、憎しみ合うだろうと予測している。
正しき信仰を守るためには為政者の外で自立したい。そこを譲るつもりは無かった。
「まず、こちらの目的は『マキの後継者、ホムンクルス・カーディアンの顕現』『皇帝の討伐』の二点です」
先制したのはウォルター。
まず譲れないラインを明らかにした。
これに対し、教皇の側は安堵する。その程度であれば協力することも容易く、神意に沿う考えであるからむしろ歓迎すべき話だ。
問題点を上げるとすれば『皇帝の討伐』で、これには戦力が足りない危険性がある。連合軍と協力する意思が無いので、その懸念は当然だ。
ほぼ全員が精霊魔法を習得している使徒たちにしてみれば、顕現魔法で現れたモンスターを奪う罠などはあまり効果を発揮しない。その点、兵士の質ではチランなどの連合軍より質が高い戦士を揃えられる。が、とにかく数の面で著しい差があり、トータルで考えれば頼りない印象となる。
ただ、この問題については『マキの後継者』という部分が補ってくれるだろうと素早く計算する。
教皇らは政治家としての側面も持つため、これらの思考を一瞬で済ませ、仲間と共有する。
信者としては如何なる難題も解決してみせようという気概を持っているが、達成できる・できないの判断はそれと別な冷静な部分が行うのである。神の願いを叶えられないといった不名誉を回避するためにも、こういった現実的視野は疎かにしないのだ。
「はい。我ら一同、全力を以ってお力添えをしましょう」
代表者である教皇はウォルターの考えに対し、素直に賛同と協力の意を表明する。対価が信仰心を満たす為なので、このあたりはスムーズだ。
だからウォルターは遠慮なく爆弾発言をする。
「ただ、皇帝を討つためには連合軍と協力する必要があります」
「我らだけでは、力不足と? 天使様からも、ご協力いただけるのでしょう。ならば我らを利用し利権を得ようとするハイエナに、餌を与える必要などないのでは?」
敬意を払う相手に不快感を示すほど、教皇は狭量でも愚かでもない。
だが何も言わずにいるのも間抜けであるため、真意を問うため、自分たちの力を侮られないためにも主張すべきことを主張する。
「被害が出ないとは思っていないよね? 今後も考えれば、自身の被害を最小限にするため、一番有効な手段も分かりますよね。だったら、利用してやるぐらいの気持ち、持てませんか?」
「それは……」
それに対するウォルターの回答は明瞭だ。
確かに、組織として損害を減らせるのであればそれに否は無い。反対意見を出したのは皇帝討伐後のいざこざを考えての事だが、どの問題を重要視すべきかと問われてしまえば、被害が少ない方がより重要と教皇は思い直す。結局のところ、どちらにせよ揉め事が怒らない保証はないのだ。
それに連合軍の戦力に被害が出る事も彼等のその後にとって有利に働く面があり、任務遂行の成功率上昇に加え自勢力の被害の減少と将来的な敵性勢力の戦力減が狙えるのだから、利だけで考えればそれが最上である。
だが。
「帝国、いや、今は連合国ですか。彼等との共闘は、難しいかもしれませんなぁ」
だが、これまで“女神の使徒”は「反帝国」を掲げてまとまってきた歴史がある。これは信仰にも似た感情の根幹であり、言われて簡単にどうこう出来ると教皇には思えなかった。
「一緒に行動する必要はないし、情報を共有して、皇帝の余裕を削らせるだけでいいと思うけどなぁ。下手に連携を考えても上手くいかないだろうし」
「人がどうにもできないものは数多くありますが、その中で最も困難なことは、己の心を偽る事でしょう」
そう言って教皇は頭を下げた。