皇軍
それは圧倒的と言う他無かった。
皇帝の顕現魔法で現れたのは、全裸の成年男性たち。武器も無ければ防具を身に付けるどころか服すら着ていない。
だが、その指から伸びる爪は人間のそれではなく、獣の鋭い刃。
身に纏う衣は無くとも、獣毛に覆われた体は裸であることを強く意識させない。
明らかに、ここまでに見た実験体の成果であると言えた。
「馬鹿な、刃が通らないだと!?」
「クソッ! こいつら人間じゃねぇ! なんだこの動きは!?」
「ゴハッ! な、俺が……こんな…………」
至る所で悲鳴のごとき叫びが聞こえる。
連合軍の兵士たちが装備しているのは鉄でできた剣や鎧だ。鎧の方は全身を覆うものではなく急所のみを庇う部分鎧と軽装だが、それは今問題ではない。
ここにいるのは徴用された民兵ではなく、訓練を重ねたプロの兵士。騎士に率いられた彼らはダンジョン経験も豊富なベテランだ。その熟練の彼らですら現れた皇軍の兵士たちに技量で負け、肉体一つの彼らの装備で負けていた。
連合軍の兵士が振るう剣は敵兵を捉えず、よしんば捉えた所でその身を傷つけることができない。逆に皇軍の兵士が振るう爪は一振りで一人二人と敵対者を屠る必殺の武器。兵も、モンスターも、分け隔てなく殺していく。
幾多の兵士が切り裂かれて地に倒れ、赤い血を流していく。流れた血は広場へと流れ込み、池を作るかのように集っていく。皇帝は、ただそれを楽しそうな顔で眺めていた。
連合軍の指揮官も、敵兵にばかり気を取られているわけではない。敵の首魁たる皇帝を討ち取るべく、空を飛ぶ鳥系統のモンスターを中心に部隊を編成し、攻撃を加えている。
だが、直接攻撃をするには皇軍の兵は練度が高く、皇帝まで攻撃が通らない。弓などで射ってみてもその身を盾にし阻まれ、一撃たりとも攻撃が通らない。事実、皇帝は戦いが始まってると椅子に座り直し、そのまま立ち上がらないでいる。
それでも奮戦し、連合軍の兵は皇軍の兵をわずかにだが屠っていく。
切り裂くように剣を振ればほとんどの場合刃が通らないのだが、槍のように突き立てるのであればおおよそ通じる事が分かると、その情報が周囲に共有されていく。対処法を確立し、集団で、戦術を組んで、パニックに陥らず戦うことで勝機を見出そうとする。
ただ、倒しても倒しても皇軍は補充され、逆に徐々に減っていく連合軍は劣勢に追い込まれていく。
勝敗は、連合軍の被害が2割に上ろうかという段階で決していた。
「総員、撤退! 戦列を立て直す!! 4番大隊、前へ!! 他は下がれ!!」
被害が1割を超えた所で、総司令は全軍撤退を決める。
自分たちの被害の大きさも理由の一つだが、それ以上に、相手に被害が出ているように見えないのが問題だ。決定打に欠ける現状は許容しがたく、ウォルターとマキと言う切り札に頼ることになるが、ここは退くべきだと考えたのだ。
ただ、この判断は「遅かった」訳ではなく「無駄だった」のである。
後退し、十二番目の神殿に向かった総司令たちは、自分たちの考えが甘かったことを思い知らされた。
時は僅かに遡り、総司令たちが皇帝を包囲している頃。
ウォルターとマキは後方待機を言い渡され、護衛の騎士達に囲まれながら、十二番目の神殿で内密の相談をしていた。
「――という訳で、相当不味いですわ」
「ダンジョンの吸収。それもランク7のかぁ。マキよりも凄いって言われても、想像できないんだけど?」
「単純に、ダンジョンの広さだけを考えるといいですわ。
ワタシのベースになっているのはランク1ダンジョンで、広さで言えばここの1階層にもならない程度。
対するこのダンジョンは、百倍程度の広さを持ち、出て来るモンスターも数倍の魔力で作られていますわ。最悪、千倍程度の魔力差を考える必要がありますの」
「……千倍?」
「ええ。魔力だけに限った話ですけど、もう笑うしかありませんわね」
マキが考えているのは、敵の正体。
ダンジョンにモンスターが出現しなくなったことを自身の経験に置き換え、最悪を想定している。
それはつまり、ダンジョンの魔力を吸い上げて自身の力とする存在。マキと同じホムンクルス・カーディアンということは無いだろうが、それでも近しい存在である可能性が高い。
「ここで研究していたのは、おそらく『人間のモンスター化』『人間への魔核の付与』『顕現魔法による人間の顕現』ですわ。もしくは、それらの結果として不老不死でも追い求めたのでしょうね。
最初の報告にあったのは、魔核を付与され人間としての姿を失った者のなれの果てですわね。何故残していたのかは分かりませんが、ここまでの推論に間違いありませんわ。魔核への拒絶反応を抑えるためにモンスターを外科手術で融合させたのでしょうね。
気になるのは相手の最終的な目標ですわ。もし不老不死の研究を完成させていたとして、その次に何を考えるか……こればかりは何とも言えませんわ。さすがに、そういった研究者が世界征服などと言う子供じみた考えをするとは思いませんけれど」
そして、その推測はおそらく正しい。
すでにダンジョンにモンスターがいないという異常事態であるため、ダンジョンの魔力循環が途切れていることは確定なのだ。そうやって得られた魔力をどうやって運用しているかは分からずとも、何らかの用途に使われているというのは間違いない。
ただ、“何のために”と問われても答えられないのがマキの限界である。強大な力を得て行うのが他者の支配に相当するものだとしても、それによって発生する仕事を考えればメリットが小さすぎると考え、すぐに考えを否定する。
「とにかく、いざという時に備えて収納袋はウォルターが持ちなさい。魔力で勝てなくても戦い方はありますもの、ワタシは足止めに専念しますわ。もしワタシが殺されたとしても、その中に入っている魔封本さえあればもう一度顕現してお終いですもの。むしろそれを奪われないことが肝要ですわ」
「分かったよ、マキ」
マキは言わなかったが、もしもダンジョンそのものを乗っ取った場合、いつここにモンスターが出て来るとも限らない。それを警戒して最悪に備える。
全てのやり取りを終え、静かに待機していると、遠くから戦いが始まった声が聞こえた。
それと同時にウォルターの周辺にも顕現魔法の魔法陣が現れ、そこから皇軍が顕現する。
「ウォル!」
「分かってる!!」
突然の襲撃であるが、これぐらいなら想定範囲内だ。ウォルター達だけでなく、周囲で寛いでいた騎士たちも即戦即応の構えで武器を手にする。
「往くよ!!」
「「「応!!!!」」」
ウォルターが音頭を取り、周囲の騎士たちを率いて皇軍に挑みかかる。
ただ、この段階でダンジョン攻略に失敗したことを悟った連合軍の後続部隊は、魔素だまりへ向かった先行部隊を切り捨て即座に地上への撤退を開始したのであった。
同様にダンジョン各地に設置していた休憩所にも、モンスターならぬ皇軍の兵が出現していた。
休憩所の兵士たちは応戦するところまではできたが、撃退するには戦力が足りない。ダンジョン内で散り散りになり、各個撃破されていった。
こうしてダンジョン内の連合軍はすりつぶされるように消されていく。
最奥の戦力も形を成せず、ウォルターらは無謀な逃避行を敢行する羽目になるのであった。




