6.モノ申す(パッと見)高校生
高校生――というのが間違いだということを、二人には直ぐに認識した。
おそらく、目の前の人物が普通にキャンパス内を歩いていたら、見学に来た高校生かな? と思うだろう。しかし、彼らはそれが大いなる誤解であることを、よく知っていた。というのも、
「志水さん!」
言葉を失った辻原の代わりに、乃依はその人物の名を呼ぶ。
「須崎さん、こんにちは」
「こ、こんにちはっ」
がばっと頭を下げた乃依には、志水の表情は見えない。それでも、隣で震えている辻原を見れば、彼女がどんな顔をして――いや、どんな目で彼を見ているのかは、何となく想像がついた。
「アルバイトは楽しかったですか?」
「え、あ、うん。まあ……はは」
辻原が乾いた声を上げる。
「無駄話をされてたとか」
「ぐっ……何故それを」
「都甲先生から聞きました」
「……くっそ」
「何ですか?」
「いえ何でも」
志水は、一応は笑っている。いや、微笑んでいる――ように見える。少なくとも、乃依には。
それでも何故だろうか。彼女から妙なオーラが出ているのを感じてしまうのは。
(凄い人だなぁ……)
あの辻原を、ここまで震え上がらせることができるなんて。
乃依は、志水の後ろ姿を眺めた。
志水周子はM2なので、れっきした乃依の先輩である。但し、外見は高校生にしか見えないし、実際にキャンパス内では高校生に間違えられるらしい。本人も諦めているのか、あまり化粧で年齢を上に見せるなんてことはしないようだ。常にナチュラルメイク、というのが乃依の印象である。
但し、常にといっても、彼女はほとんど研究室や院生室に顔を見せない。大学には授業がある時とバイトの時にしか来ず、研究は家で静かにやっているというのを聞いたことがある。だから、院生室に彼女の机はなかったりする。
志水が大学にあまり来ないため、実は、乃依は彼女のことをよく知らない。たまに会っても挨拶しか交わさないので、乃依の中ではかなり謎な人だ。
(話してみると、意外と気さくな人らしいけど……)
志水と同じゼミの有馬によると、普通に優しいし、結構面白い人らしい。あまり自分から喋りかけることはないものの、後輩一人ひとりに挨拶してくれる、「いい先輩」とのことだ。
なのだが。
「こっちは展示の準備で大変だったんですよ」
「お、お疲れ様です」
「机運んだり、パネル運んだり」
「あー……」
「そういえば、最終日には撤去作業というものがあるんですけど」
「……手伝わせていただきます」
「ありがとうございます。さすがは辻原さん」
――お手伝い要員をさくっと確保してしまうあたり、只者ではないのだろうと、乃依は思った。
撤収作業は、当然ながら閉館後に行われる。つまり、外は真っ暗だ。
「なに油売ってるんですか」
「げっ」
展示品の一つをいじっていた辻原は、背後からかけられた途端、びくりと手を震わせた。しかしそれが、逆に不味かった。
「展示品を勝手に触らないで下さい! 壊れたらどうするんですか」
「う……すまん」
小学生のような怒られ方だと、その光景を見ていた乃依は思った。辻原が展示品をいじり始めた時に、これ見つかったら不味いんじゃあ……と思っていただけに、予想通りの展開ではあったが。
「はい、これお願いします」
ででん、と辻原の目の前に巨大パネルが置かれる。志水が一人で持って来たことからすると、大きさの割にさほど重くはないのだろう。が、数分前に展示ケースを運んできたばかりの辻原にとっては、過酷過ぎた。
「ちょっと休ませて――」
「なに言ってるんですか。早くしないと終わりませんよ。――あ、蓬田君! 手空いた? これも運んで」
志水はてきぱきと指示を出していく。しかもそれだけではなく、彼女自身が一番動いていた。
「タフだよなぁ……」
それを見ていた辻原は、感心したように、しみじみと言う。その後、大きく息を吐いてパネルを持ち上げた。
「須崎さんも、志水さんには気をつけろよ」
「え?」
辻原がそんなことを言ってきたのは、撤収作業が終わってからのことだ。志水はもう少し片付けがあるとかで博物館に残っていて、蓬田は博物館の前に駐輪していた自転車に乗って、さっさと帰ってしまった。そんなわけで、乃依と辻原はだらだらと帰路についていたのである。
(それって……どういう意味?)
