枢機卿、そして教皇
チマチマと勉強、そして皇帝への考察を進めると、期日はあっという間に迫ってしまった。
ウォルターは自分のやるべきことを頭の中でまとめ、約束を守るために明朝、東門よりチランの外に出る。
外に出てどうしろ、という指示は無かった。
だが常識で考えれば門より離れるよう、道を進むべきだとウォルターは判断した。門を出てすぐに道が分かれているはずも無く、一本道を道なりに進む。
そうして10分ほど歩いたところだろうか? 門の監視から外れたあたりで森に潜む人の気配を捕えた。
「女神の使徒の、お偉いさんで合ってます?」
「御尊顔を拝謁賜る栄誉に与り、恐悦至極。“御使い様”に置かれましては――」
「長い、時間の無駄。そういった堅苦しい話し方はいいから。もっと手短にお願いします――って、“御使い”?」
ウォルターは出てきた男が何者かと誰何するが、男の方は敬意を以って接すべき相手であるウォルターにいちいち回りくどく装飾過多でしかない言葉で挨拶しようとする。
それらに価値を見出さないウォルターは当然のようにそれを諌めるが、すぐに一つの疑問を抱いた。
今まで、ウォルターの立場は“天使様”であった。本人の意思や考えを無視した形で。
そして今、“御使い様”と呼ばれた。
“天使様”ではなく“御使い様”?
言葉の意味がどう違うのか、すぐに判断できないウォルター。思わず疑問を口にする。
「天使様とは、我らが主に仕える高位の霊的存在です。
御使い様とは、我らが主に『直接』仕える人のことです。例えば我々は『勝手に』仕えているだけですので、御使いには成りえませんね」
疑問を持ったウォルターに対し、男は顔を上げすぐに回答を口にする。
ニコリと笑顔でこたえられるとウォルターの方も「ああ、そうなんですか」としか返しようが無かった。そんなウォルターに満足したのか、男は再び頭を下げる。
「“女神の使徒”で枢機卿の位を賜りしユリアン=バーナーと言います。以後、お見知り置きを」
今度は簡素に名乗りを上げた。
枢機卿というのは、女神の使徒という集団において教皇に次ぐ権力者だ。女神の使徒には6名の枢機卿がいるが、たった6名しかいないのである。それだけの人物を派遣するあたり、女神の使徒の本気が窺えた。
その事に気が付けるウォルターは、知らず冷たい汗を背中に流した。
「では、このような場所で長話をするのも宜しくありません。足止めはまだ大丈夫のようですが、油断することもできません。
場を改めたいのですが、それで構わないでしょうか?」
「それで構わないです。できれば、ゆっくり話をしたいので」
現れた男、ユリアンはウォルターの許し無く立ち上がり、今後の話し合いをしたいと持ちかける。
通常、頭を垂れた場合は上位者が許すまで頭を下げ続けるのが礼儀である。だが、そういった礼法に疎いというか馴染みの無いウォルターにそれをしろというのは、逆に負担を強いる。そこをうまく相手に合わせるあたり、この男はウォルターについていろいろと調べているというか、空気を読んで相手に合わせる事が出来る人間だと言える。
ウォルターの方も許す前から頭を上げたことに特に不満も無く、普通に応じる。そういった決まり事を「ただの無駄」でしかないと感じているのだから、むしろ型にはまった礼法で対応される方を無礼に感じる人間なのだ。この方がやりやすくてちょうどいい程度にしか考えない。
この場から動くと話が決まってしまえばあとは早かった。
ユリウスが先行し、ウォルターがそれに続く。
ウォルターがユリウスを信用するのが早いようにも見えるが、騙すのであれば手紙を出された段階で騙されているだろうし、準備期間など無く呼び出されたであろう。
ウォルターは『軍隊鼠』などは無理でも通常の『軍勢顕現』による巨大鼠の顕現ぐらいは先に済ませ、最低限の自衛を行っている。
それにウォルターはこの日まで女神の使徒側の思惑についてずいぶん考え、今後どうするべきかを考えてもいたのだ。ここで迷うくらいなら、そもそも顔を見せる事すらしない方が賢明なのだ。顔を出した以上、くだらない確認に時間を使う方が間抜けなのである。
2人はそのまま、女神の使徒の居留地まで足を運んだ。
女神の使徒の拠点は、街道から20㎞離れた森の中にある。
2人は体力的に優れ森に慣れている事もあり、2時間かからない程度でたどり着いた。
見た目は小さな村であり、木造建築の建物が並んでいる。
森を切り開いて作った畑はあるが、水源は見えるところに無い。精霊魔法が使える人間が多いので、魔法の練習を兼ねて自前で用意するのがこの村の特徴である。
ウォルターが村に足を踏み入れると、それより前から気が付いていた監視役から連絡が行っていたのだろう、村人――女神の使徒の構成員が総出で待ち構えていた。
皆が一様にひれ伏しており、ウォルターへの敬意を示している。それだけ深い信仰心を持っているという事だ。そして彼らは上位者の許し無く挨拶や自己紹介する事も無いので、無言のまま頭を下げ続けている。
ただ、それでも彼らにとってウォルターの面談が叶った今が至福の時なのか、歓喜の感情が並ぶ後頭部からでも察せられてしまうのがウォルターの気力を大きく削る。
ウォルターはそんな頭を地面にこすり付けるようにしている集団を見て、困ったような顔で横に立つユリウスの方を見る。ユリウスはというと、自身の常識に照らし合わせれば当然の対応でしかないので、苦笑で返すしかない。「何かお言葉を」と小さくアドバイスするのが精いっぱいだ。
「全員、顔を上げてください」
仕方がない、そんな感情が漏れてきそうな、どこか投げやりな言葉をウォルターは投げかける。そしてここにいる者の代表者であろう、集団の中心にいるひときわ豪奢な服装をした初老の男性に視線を向ける。
「知っているようですが、僕がウォルターです。貴方たちとの話し合いを望み、ここに来ました。言葉に面倒な装飾は要りません。話は簡潔明瞭にお願いします」
「私は救世教の教皇を務めさせてもらっている者です。名は神に捧げたが故ありませぬ。単に教皇とお呼びください」
その男はウォルターの考え通り、使徒たちの最高権力者たる教皇であった。