戦後処理
まず、『軍隊鼠』は偵察任務を目的に作ったモンスターである。
しかしながら、その視覚情報や聴覚情報はシャットアウトされている。万の軍隊鼠からそういった情報を受け取ったところで処理しきれるはずも無く、特定の鼠だけから情報を得るといった手法も確立されていない。
ではどうやって偵察を行っているのかというと、自律行動を可能にさせる、条件を提示してそれに従わせる、条件を満たした時に行動を停止する、任意で追加命令を受け取る、たったそれだけの制御式を組み込んでいるのだ。あとはどこにいるか、どの命令を受けているか、命令遂行中なのか命令完了による待機中なのかが判ればいい。ウォルターは脳内に地図を作り、軍隊鼠の情報をカラーマップで認識し、最小限の情報のやり取りで指揮をすればよかった。
そのためこの段階でウォルター始め討伐隊の面々は総司令が傀儡兵である事を知らず、国家利益を理由に暴走した『愛国者』であると認識していたのである。
結果、討伐隊は総司令の処分で揉める事になってしまった。
人死にを出さなかったことで決定的な亀裂を生じなかったとはいえ、勝者と敗者、傍観者に別れた者が一枚岩になれる道理はない。
総司令から指揮権をはく奪し、討伐隊の代表だったリオンが総司令代行を務める事になったところまでは本人を除く誰もが納得した。結果を出したのだから当然の成り行きで、異論を唱えるには実績という覆し難い壁が立ちはだかった。
そう。そこまでは問題が無かったのだ。
いや、そこまでしかスムーズに話が進まなかったのだった。
代表者を集めての戦後処理で、元総司令の処分については完全に意見が分かれた。
「敗者に鞭を討てというのか!」
「生きて汚名を雪ぐ事こそ、生き残った者の務めだろうが!」
「武人としての名を穢し、生に執着する救いなどあるものか! 死者が出なかったからそれでいい、そう終わらないことは貴様らこそ承知していることだろうが!」
「死んで逃れる罪があっていい訳なかろう! 安易な道に行こうとしているだけではないか!」
「背後関係の操作、事の真相究明こそが重要視されるべきです」
「ですが、拷問などしたところで真相が明らかになるわけでもありますまい。ここで天使様一派の悪い噂が出ることをこそ、警戒すべきでしょう。得られるかもしれない利と、確実に出る不利。情による言葉ではありません。理と利による考えで行けば、喋らぬ言葉を引き出す旨味が足りませぬ」
「……ですが、今回の件は不自然な始まりとしか言いようがありません。正しき始まりを知り、今後の対策をせねば悪しき流れが繰り返されるでしょう。ここでその芽を断つ事をこそ、第一とすべきです」
「しかしですな。本国にすでに通達が向かっていますし、我らの中からこのような行いをする者はもう出ないでしょう。それを考えれば、対策はもう十分と見るべきでは?」
「では、なぜ、彼らが口を噤んでいるのです? 喋らぬ理由を明らかに“できない”理由は?」
「それは……」
「我々は知らねばならないのです。なぜ、彼らがあのような真似をしでかしたのか」
「それでも、採るべき手段は選ぶべきかと上申します。真実を知ろうとする事を諌めることはできませんが、その手段だけは、選ぶべきです。例えばですが、彼らが拷問の果てに嘘を言った場合はどう対処為されるので? 手段に見合う成果が出る方法を今から一緒に考えましょう」
処刑を声高に叫ぶ一派。
温情措置を求める一派。
背後関係を洗うため、拷問による情報抜き出しを求める一派。
おおよそ、この3つの派閥が論を戦わせている。
正確には処刑をするかしないかの議論と、拷問を含む情報収集を行うべきだという議論の二つがぶつかり合っているのだが。
処刑を求める派閥は、ウォルターを捕えようとした者が多い。
なぜなら、処刑とは名誉ある死であり、綺麗な終わり方という考えだからだ。
下手に生き残った場合、周辺との交渉材料として持ち出され、生き恥を晒し続けるどころか身内の邪魔者、重石としかならない。これはこの場を生き延びた後に自決しようと結果は変わらず、今この場で終わらねば、確実に将来の禍根になる。
そうなるよりも全てをこの場で終えねばならないので、処刑を求めるのだ。
温情を求める派閥は中立の立場を取った者たちだ。
