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9.分析好きな彼女



「あーあ。今年は、ウチから最優秀論文出ると思ったのに」

「仕方ないよ。相手がカントじゃ」

「カントねぇ」


 有馬は腑に落ちないといった表情で、フォークを突き刺した。


「ん~美味しい!」


 先にフォークを口に運んだ乃依が、まず感想を述べる。たいてい彼女の感想なんてこんなものだが、有馬の場合は、


「んー、確かに不味くはないけど……」

「けど?」

「余計なもん入ってない?」

「余計なもの?」

「ん。これ……あージャムね」


 分かった分かった、という表情で、有馬は頷く。紅茶を口に含んでから、分析結果を述べる。


「このアプリコットジャムが塗ってある部分、正直余計。これがある所為で、せっかくの香りが台無しになってるでしょ。――つまり、蛇足」


 そこで、有馬は足を組み替えた。先日フランスで買ってきたワンピースの裾がひらりと捲られる。そんな恰好でも全く寒そうな様子がないのは、ひとえに暖房の効きまくった店内のおかげである。


 卒業旅行から帰って来た有馬から「お土産渡したいんだけど、会えない?」と言われたのは、昨日のこと。特に用事もなく、しかも研究室に行く予定だった乃依は、二つ返事でOKした。待ち合わせたのが研究室だったのは、待ち時間に色々と出来るからだ。

 そして待ち合わせ時間の三分前にやって来た有馬の姿を見た乃依は、ぎょっとした。どう見ても雪の残るキャンパスには相応しくない、ひらひらした薄い生地のワンピース。それに、軽そうな春物のレザージャケットを羽織っているだけ。しかも足元は素足にパンプスときた。

 絶対に、来る途中に学生の視線を浴びまくったに違いない――乃依は、上から下を眺めてそう思った。


 そんな有馬が、文学部棟一階のロビーで談笑できるはずもなく。乃依の、「ロビーで寒い寒いと言いながら、自販機のココアを飲む」(安上がりなティータイム)計画はあっさりと崩れる結果となった。

 ちなみに現在は、有馬によって大学内で一番高級なカフェに来ている。


 乃依は首を傾げながらケーキセット(八百円也)のケーキを、再び口に運ぶ。やはり、「美味しい」と言う感想しか出てこなかった。


「蓬田のも、それだと思うんだよね」

「へ?」

「卒論」

「あ……ああ!」


 やっと回線が繋がった乃依は頷いてみせるが、直ぐに、


「卒論がどうかしたの?」

「蓬田の卒論も、蛇足感いっぱいだったよね、って話。なーんで加筆しちゃうのかね、まったく。学生課に提出したやつで、そのままエントリーすれば良かったのに」

「うーん……」


 乃依は曖昧に相槌を打つ。よくわからない。


 蓬田は、有馬と同じ都甲ゼミの学生だ。今年度の地理学研究室の優秀論文に選ばれた人間であり、文学部の最優秀論文選考にエントリーしたのも彼。同期の中では、最も高い評価を得たということになる。

 つまり、乃依とは比べものにならないほど優秀なわけで――。


(私には批評なんてできない!)


 そもそも、ろくに読んでもないし。優秀論文発表会にも顔を出してないし。


「乃依の卒論、面白かったよ」

「え、読んだの!?」

「うん。結構みんな読んでたけど」

「げっ」


 あの作業着男だけじゃなかったのか。

 乃依は、今すぐにでも研究室に保管してある自分の卒論を回収したい衝動に駆られた。ついでに、グレーのファイルも変更したい。


「蓬田のより面白かったと思うけどね」

「ないないないない!」

 

