冤罪
更に5日後、軍はようやく地上に帰還した。
あれからも襲撃は変わることなく続けられたがそれはどちらかと言えば儀礼的なもので、追い詰めようとする意識が薄かった。戦力の集中運用が有効であるのはあの状況下でも変わらず、分散するにしても波状攻撃を行うか夜討ち朝駆けに代表される奇襲の形を取るのが上策であったはずだ。しかし皇帝は何故かそう言った戦略を選択せず、その理由はダンジョン内では明らかにされなかった。
しかし時間はかかってしまったが、ほぼ被害を出さずに地上に戻って来れたのだ。兵士たちは隠しきれない歓喜に身を震わせ、落ち着ける環境に戻り冷静になった事で失ってしまった同朋に対し涙を流し、結局皇帝を打ち取る事が出来なかったことに言い表せない不安を抱いた。
どのような結果であれ、終わった事は覆らない。それより過去を踏まえたうえで未来を作ろうとする方が建設的である。そのための英気を養うため、軍はミスリムへと戻り疲れた体を癒やすことにした。
地上に帰還したウォルターらは、ダンジョン内であった事を報告するために総司令や連隊長らとともにミスリム残留部隊の作戦本部に集合した。
ミスリムはダンジョン内の結果を待って、それ次第でどうするかを決めることになっている。もともと5000しか兵を動かさなかったのだ、失敗の可能性は想定の範囲内だったので任務失敗は咎められる結果ではない。
また、ウォルターは相談役のような立場だったので、この場に来たのは情報提供や対抗策としての人員育成の依頼をされるものだとばかり考えていた。
だが、作戦本部に顔を出したウォルターに、なぜか剣が付きつけられた。
「“天使様”。非常に残念ですが、貴方を拘束させていただきます。手荒なことはしたくありません、大人しく従ってください」
声をかけたのは今回のダンジョン攻略に最後まで一緒だった総司令。
彼がウォルターを見る目は仲間に向けるそれではなく、敵を見る冷たい光が宿っている。総司令だけではない、この場にいるマキ以外の全員が、ウォルターらを敵と認識しているようだった。
部屋には指揮官クラスの人間だけでなく護衛などの任を負った者も多数いる。そういった者たちが約20人おり、部屋の内外からウォルターを捕える為に武器を構えて待機している。
ウォルターもマキも、全く訳が分からなかった。
「事情を訊きたいんだけど? 理由が分からない」
「しらばっくれるな!! 我らを騙し、多くの兵を死なせた罪は重い!! 貴様の所為でどれほどの者が命を失ったと思っている!!」
とにかく状況を理解しようとウォルターが喋れば激昂した怒声が返ってくる。その言葉には大した情報が含まれておらず、これまでの行動と比較しても支離滅裂どころか言いがかりでしかない内容である。周囲の者も追従して「そうだそうだ!」「仲間の仇を!」と非難の声を上げるが、やはりそれは大して意味のあるものではなかった。
ウォルターはマキの方に目配せをすると、交渉役――というより、情報を引き出す役をお願いした。
マキの方もなぜこうなったのかを調べるため、言葉を選び、慎重に喋り出す。
「騙した、と仰いますが、具体的にはどのようなことを仰っていますの? ワタシ達が独自に行ったのは皇帝への牽制ぐらい。もたらした情報は敵兵の種類と能力、あとは皇帝の殺し方ぐらいですわよね? 何を以って騙し、味方を死に追いやったと言いますの?」
怒声の中、それでもマキは声を静かに響かせ、総司令や地上に残った軍上層部に質問を投げかけた。
が、返ってきた言葉はやはり虚偽に満ちた物だった。
「白々しい! 兵たちに無用な戦いを強いて余計な損耗を増やし、徒に地上までの道程を遅らせた! そうやって兵を分断し、休憩所の連中が全滅したのだろう!!」
「はい?」
「自分たちがおらねば立ち行かない状況を作り上げては崇め祭らせ、下らぬ理由で助けを寄越さず敵兵に味方を嬲らせ、神の如く振る舞う傲岸不遜! 獅子身中の虫とはよく言ったものよ、悪の禍根はここで絶たせてもらう!!」
「……理性があるか怪しいレベルですわね、これは」
マキと総司令の間に会話は成立していない。
マキは質問を投げかけるが総司令は言いたいことを言い続けるだけで意思疎通の欠片も無い。マキは総司令に見切りをつけ、周囲に話の出来そうな者はいないかを確認することにした。
だが、マキの願いは届かない。周囲にいる者達は全員が総司令と同じ様な目をしており、言っていることに不信感など持っていない様子だった。話にならないですわ、マキは小さく舌打ちした。
「ウォル、この場は逃げますわよ。明らかに正気ではありませんわ」
「了解」
マキは会話を愚行と諦め、早々に撤退することにした。ウォルターの方も先ほどの会話にもならないやり取りを聞いていたのですぐに同意する。
総司令らが何を考えてこのようなことを言いだしたのか二人には分からない。
だが従える内容ではないのは明白だ、二人は包囲をものともせず逃げ出した。
一応相手は人間であり、戦う事は選択しなかった。
だが実は、総司令をはじめあの場にいたのは皇軍と同じ、皇帝の傀儡である。
皇帝は皇軍が人間同様に喋る事が出来るのをひたすら隠していて、この場でようやくそれを利用した策を仕掛けたのだった。
商人らがこの戦争の前にミスリムを訪れた時、街の人間は普通に会話を行い人間らしさを持っていた。この時から街の人間は皇帝が傀儡としていたのだが、二人はそこから傀儡が喋られることを想像しきれなかった。
それはここまでダンジョン内で皇軍が一切人間らしい会話を行わなかったことに起因し、「皇軍=喋れない」という図式が二人の頭に強く印象付けられていたからである。
ダンジョン内での単調な戦闘はこの策の仕込であり、人間の軍とウォルターらを切り離す皇帝の陰謀だったのだ。
皇帝はマキが手ごわかったので戦って勝つことを早々に諦め、自分と敵対出来ない状況を作ることにした。
連合軍とマキが手を組んでいれば再びマキが皇帝と戦う未来はやってくるだろう。しかし、両者を切り離せば自分に挑む理由が減り、挑むこと自体が困難になるだろうと考えた。
マキが単独行動を行い、ウォルターらを襲う。乱戦に持ち込み、総司令を殺害し、自分の兵と入れ替える。マキが合流を優先していれば防げたかもしれない話であるが、それは結果論である。あの時はウォルターに余裕は無く、気が付くことが出来なかった。
そして討伐部隊とともに地上に戻ろうとするのを戦闘を仕掛ける事で遅らせ、マキ以外の全滅により予測不可能なことをしないよう致命的な損害を与えない程度に襲撃する戦力を抑えた。
同時に地上にいる指揮官らを暗殺し、自分の兵に挿げ替える。
あとは連合軍が不当な理由で二人を糾弾し、犯罪者に仕立て上げればいい。その後はそれぞれの本国にその情報を通達させ、事実として認識させる。
もちろんすべての国がそのことを信じるわけではないだろう。
だが、小さくない溝が生まれれば手を組むことが難しくなり、マキの側にだって連合軍を無条件で信頼するような状況を作れなく出来る。今回のように足並みを揃えることなど到底できない。
この策がバレるまでにはそうとうな時間が必要になるだろう。バレるまでにマキは周囲に不信感を募らせるだろうし、人間関係が悪化する。そしてバレたところで疑心暗鬼は助長されるので皇帝の側に被害はない。
皇帝の策は、確実にマキを追い詰めていた。