宿場町【アイガン】
ウーツ近郊の家から旅立ってしばらくの間、二人は街道から少し離れた森の中を移動していた。
森に数mも入ってしまえば注意して見ない限り、外からは分からない。少なくとも、ウォルターの腕を見られるという事は無いだろう。時々馬車や騎獣に乗った商人らしき人影が街道を通り過ぎるのを横目に、大きな問題も無く移動する。ウォルターが魔法で身体能力を高めているので、旅は街道を普通に歩くのとさほど変わらないペースで進む。
道中であったトラブルといえば雨ぐらいだ。服や体が直接濡れるのはマキの魔法で水を弾き対応できたが、森の中を突っ切っているのだ、足元の草などから間接的に染み込む水まではリアルタイムで対応できず、細かく休憩を取ってズボンや靴を乾かす羽目になった。ズボンが濡れたままだと体温を奪われて風邪を引くので、そこは手間を惜しまず対応していた。
野営の方は収納袋が活躍した。
収納袋は大容量かつ軽量と、物資の運搬にとても役立つ。また、内部と外観が一致していない事もあるのだろう、外から収納袋に何かをぶつけたとしても中に入れた物が保護されているという利点もあった。収納袋自体は魔法で保護されているので、簡単に破れたりはしないというのも特徴だ。頑丈だと移動の時に気を遣わずに済むので便利である。
食器などはほとんどが木製で、大きな力が加われば当たり前だが簡単に壊れる。材料になる木々は近くにあるのだが、一々作る手間を考えると壊れない方がいい。収納袋があれば持ち運ぶときに壊さず運搬できるし、そもそも大量に持ち運んで身動きが取れなくなるという事も無い。
そうやって調理器具に加え食器の類が充実していれば、食事に楽しみが見いだせる。一般的な旅人の食生活と同じ干し肉と乾燥野菜を煮込んだスープと硬いパンぐらいだが、鍋から直接食べずに器に盛り付けるだけで気分が違ってくる。現地調達した串焼きの肉や魚が加わる事もあるが、普通は移動で疲れた体に鞭打ってまで狩りや釣りをしない。
たまに雨が降れば小さなテントの中で食事をするのだが、その場合は火が使えない。水で柔らかくした干し肉と乾燥野菜と食べる事になるが、味気ない上に肉が硬くてかなり辛い。それが一般的な旅糸というものだ。
しかし二人の用意した大きい天幕さえあれば焚き火をしても大丈夫だ。雨の日でも火を使える。雨の日は薪が湿気って火をつける事もできないのだが、収納袋に入れておけば薪が湿気る事も無い。
ここも魔法で対応しようと思えば対応できるのだが、何から何まで魔法で誤魔化すのは無駄が大きい。もし何かあった時に使う魔力が残ってないというのは馬鹿のする事だ。移動速度を上げるために身体能力強化の魔法を使っているので、雑事にまで魔法を使う余裕は無かった。
夜、寝るときには顕現魔法で通常の巨大鼠を2匹呼び出して見張りとしている。
巨大鼠は指示さえしておけば術者が寝ていても問題なく活動する。もし襲撃者がいたとして、早期発見できず倒されたとしてもそのことが術者に伝わる。相手が巨大鼠をスルーして直接襲いに来た場合については、見張りを立てていようが変わらないと気にしていない。
マキは人間じゃないので眠らなくても構わないのだが、ウォルターに野営を学ばせるためにあえて眠りが必要というフリをしていた。
寝るときはマントで体をくるむ。
大事な事として、身体の下に枝葉を集めて敷いておく。体が直接地面に触れるのは体温低下を招くので危険だ。出来るだけ緩衝材を用意することが望ましい。多少睡眠時間を削ってでも、睡眠の質を上げる方が優先される。6時間冷たい地面の上で寝るより、5時間温かな枝葉の上で寝た方が疲れが取れるのだ。
それに、地面が硬いと筋肉にダメージが入ることがある。回復のために睡眠をとるのに、逆に疲れては意味が無いのだ。
余談ではあるが、焚き火をそのままにしたまま寝るのは良くない。
「獣避けに火は必要では」と考える人もいるが、野生の動物は火を恐れない。むしろ興味を惹かれて近寄ってくることすらある。
これは野生の獣が火の恐ろしさを知らないからだ。それに目立つ物があればそちらに目が行くのは当然で、更にそちらに獲物である人間がいれば襲われるのは当たり前である。よって、冬に寒さ対策で焚き火をすることがあっても、他の季節に焚き火などまずしない。もっともその冬に野営をするのは自殺行為なので、結局一般的な野営で深夜の焚き火はしないという結論になるのだが。
旅をして約1ヶ月。
二人はそれなりの大きさの町に来ていた。目的は食料の購入である。
マキが出かける前にそれなりの量を購入してきたのだが、日持ちの関係で1月ごとに
追加購入しないといけないのだ。収納袋は大量運搬には便利だが、保存の面までフォローしていない。ナマモノを入れておけば、普通に腐る。
