【宵闇の聖域】②
前半にグロ表現があります。苦手な方は◇◇◇まで飛ばしてください。
【宵闇の聖域】、下層は神殿である。
石でできた荘厳な神殿は、数百年の間、変わらず存在し続けている。
円柱状の柱が幾多も並び、やはり石でできた屋根を支えている。その柱は一本一本が一つの石で出来ているわけではなく、よく見ればそれなりに大きいものの、いくつかの石を組合わせて作られたものである。彫り込まれた彫刻を上手く使ってそれらのつなぎ目を隠している。
部屋という概念は無く、一つの神殿が一つのフロアとして機能している。そして、最奥の魔素だまりまでは12の神殿を潜り抜けていかねばならないのだが、これが厳しい。一つの神殿に付き一体の守護者が配置されており、それを倒さねば次の神殿に行けないようになっている。守護者は戦術的に同時に動かせる限界である100の兵をぶつけなければ勝てないような相手で、それも消耗していく兵を随時補充していかねばならないほど厳しい戦闘になる。それを12回繰り返し、ようやく魔素だまりを散らすことができるのだ。
今回は神殿の守護者はおらず、戦闘は発生しない。
だが、戦闘など比較的にならない試練が兵を待ち受けていた。
そこは、狂気の世界だった。
ガラスでできた円筒、その上下を金属の蓋で塞いでいるその中は透明な液体で満たされていて――
――異形と化した、“元”人間が浮かんでいた。
例えばそれは、美しい少女。
長い金髪を揺らし、絶望に疲れた青い瞳を開いたままにしている。開いてはいるが、その瞳は何も映していないだろう。少女には、肉体というものが無かった。
首から下、そこには内臓と、背骨しか浮かんでいない。
臓器は鼓動を刻み、彼女がまだ生きていることを示している。だが、それは“生きている”だけであった。
例えばそれは、屈強な青年。
彼は鍛えられた裸身を晒し、一枚の布きれすら身に纏っていない。だが、その体には人ではありえない体毛が生えていた。それこそまるで、獣のように。
その背を見れば尻尾が生えており、獣人間と呼ばれる、物語に出てくる魔物のようであった。
例えばそれは、小さな幼子。
これは、特に酷い。小さな体のいたるところから人間の腕が生えていて、まるでその体を食い破って餓鬼が這い出てきそうな姿であった。
だがそれは、すべて幼子の体に生えている物である。
例えばそれは――
◇◇◇◇◇◇
これを最初に見たのは、10人の斥候部隊であった。
ここまでモンスターはいなかったが、ここからは守護者がいるかもしれないという状況を想定しての事である。いる、いない、いるとしたらそれはどのようなモンスターかを知ってから行動するのは戦術の基本だ。
神殿に足を踏み入れた彼らは、その光景を見て心を砕かれた。
あるものはその場で嘔吐し、失禁し、虚ろな目となり目の前の光景を否定する。
彼らの心が脆弱だったわけではない。
ただ、それほど目の前の“狂気”は凄絶だったのだ。
命の尊厳を否定する行為。戦場でモンスターに食い荒らされた人間を見たことがある兵士でも、ここまで惨い事をされた人間を見たのは初めてなのだ。それが精神に異常をきたすほどの衝撃であっても不思議はない。
10人の斥候のうち、2人がなんとか理性を取り戻し、報告のために、逃げるように後方で待機する仲間の元へと走っていった。
報告を受けた先遣隊の中隊長は中に残ったままの仲間の回収を命じると、すぐに上司である大隊長や連隊長らの元へ報告を飛ばす。
今回の軍は10人を小隊長が、100人を中隊長、500人を大隊長、1000人を連隊長が指揮していて、それらを総司令が管理している。
報告はすぐに中隊長以上の指揮官の間で共有される事が決定され、何が行われていたのか、これはいったいどういう状況なのかを相談することになった。なお、この話し合いには中隊長相当であるウォルターと、副官扱いのマキも加わっている。
「まずは状況を整理したい。斥候の持ち帰った情報をみなに聞かせてくれ」
総司令の言葉に従い、実際に現場を見た小隊長が報告を行う。
「神殿内部に守護者の存在は無かったように思われます。小官らが中隊長への報告を行うまで部下は現場に留まっていましたが、モンスターの存在は確認されておりません。よってこれまでと同じくモンスターはいない者と判断されます。
神殿内部で我々が見たのは、人の、かつて人だった者達の標本でした。異形の姿に己を変えられ、それでも生かされている、おそらくは帝都の民であった者達であると思われます。
詳細については、一人一人の姿が違うために省きますが、あれは、人の所業ではありません。人という種に対する冒涜です……。
異形に作り替えられ、心を壊され、それでもまだ、生きているんです。あれは、あれは……」
斥候部隊の小隊長はそこまで言うと声を詰まらせた。顔色は悪く、思い出した光景に怯えているのだろう。それほどの衝撃を受けたのだ、あの光景に。
それを聞いた隊長たちに反応は様々だ。
実際にその狂気に触れていないこともあるが、怒りを燃やし、闘志を抑えている者。
嫌悪に顔を歪め、傀儡蟲の事を思い出す者。
これまでとやるべきことは変わらないと、静かに腕を組む者。
いったい、それがいつからと思案にふけるマキ。
共通しているのは、発言をせず思索に耽っている事。通常のダンジョン攻略や戦争を想定していた彼らにはこの異常な状況でどういう動きを取るべきか、何が最善かを提案することができないでいた。
静まり返った会議の空気を壊したのは、ウォルターだった。
「直接見てないから言える事だけど。じゃあ、囚われた人たちは解放し、楽にした方が良いってことで話を進めようか」
ウォルターは100人の親衛隊を率いる中隊長扱いであるが、「天使様」の名を使う上位者である。権限としては連隊長クラスであり、総司令の指示にこそ従わねばならないが、中身に比べ不相応とも言える発言力を持っている。
ただ、そういった「事情を知らない人間」の方が発言しやすいという事もあり、ウォルターはわざと軽い口調でやるべきことを言う。
「囚われた彼らを直接見るのは辛いんだよね? じゃあ、顕現魔法で呼び出したモンスターに暴れてもらって、死体には火を放つ。油ってどれぐらいあった? 少ないなら魔法で焼くけど」
自分にできる事と言う事で、ぱっと思いつく「自分の仕事」を考えるウォルター。
しかし、ウォルターは貴人である。護衛対象なのだ、周囲の隊長たちが慌ててウォルターを止める。
「いえ、御身に何かあっては大変です! 前線には我らが出ます!」
「そうです! 天使様には我らの仕事をご覧頂きたく思います!!」
ウォルターに何かあっては大変。何もしなければ、自分たちから動こうとしなければウォルターが前線に出てしまう。この異常事態だ、何か不測の出来事でウォルターに不幸があるかもしれない。
そう考えた隊長たちはウォルターよりも早く動き出す。たとえ手探りでも動かずにいれば何も得られないのだから、危険を承知で行動を開始する。
ただ一人。
マキは何が行われているのかを想像し、その予測に顔を歪ませる。
(最悪を想定すべきですわよね。
女神の依頼、出現しないモンスター、消えた住人、人体実験の施設。マスターほどの能力を持たない人間風情とは言え、手が届いたかもしれませんわ)
状況は動き、次の局面へと移ろうとしていた。
だが、そこに真の意味で危機感を持っていたのはマキ1人だった。




