偵察任務
教会より外に出ると、レプリカの神剣から伝わっていた女神の感情というものは感じられなくなった。どうやら教会という神に近しい場所でのみ、コンタクトできるようだ。それ以外の場所ではだめらしい。
特に聞きたいことはすべて聞いたので問題ないが、この神剣の扱いをどうしようかとウォルターは悩んでいる。
まず、真っ先に思いつくのはマキの顔。しかし彼女は貴族巡りに行っているため、相談できる場所にいない。
次にメルクリウス。上司であり、能力だけで言えば頼りにはなる。しかしウォルターの側に隠し事が多く、神剣の事を相談するのであれば、女神や教会から“天使”などと称されている事とその理由まで伝える事になりそうである。上手く隠し事ができればいいのだが、その自信が無いので止めておくことにする。
そうなると、他の人間にも相談できず、どうしようかと独りで悩む羽目になった。
(他に相談相手になりそうな人……? 女神さまに相談するのは嫌だしなぁ)
フリードやこの場にいないローラまで、何人か顔を思い浮かべるが、ピンとくる顔がウォルターにはいない。その中には顔も知らない女神も含まれるが、何か相談するごとに対価を要求されそうで怖くて出来る筈も無い。
ウォルターは抱えている秘密が無くとも、今まで誰かと親しくなろうとしたことが無い。長い間排斥されていたため、若干、人間不信や対人恐怖症を患っているような状態だ。親しくなろうとして拒絶されるのが怖いのか、そもそも心が触れ合える距離に行けると思っていないのか。ウォルターは他人に対し明確な拒絶をしている。壁を作って寄せ付けないのだ。
表面上はそつなく振る舞う為に問題とならないが、あまりいい傾向とは言えない。とはいえ、ここにそれを指摘できる人間はいないので、問題は先送りされることになった。
ウォルターは結局誰かに相談することなく、周囲の人間が神剣に対し興味を持ったがそれをスルーし、全ての準備を終えて偵察へと向かった。
ウォルターは移動のためにと、迅狼という移動用モンスターの魔封札を借り受けた。
迅狼は個人用の移動に使われるモンスターで、大人一人がしがみつくので精一杯の大きさの狼である。毛は緑色で、草地に溶け込むような色合いなのも特徴の一つだ。ランク5ダンジョンに出るモンスターで、俊敏な動きと鋭い爪に加えて風の精霊魔法を使う。継戦能力が低いため、ダンジョンで出会えば1分か2分戦っただけですぐに逃げる習性を持つ。
魔封札に縛り付け使役するようになると、個人用の移動手段としてそれなりに優秀という評価を得ている。人間が歩く速さの数倍の速度を出すことが可能である。移動時間中使役し続けると仮定すれば、1日の移動距離は歩きの10倍にもなる。それに、馬と違い水と食料という補給物資もいらない。荷物が減るわけだ。
問題は使役可能時間が短いこと。実際に使うと、普通の術者であれば1時間持つかどうかといったところでしかない。それに、速度が出るという事は乗っている者に負担を強いるという事でもある。慣れない人間には1時間の移動であっても途中休憩が必要であり、休み休み動かねばならないので結局は1時間も使うことは出来ない。結果、1日の移動距離は馬よりやや早い程度、歩きの2倍程度に納まる。
こうやって問題を挙げると微妙に思えてしまうが、短距離移動として割り切れば優秀だ。例えば敵に一撃当てて、すぐ逃げるときとか。つまり、求められている仕事にはそれも含まれるという事だとウォルターは理解している。
荷物の用意を終えて翌朝。まだ太陽が昇る直前、東の空が明るくなりだしたばかりの時間帯、ウォルターはチランを発った。
神剣を背負い、自分ひとり分の食料と水を10日分を持ち、それに簡単な野営用装備を身に纏ってウォルターは偵察に出かける。迅狼と自分に身体強化を施すと、1日の移動距離は普通の人間の歩きに比べて4倍以上の距離を稼ぐことができた。
その調子で2日も帝都側へと――数ケ月前にウォルターがチランに来るときに通った道を移動すると、帝国軍の野営地にたどり着く。着いたときには夜になっており、ウォルターは闇にまぎれて野営地を観察する。
成程、確かに大勢の人間が陣地を築き、食事を摂っている。ただし、その兵士たちの顔はどれを見ても無表情。まるで生ける屍が徘徊しているかの様子だ。
数を数えて敵の規模を計ろうにも、ウォルターにはそういった事に必要な知識と経験が無い。
言われている仕事は敵軍の様子を見てくることと、出来れば偵察で陣を離れている連中に軽く手を出した時の反応を見てきてほしいというもの。後者についてはあくまでも“できると判断したときだけ”と言われているが。
調べる内容は食事の内容と、野営に使われるテントの材質や状態、一般兵の身に着けている装備、顕現魔法でモンスターを使役しているようであればその種類、あとは攻城兵器に類する機械部品の有無。特に重要なのは以上だ。細かいことを言いだすと移動中の兵の足並み、つまりは兵の練度と、騎兵の数、食料・矢玉など物資の運搬状態、これはほぼ不可能と思われているが敵将の姿の確認もできるならしてほしいと言われている。
重要確認項目の中でも食事の内容が最初にあるのは、敵がどれほどの期間、チランを攻め入るつもりでいるかの確認だ。末端の兵士一人一人の食事量をここで確認し、あとで敵の物資の量を確認できれば、自然と行軍期間は計算できる。近寄ってからの食事量と行軍中の食事量は違う事が多いので、ここで確認する食事量は計算時に誤差を少なくするための情報となる。
テントの状態は兵士の士気がどの程度のペースで減少するかの重要要素だ。人間は食事と睡眠の状態がコンディションに大きく影響する。現在は秋も深まった時期である。これで夏用とまではいかずともちゃんとした寝具を用意していないようであれば体調管理が難しくなり、戦力減が見込める。
他の3項目はそのままの意味、つまりは戦力の確認だ。
できれば、の細かい項目については、前者の補完といった意味合いが強い。可能な限り戦力を把握できれば、それだけで予定がたてられるというものである。
これら情報を精度が低くとも集めることで、戦術の選択肢が選びやすくなる。
どうせだからとウォルターは敵陣内部に侵入し、その様子を探りに向かうのだった。