よって買い出しは必須事項だ。道を間違えていないかの確認については、町に入った段階で町の名前を聞くことになるから特に問題なかったりする。
「【アイガン】の町へようこそ!」
町というのはモンスターや盗賊から民を守るための壁がある。
大体は石を積み上げたもので、櫓などで見張りを付けるのが一般的だ。
門はほとんどの場合が木製で、大都市ともなると金属製の扉となる。材質が木材となる理由は金属の扉にすると開閉に手間がかかりすぎるからだ。安全を考えれば金属製の扉がいいのだが、開閉に手間取るような重さにすると火急の事態に対応できず、かといって開閉が容易な厚みの扉では防御力に不安が残る。
当然、門は出入りする人間を管理する目的がある。出入りの際に通行税を取られるが、これは一人当たり銀貨1枚が相場で、商人であれば荷物の分だけもう少し多く取られる。ウォルターたちはマキが奇異の目で見られたが、特に問題なしと二人分、銀貨2枚で町に入る。
「らっしゃいらっしゃい! 新鮮な野菜は如何かね!? 今朝の採りたてだよ!!」
町に入ってすぐは露天市となっている。
大通りの左右にゴザを敷いた商人が商品を並べ、客を呼び込む。
ウォルターは野菜などにはあまり詳しくない。
マキはアルから知識を与えられているものの、実地経験が少ないので未熟な部分がある。
だからまずは商品の名前と値段を二人手分けして調べる。もしかしたらお買い得商品を買い逃すかもしれないが、何がお買い得なのかを理解するところから始めなくてはいけない。
金銭的に余裕があるのだが、どこでどんな理由でお金が必要になるか分からない。節約を第一に貧乏性のウォルターは露店を見て回り、倹約家のマキは他人の購入基準を聞いて回る。
「よぉ坊ちゃん。玉ねぎ買っていかねぇか? 少しぐらいなら安くしてやんぜ?」
道行く客があまりいない、どこか避けられている空間があった。そこに足を踏み入れてしまったウォルターは近くの商人の男から声をかけられた。
売られているのは大量の玉ねぎで、だいたい3玉で銅貨1枚。銅貨はおおよそ100枚で銀貨1枚となり、通常、この町では玉ねぎ1玉で銅貨1枚とるのが普通だった。男が売っている玉ねぎはやや小ぶりだが、それでも3玉で銅貨1枚は破格の安さだ。
ウォルターは火を通すと独特の甘みを持つ玉ねぎが好きだった。ただ、他にもっと安い野菜が多くあったため普段は口にできない。買うのはたまに贅沢をするときだけ。そのため普段から見慣れているとは言わないが、それでも好物の玉ねぎであれば目利きも可能だ。
ウォルターは露店に並べられた玉ねぎを手に取り、じっと玉ねぎを見る。ウォルターの目利きで言えば、玉ねぎの状態は良かった。一つ一つ丁寧に観察し、合計9玉、銅貨3枚分を購入する。
「おお、9玉か! じゃぁもう1つオマケしてやらぁ! 毎度アリ~!!」
ウォルターは収納袋ではなく、偽装の為に持っていた別の皮袋に玉ねぎを入れ、男に代金を払う。
男は嬉しそうにその銅貨を鞄にしまい、ウォルターに頭を下げた。
ウォルターは男とさほど言葉を交わすことなく、露店を立ち去ろうとした。
だが歩き出してすぐ、先ほどの露店から剣呑な会話が聞こえてきた。
「よぉ、バグス。今日も売れてねぇなぁ」
「はっ! キン○マのちいせぇカマもどきが寄ってくるからな。クセェ臭いが残ってるのかもしれねぇなぁ、クーラ」
「ハハハ、テメェの商才の無さを棚に上げてよく言った。なんだこの小玉の玉ねぎは。収穫の時期も分からねぇのか?」
「ふん。畑の周りを害獣がうろついているから早めに収穫しただけさ。ケダモノはさっさとぶち殺して片づけちまいたいが、数が多くてなぁ。準備に手間取ってんのさ」
「おい」
ウォルターが振り返ると、クーラがバグズに突っかかっていた。
険悪な雰囲気のまま言葉を交わしていたが、クーラが後ろにいた大男にあごで命令する。すると大男はおもむろに足を上げ、露店に並んだ玉ねぎを踏みつぶそうと――
「玉ねぎに何をする!!」
して、ウォルターに吹っ飛ばされた。
ウォルターは全身のばねを使って距離を詰め、肩の高さに上げた肘からそのまま勢いよく全身でぶつかった。上手く足を使い体重を倍加させたその一撃は片足を上げた大男に耐えきれるはずもなく、数歩よろめくように後ろに下がって背中から倒れる。
吹き飛ばされた大男はそのまま泡を吹いて気絶し、野次馬数人ごと倒れている。
小柄なウォルターの体当たりは、ちょうど肘が横腹に突き刺さり筋肉の隙間を貫いたのだ。町中という事もあり、防具の類を身に着けていなかったことも大男に災いした。
やってからウォルターは我に返り、「不味い」という顔をした。今まで目立たないようにしてきたのだが、食べ物を、好物を粗末にしようとする大男相手に思わず動いてしまったのだ。後でマキに怒られると、ウォルターは顔を蒼くした。
突然の乱入者にバグズとクーラ、当事者二人と野次馬は固まってしまった。