偽兵
異変が起きたのは、その晩の事だった。
ウォルターは「天使様」であり、当然のようにそのテントには護衛が付く。行きで一緒だった兵士たちがその任務に就き、3交替で周囲を警戒している。
ちなみに、主な警戒対象はモンスターではなく人間である。一緒にいる、この軍の中で唯一の女性であるマキに不埒な真似をしようとする者を撃退する仕事が最重要であった。既に何度か実績すらある。
睡眠不要のマキはもとより、疲れで熟睡していたウォルターもその気配に目を覚ました。
「殺気?」
「ですわね」
これまで、マキを襲おうというチャレンジャーは何人もいた。寝込みを襲いに来るのだが、そのほとんどは護衛が処理しており、たまに暇つぶし程度だがマキ自身がお相手をして黙らせていた。
そういったパターンの時にはウォルターが目を覚ますことは無く、熟睡したままである。今回はそれらと違い、殺意を帯びた人間の気配。野外活動に慣れ、ここ最近は緊張を強いられる戦いをして神経が研ぎ澄まされたウォルターの、それは冷水のような鋭さを持って意識を覚醒させた。
「殺されるほど恨まれる理由……は、無いよね」
「ええ。むしろ、今ワタシ達を排除すれば、間違いなく生きて帰ることができなくなりますわよ。もし行動を起こすにしても、破滅願望でもない限り地上に出るまでは動きませんわね」
「それを思いつかないぐらい、頭が悪い可能性は? あと、感情に引き摺られて考え無しになっているとか」
「ありえますけど、この件に付いて考える必要はありませんわ。相手を倒して聞き出せば済みますもの」
ウォルターと数度の問答をしてからマキはテントの外に出る。
すでに侵入者は護衛が捕縛しており、マキの出番は無かった。
侵入者の顔を見れば、「あら?」とマキは首を傾げた。その顔に、見覚えがあったからだ。
「悪趣味、極まりないですわね。貴方のような屑は、早々に死ぬべきだと思いますわ」
その顔をどこで見たのかを思い出し、マキは無表情で侮蔑の言葉を放った。
マキが彼を見たのは、魔素だまりの部屋。死んで、力なく倒れていた名も知らぬ兵士の一人。
つまり、この場にいるのは。
「グルゥオォォ!!」
獣のような雄叫びを上げ、突如襲い掛かってきた侵入者。拘束していた護衛を弾き飛ばし、爪を伸ばしてマキを切り裂こうとした。
だが、この程度の事で不意打ちされるマキではない。侵入者を蹴り飛ばし、離れた所でその頭に≪金剛槍≫を撃ち込んで瞬殺する。
一瞬で殺された侵入者は顕現魔法の一般法則に従い、光の粒となって消えた。
「本当、最悪ですわね」
残らぬ死体を前に、マキはそう言ってため息を吐いた。
「い、今のはいったい……」
「皇帝の差し金ですわ。異形の兵ばかり出て来るからそれに慣れてしまいましたが、普通の人を装った兵もいたようですわね。気が付いたのは運が良かったからですけれど、これ、黙っていられたら気が付かない事もあり得ますわ」
「厄介ですわね」とマキはつぶやく。それを聞いていた護衛たちの表情も暗い。
その後、この剣は総司令にも報告されたが、緘口令が敷かれることになった。下手に広めると軍全体の士気に関わり、この場限りであれば内々に処理したいらしい。
ただ、その考えはすぐに無駄になるのだった。
それから数日が経った。
ダンジョン中層で、モンスターは襲ってくることは無かった。
だが皇軍は時々出現し、軍の撤退を阻む。
皇軍の襲撃は確実に帰還の足を遅延させ、軍全体に疲労とストレスが溜まっていく。
ただ、その襲撃の中には死んでしまった仲間の顔が混じっていて、少なくない動揺を兵士たちに与えていた。
皇帝の顕現魔法の限界か、それらは人間のように会話できるわけではない。それなのに死んだと思っていた仲間が生きていたかもしれないと安易な希望に縋った者がいて、無残に殺される事件もあった。
それに会話できないのがブラフで、実は会話もできるのではないかと互いを信用しきれず、疑心暗鬼になって喧嘩を起こす者たちも出てくる。
不幸中の幸いと言うべきか、行きに設置した休憩場には大量の食糧が保管されており、これは皇軍に荒らされていなかった。それを守っているはずの兵士たちは殺されていたが、物資には手が付けられていなかったのだ。これは皇帝が軍属の経験を持たず、物資のやり取りに関して疎いことがもたらした結果である。
武器に加え食料を確保することで軍は飢えることなく戦い続け、毎回僅かな犠牲を出しつつも、何とか生き残ることに成功していた。これらが無ければ飢えて死ぬか、武器が無くなり戦えず嬲られるだけだっただろう。
数が少なかろうとここまでに出た犠牲の重さが軽いという訳も無く、地上が近づき見えてきた希望と、明日は自分がああなるかもしれないという絶望の狭間で、兵士たちの心は揺れていた。
そして中層を越え上層に戻ってきてすぐ、地上まであと3日といった所で事件は起きた。