彼らは生き残らせることによる政治的優位を求める者が半分と、あとは被害の少なさから減刑を求める人道的なものが半分といった具合だ。能力的なものを惜しんで、生かして罪を償わせようとする者も少なからずいる。
この派閥は数が多いものの主張に対する正当性に欠ける部分があり、残念ながら、勢力としては弱い。
拷問を求める派閥はウォルターらである。
彼らは総司令が自発的に行動を起こした可能性を考慮しつつも、第三者による干渉を想定している点が他と違う。
ダンジョン最奥からともに脱出した仲であるのだし、彼らは元総司令に対しある程度でしかないが、その人格に信頼を置いている。つまり、今回の事を本当に自分の意思でしたのかと疑っているのだ。
他にも偽者という可能性を考慮しており、途中で入れ替わった――もちろん彼らはダンジョン脱出後のタイミングを想定している――のではないかと考えた。
そうであれば非合法な手段を使ってでも真実を明らかにすることを優先し、今回の件について真実を明らかにすべきではないか? これがこの派閥の基本方針である。
よって今回の件は不問とし、正式な処罰ではなく法の外、闇に葬るタイプの行動に踏み切ろうとしている。問題は他二つの派閥から「それだけは駄目だ」とルールの範囲内で行動するように諌められている事と、拷問して得た情報に信頼性が欠けている事。拷問しようが真実を口にするとは限らないのだ。
「合法の範囲では守るべきものを守れない」「だが法を外れるのは最後の手段にすべきだ」この手の言い合いは線引きが難しいので、意見が通るかどうかは微妙な所である。
が、今回の件、ウォルターらにとっては違和感のある事件のため、まずはそこをはっきりさせ、納得したい。それならば他の方法を、と周りは言う。
自己申告の情報だけでいいじゃないかと言われてしまえばその通りなのだが、ウォルターらは元総司令に対して言いようのない不快感を覚えており、それが攻撃的な意見を主張させていた。
議論は白熱し、誰もが苛立ち始めた時。
それまで議論に参加していなかったマキが椅子で大きな音を出して席を立った。
マキは今回の議論に対し意見を言うでもなく、傍観者に徹していた。
というのも、マキの立場はウォルターの保護者というだけで、肩書を持っていないことに起因する。
重要人物であるのは間違いない。
しかし、身分などの肩書は「ただの一般人」のまま。ウォルターの護衛という形でこの場にいる事を許されているが、対外的な発言権はないに等しい。帝都を落とす戦いで一緒に戦ったわけだがほんの数撃で敵を蹴散らしたために、ダンジョン討伐軍との関係ほど連帯感が醸成されていないのだ。凄い魔法を使うと分かっていても、政治的分野にまで意見させてもらえるかは別の話となる。
だからマキは意見を述べることをせず、傍観していた。
そのマキが席を立ったことで、全員の視線が集中する。言葉を交わしていた者たちも、一人、また一人と、議論を止めてマキの方へと視線を向ける。
視線がある程度集まった段階で、マキは笑顔を見せてから一礼する。その穏やかな笑みは花が咲いたような明るさは無かったものの、見た者から苛立ちを取り除き、心を落ち着かせる働きをした。一人落ち着いた姿を見せるマキに毒気を抜かれたのだ。
荒れた場が鎮まり、誰もが沈黙する。
ここまでの喧嘩腰だった議論を恥じ、口を開くのが気まずいからだ。
誰もが言葉を放つことを躊躇する中、やはり最初に口を開いたのはマキだった。
「発言しても構いませんか?」
「うむ」
ウォルターの護衛でしかない彼女は、まず発言許可をもらう。
そして許可を得たところで持論を述べる。
「まず、元総司令は処刑で問題ありませんわ。その後に――」
マキは微笑みを絶やさない。そんなマキの発言に周囲の者たちは一喜一憂する。まるで彼女の言葉が決定権を持つかのように。
最初は賛同を得られた者は笑みを、意見を違えた者は苦い物を噛み潰した顔を、それぞれ浮かべていた。
だが、マキの発言を最後まで聞いていて表情を保てたのは誰もいない。ウォルターすら絶句した。
「――ワタシからは以上ですわ。では引き続き、議論を行ってくださいませ」
最後に彼女が魅せた笑みは天使のようであったが、悪魔のような提案のあとでは、人を安らかにする効果を持っていなかった。




