炎獄
ウォルターにとって、バグズはさほど記憶に残っていない人間だ。
しかしバグズはウォルターを一個の人間として扱いながらも、利用する・されるような間柄ではなく、損得勘定などとは別の、打算の無い間柄という、かなり珍しい関係の知人だった。
思えばウォルターの周りにいる人間は、何らかの利害が絡んだ人間ばかりである。
マキは互いの願いのために共生関係となっており、メルクリウス達公爵家の人間とは雇用関係で、他は同僚や商売上の関係である。家族や友人といった結びつきではない。
そういった意味では、バグズは純粋に親しくしてくれた唯一の相手である。
その貴重さを、ウォルターは喪う事で理解した。
バグズのその顔を見て、ウォルターは自分の世界を侵略されたと思った。
極論であるが、ウォルターにとってチランが戦争になる事自体は“どうでもいい”他人事だった。チランとは、いざとなれば他国に逃げればいい、その程度の仮宿でしかない。執着するほどの対象ではなかった。
だから戦争に対しても、どこか別世界の悲劇としか思っていなかった。
だが、知人を失った事で、戦争の当事者となったことで、急激に怒りが湧いてくる。
目の前にいる人形が、バグズの顔をしたソレが、動いていることを許せなかった。そしてこの悲劇を起こした人間の存在を消してやりたくなった。
この戦争を否定する当事者として、全てを賭けてでも抗って見せようと決意する。
「足りない」
自分の手札、教わった魔法とスキル、それらを総動員しても戦争など出来はしない。
ウォルターはまず、己の無力を理解する。
「必要な力」
足りないのであれば、成長すればいい。
出来ないのなら、出来るように成ればいい。
今まで教わってきた内容で、有効と思える記憶を引っ張り出す。幸い、マキは今すぐできなくてもいいからと、目標として色々教えてくれていた。
「スキル≪魔法化≫」
己の左腕を天にかざし、使うスキルを選択。
まだ届くはずの無いそれを選んだのは、大軍を相手にするのに都合が良かったから。
たったそれだけの理由で、使えないはずのスキルを無理やり使う。
「使う魔法は――≪炎嵐≫」
マキの≪氷嵐≫よりも、なんとなくこっちの方が良さそうだからと≪炎嵐≫を選択。
そして、ウォルターは、≪炎嵐≫となる。
マキと違い、着ている服はごくありふれた物。≪炎嵐≫の圧倒的熱量に焼かれて消えた。この場に持ち込んだもののうち収納袋と神剣以外が灰燼に帰す。
すでに人としての姿を失ったウォルターは、残された荷物に目もくれず野営地を飲み込んだ。
精霊魔法とは、世界に揺蕩う精霊たちに魔力を与え、望む結果を出す魔法である。
しかし、その際に精霊との親和性、つまりは情報伝達の滑らかさが足りていないと制御不足に陥り、望んだ結果を出すことができずに終わる。高度な精霊魔法とは、それだけ処理すべき情報量が多くなり、制御が難しくなる。
マキの教えたスキル≪魔法化≫は、自身を精霊とすることでこの問題を解消する。術者の願ったように、イメージ能力次第ではあるが、あらゆる結果を出せる。もっとも、イメージの具現化を補助するために軸となる魔法を選ぶ必要があるし、何でもできるといったところで「魔力の及ぶ限り」と但し書きが付く。
曇天故に星明りも無く、篝火だけが照らし出していた野営地は。
その2割をウォルターという炎に飲み込まれ、焼失した。
物資は分散しておいてあり、中央に全てあったわけではない。だが中央にあった物資が一番多く、全体の半分以上が灰となって消えてしまう。
人員の方も問答無用で焼き払われ、総勢2万近かった軍勢の約1割が、たった一撃で焼滅している。
発生源の付近にいた者は人としての姿をとどめておらず、灰となって消し飛んだ。
野営用のテントなども同様で、ウォルターの周囲は見晴らしが良くなってしまっていた。
ウォルターの魔力のすべてを振り絞った一撃は、限界を超えて力を注ぎこまれた意志は、本人の実力以上の戦果を出して見せた。
炎は周囲に燃え広がり、さらなる混乱を巻き起こす。無論、炎の発生源たるウォルターの周囲は完全に無人となり、人の入り込める状況ではない。踏み込めばたちまち肺を焼かれて死ぬことだろう。ウォルターの≪魔法化≫が解除されても地獄のような熱量が漂っている。
しかし敵はまだ健在で、まだ戦える状況にあった。
混乱の渦に叩き込まれようと、時間が経てば現状を把握し、部隊を立て直す。
兵士のほとんどが傀儡蟲に操られていた事も良い方向に働いた。操られているからこそ混乱することなく、冷静に状況に対応して見せた。
そうして情報が集まれば、この炎獄の発生源まで調査の手を伸ばすのは必然である。人が入り込めぬ状況だから、顕現魔法で状況に適応できるモンスターが駆り出される事になった。
そうして。
石の巨人兵の手により延焼したテント類が片づけられ。
水毒蛇により火が消し止められ。
残っていた熱も徐々に散っていった頃になって。
ようやくもう一人が現場入りを果たす。
「不味いですわ。これ、下手したら死んでません?」




