遅れる行軍
上層に移動してから進むこと3日。
あの日から、ウォルターの戦闘スタイルは一変した。
それまでは自身が戦場の真っただ中に突っ込み格闘戦を仕掛ける攻撃的なスタイルだったのが、自身が後方から全体を俯瞰して、攻撃を喰らいそうになる兵、特に致命傷を負いかねない者へ防御魔法を飛ばす支援特化のスタイルへと変わったのだ。
この変化により、ウォルターが担当する部隊の被害は激減した。これまでは復帰不可能になる者がほんの数名ずつ発生していたのだが、それがゼロになった。この3日間・6回の戦闘で死者並びに重傷者は出ていない。軽く手当てするだけで復帰可能な軽傷者が出るにとどまっている。
反面、戦闘時間はこれまでよりも2割以上遅延し、その後の休憩を併せると無視できないほど行軍に遅れが生じるようになった。
中層までのペースを維持した場合、5~6日程度が帰還に必要な時間だった。それが8日はかかるという所まで遅れが生じている。その原因がウォルターの戦闘スタイルの変化である事は隠しようのない話で、兵士たちには不満が生まれていた。
行軍ペースが変わるなどと考えていなかった総司令は、何日後には地上に戻れるといった具体的な話を兵士たちにしており、そうやって士気を維持していたのだ。それは無形でも約束として機能していたために、一方的に反故にされた兵士たちが不満を抱くのは避けられない話で、総司令をはじめとする隊長格の頭を悩ませる問題となってしまった。
この場合、行軍ペースを落としてしまった件でウォルターに責任を問えるかと言うと、そのような事は無い。
戦闘は部隊全体の連携をもって行われる行為であり、もし責任を問うのであればウォルター個人ではなく部隊全員を対象とすべきである。ウォルターは中隊長格で指揮官としての責任を問う事も可能のように見えるが、戦闘が遅延しているとはいっても部隊に被害を出さないという功績で相殺可能な失態であるし、何よりウォルターは戦力の中核だ。下手な罰を与えて戦力低下をすれば、被害は余計に広がる事になる。
つまり、問題がある事は分かっていても全ては地上に出るまで先送りにすべき案件というのが総司令らの総意であった。
兵士たちもそれは分かっているのだろうが、こういった感情は理性で押さえきれるものではない。今は抑えられているが、切っ掛けがあれば暴発するだろう。
ウォルターらは、僅かであるが小さな爆弾を抱え込むことになった。
「マキ、なんで何も言わないの?」
「言う必要が無いからですわ」
日に2回の戦闘が終わり、就寝の時間。
同じ天幕で寝るマキに、ウォルターは相談を持ち掛けた。
軍の中に漂う空気が悪化すれば、ウォルターはそれを敏感に感じ取る。ウォルターは周囲の空気を制御できないが、読むことは出来るのだ。特に悪意などの負の感情が混じった空気は。
その原因が自分の方針変更にある事は分かっているので、その件について何も言わないマキにウォルターは自虐的な言葉で意見を求めた。
対するマキは素っ気ない。空気の悪化を分かっていないわけではなく、放置しているのだ。
マキにしてみれば被害が減る事は歓迎すべきで、ここで得た情報と戦闘ノウハウを広める人間が多いにこしたことは無い。そのためウォルターの方針変更を可もなく不可も無くと認めているわけだ。
あっさりとした態度は自立心を養うためで、何でもマキを頼りにするのではなく自分の力で立ち直ってもらう為だ。正否の判断が難しいこういった場面で常に手を貸すのではなく、たまに手を貸す程度にとどめ、自分の行動に自信を持たせたいのだ。「マキの認める事だから正しい」となってはいけないとマキは考えている。
それに、ウォルターが後方に下がるのはマキにとってリスク低減につながり、歓迎すべき事でもあった。
「なら、マキなら、こういった場面でどうする?」
「言い方が曖昧ですわね。もう少し、ちゃんとした目標を設定しなさい」
ウォルターは、それでは参考にならないと質問を変えた。
「仲間に、死んでほしくないんだ。だから防御主体で頑張っているんだけど。だけど全体で見れば、戦闘回数の増加になる。それだと死なせる確率は上がるよね? ちゃんと守ろうとするなら、戦闘時間を短くする事でも貢献できると思うし、今のやり方って、本当に間違っていないのかと思って」
「死者や戦線離脱者を減らすのであれば、今のやり方が最も効率がいいですわ。これまでのやり方では少数と言えど死者や重傷者が出ていましたもの。それをゼロにし続ける現状の方が、戦闘回数が増えようと被害を減らせますわね。
だから、問題ないのですわ。」
そうやって食い下がるウォルターに、マキはため息を吐きつつも一つの回答を出す。
ようやく認める発言を貰えたウォルターはその言葉に喜び、表情を輝かせるが。
「でも、もっと効率よく進める方法ならいくつもありますわ。考える事を止める理由にはなりませんわね」
「うぅ……。じゃあ、どうすれば?」
「自分で考えなさい。現状は致命的ではありませんもの。考える時間はありますわ」
「そんなぁ」
マキはウォルターの答えを「合格ラインであって満点ではない」と切り捨てる。
持ち上げられたうえで落とされたウォルターはがっくりとうなだれ、満点の方法論をマキに求めるが、マキはそれを却下。とどめを刺される形のウォルターのテンションは地に落ちた。
それを見てマキは答えを言うべきか迷うが、ここで甘やかすのは良くないと心を鬼にする。
ちなみに、マキの考える「満点の回答」は「先手必勝」である。
マキにしてみれば、相手の攻撃を防ぐのは次善の策でしかない。相手の攻撃などはされる前に潰すべきだと考えている。故に、攻撃を喰らいそうな兵士がいるなら攻撃しようとしている敵を排除すればいい。そうすれば戦闘時間ははるかに短くできる。
この辺りは目的意識次第で正否が変わる話であって、「兵士に戦闘経験を積ませる」なら今のウォルターのやり方が満点の方法論、正解である。ただ「全員無事に地上に帰還する」のであればマキの考える先手必勝こそ正しいやり方と言える。
いや。
長期的な、戦略的な視野で言うなら、ウォルターのやり方の方が戦力が育つので最善の行動をしているように見える。マキの判定が甘いのはそれも理由にある。
だがメンタル面まで考慮するとマキの方法論でないと危うい、と言うのが正解であろうか。
戦争とは、軍を動かすというのは、兵士の士気を高めモラルを維持する事こそ重要視する案件である。本当に、彼らは微妙な綱渡りをしているのであった。