二人の別れ
ウォルターとマキが十二番目の神殿に戻ると、そこでは魔素だまりまで向かった先遣隊の一部が休憩をしていた。どうやら追加の皇軍は顕現しておらず、疲れを取るだけの余裕が与えられているようだった。
二人が顔を見せると、兵士や騎士たちの顔色が格段に良くなる。見捨てられて死地に残っているのと、一縷の希望へと繋ぐために足掻くのでは心の在り様が違う。そんな人々を見て、これだけでも戻ってきてよかったとウォルターは思う。
「総司令はご無事でしょうか?」
挨拶もせず、マキは近くにいた騎士に用件を告げる。
言われた騎士はその言葉に表情を引き締め、礼をしてマキに言葉を返す。
「総司令閣下は、神殿を出てすぐのところで部隊の再編中です。これからどうするかの打ち合わせもありますので、自分が案内します」
置いていかれた事で手持ちの物資は何もなく、着の身着のままの先遣隊。後続部隊の情報は何よりも重要で、今後の動きを決める決定打になり得る。時間を惜しみ、騎士はすぐにでも総司令の所にと、案内を申し出た。
マキの方も挨拶を省略する程度に時間を惜しんでいる。その申し出に頷くと、すぐに移動を開始した。
神殿内部はまだ元気な者が多かったが、神殿の外にいるのは傷を負い、疲れ果てた兵士たちだった。中には自力で動けないほどの傷を負った者もいて、彼らの運命は決定されているかのようであった、その近くにいる者たちは一様に顔色が悪い。
隊長格が空元気でも振り絞れとばかりに部下を叱咤し、激を入れる。が、それも効果を成さず、場の雰囲気は暗い。そんな中に騎士はマキとウォルターを引き連れ、足音をわざと大きく立てながら歩く。周囲に喧伝するように歩くのは、二人がもたらす士気高揚だ。ここにいないはずの後続部隊に所属している二人がいるという事は、特に貴人である“天使様”ことウォルターがいるというのは、見捨てられていないことの証明である。実際にそれが保証された物でないかもしれなくても、希望があれば、人は戦えるのだ。
ただ、その“希望”であるウォルターは、マキと内緒の話をしていた。
(ここにいる人を治して回るのは、無理だね)
(ええ。魔力が持ちませんわ)
(じゃあ、最低限の応急手当てに、収納袋の中身を出すよ)
(本当は見せたくないのですけど。仕方がありませんわ)
怪我人の状況次第では、魔法で治すことも視野に入れていた二人。だが怪我人は予想より多く、千人いた兵士のうち二百人近くが死亡し、六百人程度が怪我をしている。さらに、怪我人のうち五十人以上が重傷で、動かすのも危険な状態。魔法で治していてはマキの魔力を大きく損なう事になる。さすがにそれは許容できなかった。
その代わりに、収納袋の能力を見せる事になってもいいから、治療用の道具を提供することにする。通常の包帯などだけでも助けになるだろうが、中には魔法を使って作った瞬間回復効果のある魔法薬も入っている。これらの半数程度を放出するだけでも助かる人間は大きく違ってくるだろう。全部を出せば今後に響くし、いざという時に対応できなくなるからそこまではしない。
もっとも、何をするにしても指揮官である総司令と話し合ってからすることで、二人は騎士に連れられ、総司令の所に歩いて行った。
「ウォルター様が同行して下さり、マキ様が足止めを兼ねた特攻を仕掛ける、ですか」
総司令はマキの言葉に苦い顔をした。
実際に戦った身としては、マキ1人をぶつけて何ができると思っているのだ。見た目で言えば十代半ばの少女としか思えないので、強そうに見えると言ったことは無い。
それに、敵を刺激すればさらに追加の皇軍が襲い掛かってくるかもしれないと、別の懸念もあった。何もしなければ何も起こらないという保証はないが、何かすれば何かあるかもしれないという疑念がある。躊躇するのも仕方が無かった。
「それよりも戦力を一本化し、確実に撤退するほうが良いのではないでしょうか? マキ様の実力を疑う訳ではないのですが、足止めをする理由もありますまい。ならば殿を務めて頂くとか、別の仕事をお願いしたいのですが」
相手の機嫌を損ねないように、別の提案をする総司令。実際、皇軍に敵対できる戦闘能力があるというなら心からお願いしたい内容である。言葉には必死さがあった。
だが、マキは首を横に振る。
「もう一度ここまで来るのが難しくなりますわ。少々思うところもありますし、ここで敵に痛撃を下さねばいずれ削り切られて終わりますの」
マキの考えでは、相手が何もしないのはこちらに猶予を与え、態勢を整えさせるためだという事。その目的は戦闘訓練であり、自分たちのような“手頃な相手”を使って戦力運用のシミュレーションをするのか、何らかの実験をしたいのだろうというものだ。
単純にこちらをすり潰すだけなら更に戦力を増やすだけで確実にとどめを刺せる。自身の安全が確保できていれば自分の持つ戦力がどの程度なのか確認したくもなるだろう。つまりこちらにとってはここが死地であるが、相手にとってここは安地なのだという事からくる“油断”。それを最大限に活かしたいのだ。
特に、マキにしてみればダンジョンの魔力を自由に使えるままでは危険すぎるという判断もあり、ここでできる事をしておかないと、打つ手が無くなるという可能性が大きいように思えるのだ。ここで皇帝をどうにかしないと戦乱が世界中に広がることになり、安心できる生活圏が無くなる恐れもあった。
ここで戦う事を選んだ場合、マキが背負うリスクは自身の身の安全。より正確に言えば、ウォルターと預けた自分の本体たる魔封本の安否。逆に言うと、ウォルターが無事脱出できればリスクは存在しないという見方もある。そして、ウォルターはこの程度の脅威までであれば、単独ならと言う前提であるが、自力のみで脱出可能だとマキは考えている。
逃げれば今後の生活が脅かされかねない。マキはどちらかと言うと雑魚の集団を一掃するほうに能力が偏っているが、戦乱の世をどうこうするタイプではない。そうなるかもしれないという漠然としたリスクであるが、発生した場合はどうにもできない。
よって、マキはここで手を出すことを選択したわけだ。
総司令相手にマキは切々と、淡々と説得を行い、なんとかそれに成功する。
ウォルターは総司令と共に帰還することになり、ここまでである。この後は食料を確保したであろう後続部隊と合流し、地上を目指すことになる。
「ウォル」
「何? マキ」
「死ぬんじゃありませんわよ。いざとなったら他の誰もを見捨てて生き延びなさい」
「それ、みんなの前で言うセリフじゃないよね」
ウォルターから支給された回復アイテムにより、重傷の人間の中でも回復する見込みのある者を中心に治療が行われる。四肢の欠損をした者など、もう助かる見込みの無い者は残酷な話だがここに置いていく。
武器なども全員分揃っているわけでもなく、無手の者が出て来る。そういった者は荷物運びを割り当てられ、死者や置いていく者から剥ぎ取った装備などを運搬する。
そうやって皆がバタバタする中、ウォルターとマキは最後の別れをしていた。
ただ、再会できない別れではないので、二人の顔に深刻さは無い。
「「御武運を」」
だから、最後はあっさりと互いの健闘を祈り、背を向け歩き出す。
お互いに、迷いは無かった。