嚆矢、放たれる
その時、ウォルターらは『軍隊鼠』の話をしていた。
「では、通常の魔封札でも軍隊鼠は呼べるのですね?」
「うん。1枚の魔封札に付き100匹1部隊を顕現できるようにしてみた」
ウォルターが軍隊鼠で活躍したことで、小型モンスターが俄かに注目を集めた。その有効性・利便性について知れば、使ってみたいというのが人の常。各国で小型モンスターの研究が行われるであろうことが予想できるほどであった。
とは言えやはり数が欲しい小型モンスター。小型化までは簡単に再現できるだろうが、「群を扱うにはどうすればいいのだろう?」と、ウォルターに質問するものが後を絶たなかった。
ウォルターにしてみれば有用な知識をタダで流出させるつもりは無いが戦時下で共通の敵を持つ仲間相手という事を考慮し、有料の勉強会を開いていたわけだ。
ウォルターが扱う『軍隊鼠』は魔封本による顕現魔法である。
しかし、さすがに魔封本に関する技術情報まで流出させるつもりは無く、魔封札による多数顕現という、別の技術による再現をしている。この魔封札による多数顕現は旧ドゥウェルガル帝国の顕現魔法技術“魔封布”の応用なので、一応は周知された新技術の範囲に収まっている。
軍隊鼠は通常の巨大鼠と比較して1体顕現するごとに必要な魔力消費が少ないが、100体を一組として扱うため最終的には4倍程度の消費増加になっている。だがもともと消費の少ない巨大鼠。巨大ミミズを始めとするその他のモンスターと比較すればまだ消費が少ない範囲に収まる。
だが。
かつてウォルターが苦しんだ、とある事情により勉強会に参加した者たちは地獄をみることになった。
「すみません……もう無理です……」
「俺も……」
「うぁぁぁ」
座学が終わり実践訓練になると、100体同時顕現の“初”体験となる。
そうすると普段と違うフィードバックにやられ、訓練生はものの見事に全滅した。これには訓練に参加しなかった指揮官クラスの者たちも苦笑を禁じえない。
「こうなる事を見越していたのですか?」
「うん。僕も同じ目に遭ったし」
「経験者は語る、ですね」
実際に同時顕現を体験するにあたって、指揮官クラスは不参加という約束がされていた。使っている最中は無防備になるので、顕現以外、他にできる事が無くなるだろうというのが指揮官向きではない理由である。
だから情報を集める伝令や斥候といった役割の者が中心になって挑んだのだが、初心者に多数同時顕現は難しすぎたようである。
「慣れるまで最低でも1週間はかかると思う」
「練習用の魔封札は貸していただけるので?」
「貸出じゃなくて、購入の方が嬉しいかな」
「複数購入することが許されるなら、買えるだけ売って頂きたいところですね」
長い練習期間が必要になるのであれば、早めに数を確保して同時多数顕現に慣れた者を何人か育てておきたいと指揮官たちは考える。
「材料の都合で、ここでは10枚ぐらいしか作れないかな? また国に帰ってから数を揃えるよ」
「足りない材料というのを、お聞きしても?」
「巨大鼠の魔核だよ。さすがに、あんなのを普段から大量に持ち歩いたりしていないから」
「ふぅむ。周囲にいる野生の巨大鼠を狩らせましょうかな」
「それなら、材料持ち込みで作る枚数を決めようかな? あとは手間賃で」
「競争になると揉め事になり厄介ですから、1日ごとに依頼する枚数の上限を設けますか」
互いの妥協点をすり合わせ、落としどころがすぐに決まる。
話し合う者たちの中に商売目的、利益確保といった意識が無いため、調整はすぐに終わる。そして決定した内容に合わせて予定を組み、行動を開始するのだが。
「大変です! 元総司令殿の所に向かった兵士が、殺されました!!」
人を遣って巨大鼠狩りを命令した矢先に、凶報が届いてしまった。
「どういう事だ!? あの男が脱獄したとでも言うのか!!」
「逃亡の形跡はありません! 死んでいた者たちに傷跡はありませんでした!」
「……渡した毒を使われたとでも、言うのか?」
「現場に向かいましょう! 情報が少なすぎます!」
「それよりも周辺の警戒だ! 何者かの手引きにより逃げられた可能性を考慮し、逃亡の可能性を封じるのだ!
ウォルター様、『軍隊鼠』の展開をお願いします!!」
「分かった!」
「ならばワタシが現場に向かいますわ」
凶報は僅かに緩んでいたウォルターたちに少なくない衝撃をもたらした。
報告に上がった情報だけでは何があったのか判断できるはずも無く、より詳しい情報の収集が求められた。
また、元総司令の逃亡の可能性が現段階では否定できず、その対応も忘れてはいけなかったため、最も効率よく警戒網を敷けるウォルターがこの場に留まり動けなくなる。迅速な対応をするため、ここで軍隊鼠を顕現させる。
結果としてウォルターが周辺を警戒し、マキが別行動で現場に向かう。
それが最悪の選択肢であると、この時は誰も気が付けなかった。