悪魔の采配
「名前が無いのは不便なので、仮ではありますが複数人数による顕現魔法を『共有化顕現』、人間の技術をモンスターに与える事を『技術付与』、それを可能にする魔封札を『魔封布』としますわ。
まず、『魔封布』は通常手のひらサイズの魔封札を1m四方の大きな布にすることで複数人数による運用、『共有化顕現』を実現していますわ。ワタシの『魔封本』のように一度に複数の顕現を出来るようにしているのも特徴ですわね。逆に複数人数でないと顕現できないほど必要魔力が大きくなっていますけど、顕現させるモンスター、傀儡蟲の特性でそのデメリットを打ち消しにかかっていますわね。具体的に説明しますと、傀儡蟲が人間に寄生することで、寄生された人間の魔力をフィードバックし、維持による消耗を打ち消すようになっていますわね。維持コストが無ければ魔力の回復を待ち、延々と増やせますもの。数千規模で顕現できたのもそれが理由ですわ。
それと『技術付与』に関しては解析が済んでいませんわ。推測ですけど、顕現に参加した人間全員の技術をモンスターに与えるようですわ。ネックになるのは「全員の」という所ですわね。特定個人の技術だけを付与できなかった結果、中途半端になってしまうようですわ。例え素晴らしい技術を持つ人物が付与したところで、無能が混じってしまえば平均化されてしまう訳ですわね。かと言って技術を与えたい人間個人で顕現するには魔力が足りず。この辺りはまだ改善の余地がありますわ。それと、魔封布のサイズがここまで大きくなった一番の原因もこれですわね。発想としては「傀儡蟲で操った人間を普通の人間並みに動かしたい」というのが先にあり、その結果複数人数で顕現する『魔封布』が生まれ、それを使うためには『共有化顕現』をせざるを得なかった、という順番でしょうね。
使われている技術の是非は措きましても、チラン内部に持ち込みにくい代物というのは助かりますわ。サイズがサイズですもの。持ち込み規制をかけるのは難しくありませんし」
マキが敵軍を追い払ってから1週間。
持ち帰った敵の資材の中にあった、傀儡蟲の魔封札の解析が行われていた。
傀儡蟲をチラン内部で発生させられた場合、何もできずにチランが崩壊する恐れがあった。その対策は急務であり、有識者としてマキは駆り出され、解析班として腕を振るっている。
マキとしても新しい技術情報が手に入るのは願ってもないことで、特に『技術付与』はアルヴィースも知らない目新しい技術だった。帝国サイドの技術者は魔封札の情報を分割・共有・複合化する魔封本のような技術を持っていないのであのサイズになったが、マキなら魔封本に組み込むことで小型化することを可能としている。基本となる概念のみを抽出し、自分なりにアレンジし、魔封本へと組み込んでいく。
なお、解析された技術は全て公爵家――チランが帝国から独立した今となっては公王家――へと提出している。
「しかし不思議だね。帝国は、この程度の戦力でチランを落とそうとしていたんだよね? 苦戦はすると思うよ? でも、落とすには戦力不足も甚だしい。本気で挑むにしては……無謀としか言いようがないよね?
もし傀儡蟲で落とすつもりだとしても、それだと軍を率いてきた理由が分からない。その場合は軍を率いず、内部から食い荒らした方が成功率は高いし、何より周辺都市を潰した理由が見えてこない。
いや、そもそも周辺都市を潰したのはこちらの補給路を断とうとしていたとみるべきだよ。だとすると……軍を差し向けたのはただの嫌がらせ? 傀儡蟲の戦力評価がサブの目標で、周辺都市を潰したこと自体がメインだった、は、さすがに無いよね?」
周辺の状況と敵軍の動きを部下に一通り説明させ、メルクリウスは独りで呟く。
周辺貴族の所に送り込んだ密偵から、帝国が傀儡蟲を用いた徴兵と略奪を行っていたことを知り、メルクリウスは帝国の目的を掴み切れずにいた。
まず第一に、帝国が動かした軍は、チランを落とすには全く足りない物量だった事。
帝国が動員した軍は約1万5千。その大半が傀儡蟲によるものであり、顕現魔法による水増しをしたとして、推測だが2万を超えない程度に収まるというのが結論だった。対するチランの軍は動かせても2千が上限となるが、顕現魔法による水増しで1万の軍とも正面から戦えるという自負がある。これに迎え撃つ側としての地形の利が加われば5万の軍が攻めてきたとしても防ぎきる自信がある。
仮に包囲して兵糧攻めを行おうにも、チランの備蓄は民間人を半年以上養ったとしても痛くない。壁の中に農場があるし、ダンジョンから肉を調達することも可能。逆に包囲する側が干上がるのが先だ。
つまり、本気で落とすつもりは無かったと見るべきだ。
第二に、傀儡蟲による内部攪乱を行おうとするなら軍は邪魔でしかない。もともと傀儡蟲の顕現布は知られていなかったのだ。つまり持ち込みは簡単で、その気があったなら先に顕現布を持ち込み、都市を中から食い荒らすことを優先すべきだ。持ち込んだ後に軍を動かすのであれば分かるが、現段階で持ち込まれたという報告は無い。先に軍が撤退したから機を失ったという見方もあるが、住人票を照らし合わせても被害がないだろうことから、その可能性は低いとみている。
傀儡蟲の情報が洩れる事を恐れたという可能性も無いわけではないが、交戦してしまえばいずれ分かってしまう事である。内部攪乱を諦めてまで隠す理由は無いはずである。
第三に、これは兵糧攻めの一環のような話だが、周辺を潰すついでに来ただけという可能性。チランをそのままにしておくことはメンツの問題で出来ないというのがメルクリウスの考えだ。そして、一部の物資を自分だけで賄えないチランを潰すため、周辺の都市を潰すというのは、自身のダメージを勘定に入れなければ、一応だが、効果はある。
ただ、身内の筈だった都市を帝国自身の手で潰すというのは、やはり帝国の内部分裂を引き起こしかねない行為であり、そのデメリットを上回るだけのメリットがあるかというと、疑問が残る。正直な所、チランは帝国領の周辺都市という橋頭堡が無くなったことで、労せず、一時的かもしれないが安寧を得たわけだ。逆に帝国は大きな町をいくつも失い、今回の件に関心を持つ貴族連中の離反を招きかねない火種が燻る状態となった。
帝国のデメリットは相当大きく、これを上回るメリットというのがメルクリウスらの頭では想像もできなかった。傀儡蟲の大規模運用の実験データが目的というのであれば、別にチランを敵に回さなくてもできるので、それが理由とも考えにくい。
「けど、しばらくは大丈夫のはずだよ、ね?」
その数日後、壊滅したと思っていた周辺都市に多くの生き残りがいたことが発覚し、そちらに人手が割かれることになり、チランの政治機能と戦力は大いに低下することになる。
無論、メルクリウスの仕事が増えたのは言うまでもない。