 乃依はぶんぶんと手を振る。蓬田が自分より断然優秀であることは、研究室の皆が理解している。それだけは、絶対にない。


「蓬田なんて蹴散らしちゃえばいいのに」

「無理無理無理無理!」


 なんてことを言うのだ、この友人は。

 乃依は再びぶんぶんと手を振る。恐れ多い、とでも言うように。

 それを見て有馬は息を吐き、再びフォークを突き刺す。


「で、話したいことって?」

「え?」

「昨日言ってたじゃない。『ちょうど私も話したいことがあるから』って」

「あ、うん。そうだった」


 そういえば、有馬から会いたいとの連絡を受けた時、さきほど彼女が言ったようなことを話した気がする。

 乃依は紅茶で喉を潤し、有馬に向き直った。


「実は、昨日変な人に会って……」

「変?」

「うん。研究室で。見たことない人で、誰か分かんなかったんだけど、たぶんOBだと思う。研究室に精通してるっぽかったから」


 乃依の曖昧な説明に、有馬は首を傾げる。


「変ってだけじゃあ、特徴にはならないしねぇ。ウチの場合。全員『変』でしょ」

「……普通の人もいると思うけど」

「誰よ」

「えっと」


 恐る恐る、その名を口にする。


「高階さん、とか?」

「まあ……まともな部類には入るかもね」

 

 普通に喋ることが出来たようだと、乃依は安堵した。

 有馬はかなり鋭い。ちょっとでも言動に不自然な点が混ざっていれば、徹底的に追及されるに決まっている。


「それで、その『変な人』がどうしたって?」 

「あ、うん。なんか知らないけど私の卒論読んでて、それで……よく分からないこと聞かれた」

「……はぁ? なにそれ、精神的にいっちゃってる人?」

「ち、違うって! そういうんじゃなくて……」


 さて、どうしたものか。乃依は考える。正直に話そうと思えば、あの意味不明な質問を一言一句違わずにリピートしなければならない。

 が、そんなことをすれば――。


(絶対バレる! 確実にバレる!!)


 そんなリスクを冒せるか? 答えはノーだ。


「じゃあ何なの?」

「うーん……何なんだろ。よく分かんないんだけど、とにかく変な人に会ったって話。たいした話じゃないよ」


 乃依が笑顔を作って無理矢理話を終了させると、有馬は元々興味も薄かったのだろう。「そう」とだけ言って、それ以上突っ込んではこなかった。代わりに、


「高階さんといえば――」

「へっ?」


 まさかバレた!? と乃依は身を固くする。

 今までの流れのどこに勘付かれる要素があったのだろうかと考えるも、心当たりはない。何かとんでもないミスを犯したのではと焦る乃依に、しかし有馬は意外なことを言った。


「来年からDCでしょ。附属の後任、誰になったの?」

「……ディ、ディーシー?」


 聞いたこともない単語を普通に出され、乃依の頭には「?」マークが浮かぶ。ついでに、その後の附属云々の話もよく分からない。


「DCっていうのは、学術振興会の特別研究員のこと。ドクターに在籍してる人が取れるやつね。聞いたことない?」

「……ごめん。ない」


 乃依は言いにくそうに言うが、有馬は全く気にしていないらしい。説明を続ける。


「優秀な若手研究者に奨励金が出されるの。毎月。でもそれって『研究に専念するためのお金』だから、研究に専念できる環境にいないといけないわけね。だから、附属の仕事も辞めなきゃいけないってこと」

「そうなんだ」

「大学とか短大、あと高専なら大丈夫なんだけどね。もしくは研究機関か」


 つまり、高階は業績が認められるか何かして、どこかからか援助を受けることになった。しかしそのためには、附属校の非常勤は辞めないといけない。――乃依はやっと理解した。


「乃依、知らなかったの?」

「知らなかった……」


 呆然とした声で答えた乃依に、有馬の眉がぴくりと上がる。しばらく様子を窺ってみるも、乃依はぼうっとしたままだ。

 そんな友人を見た有馬は、目を二三度瞬かせてから手を顎に当てて、


「ふぅん」


 ゆっくりと、呟いた。


「ユキ?」


 急に目を細めた友人を、乃依は不思議そうに見つめる。まだ衝撃から抜け切れていないのか、心ここに在らず、といった風ではあるが。


「ううん、なんでも」

「え、なんか気になる!」

「なんでもない」

「今の絶対嘘!」

「いいじゃん、もう」


 有馬は鞄を持ち上げる。


「ちょっ、ユキ!」

「都甲先生と約束あるから、行くね」


 そう言って、彼女はレシートを持って出ていく。乃依は腑に落ちない気持ちで、友人を見送った。




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