反応に困る乃依に、辻原は教え込むように言う。
「あいつ、ほんと怖ぇから。逆らったら生きてけないよ、マジで。長く研究室にいたいなら、取り敢えず従っとけ」
「え、あ、はい」
いまいち研究室内の人間関係が把握できていない乃依だが、今日のやり取りを見ている限り、辻原は志水に逆らえないらしい、ということは理解できた。後輩である蓬田を扱き使うならまだしも、先輩を酷使していたのだ。
(あ、でも同じ学年なんだ)
本来なら辻原の方が志水よりも一つ上だが、彼は昨年度休学している。今年同時に修論を出し、来年度からは二人ともドクターに進学する。なるほど、道理で関係が近いわけだ。
「ま、戸田研は苛めるような先輩はいないか」
「そうですね。そんなことないです」
「大能さんも?」
「優しいですよ」
冗談めかして言う辻原に、乃依は笑って答える。
最年長の大能も、一つ上の板倉も優しくしてくれる。良い先輩に囲まれて良かったと、乃依は常々思っているのだ。それに、
「高階さんも、や――」
優しい、と言おうとして、乃依は踏みとどまった。
「――親切ですよね」
慌てて「親切」という表現に言い換える。それが正しかったのかどうか分からないが、辻原は特に違和感を覚えたようにはなかった。
が、
「親切?」
怪訝そうな目。
乃依は慌てて付け足した。
「いえ、だってその、卒論とか、色々教えてもらいましたし」
「あーそういうこと」
「あんなに時間取ってもらって。凄く有難かったんですけど、なんか申し訳ないような」
「んー、別にいいんじゃない? 院生が学部生の面倒見るのは義務みたいなもんだし」
「……そう、なんですか」
義務、という言葉がぐさりと心に突き刺さる。悪気がないぶん、真実を言っている気がした。
「だから気にしなくていいって」
後輩を安心させるための言葉だったが、乃依にとってはそうはならない。「はい」と言って笑顔を浮かべたものの、上手くできている自信はなかった。
「けど、そういう評価は初めて聞いたわ」
「え、そうですか!?」
演技でもなんでもなく、乃依は素直に驚いた。
「どっちかってーと、こう、冷たい印象ない? いや悪い人じゃないんだけどさ、何て言うか、とっつきにくいというか。素っ気ない感じもするし、あんま自分から話す人じゃないだろ?」
「それは……そうかも、しれないですけど」
確かに、当初はそういう印象が強かった。今でも、なんとなく話しかけづらい時がある。遠慮しているのだ、ということは自覚しているが、なかなかこの距離を縮めることができない。いまだに、上手く距離感を掴めていないのだ。
「あの人と普通に話して盛り上がってる人間なんて――あー一人いるか」
「え」
今の言い方からすると、その「一人」というのは乃依のことではないのだろう。辻原の頭の中には、別の人物がいるはずだ。
(誰?)
とっさに思い浮かんだのは、同じゼミの大能だが、別に盛り上がっているというほどの会話はしていないと思う。板倉にしたって同じだ。どちらかというと板倉が積極的に話しかけている印象があるが、彼女はそういうタイプだから問題ない。
(って、「問題ない」って何!? しかも、なんで女の先輩ばっか思い浮かぶんだろ……)
研究室にはもっと人がいるのに、とっさに想起されたのがこの二人というのが、何ともまあ。
乃依は、ぐるぐると脳内を回り始めた思考と格闘を続ける。だから、辻原の口から出た「やっぱ似たもん同士か?」との呟きには、気付かなかった。