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彼らがメールを送った後に  作者: はんぺん
その後の話
44/47


 一年ぶりに見る風景は、まるで変わっていないように思えた。

 無人改札をくぐった先はやはり閑散としていて、雪の降り込む待合室も人気がない。随分昔に貼られたのであろうポスターが、冷たい風に吹かれてぱたぱたと揺られていた。

 高階は腰を落として、足元に落ちていた押しピンを拾う。それを親指でぐっと押して、ポスターの端をきつく止めた。


(変わらないなぁ)


 よいしょとリュックを背負い直して、駅を出る。列車の到着時刻は伝えておいたはずだが、祖父の姿はどこにも見当たらなかった。

 このまま待とうかとも考えたが、実家までの道はほぼ一本道である。途中まで歩くことにして、懐かしい道を進み始めた。


 歩いていくと、向こうから白い軽トラックが見えた。窓からは、細い手が覗いている。

 そのトラックは高階の目の前で止まり、今度は窓から人の顔が現れた。


「すまんすまん。遅ぅなった」

「いいよ、全然。わざわざありがとう」


 祖父に「乗れ」と言われ、高階は助手席に乗り込む。高階が物心ついた時から使用されている車は、若干嫌な音を立てて発進した。


「濡れたか?」

「あーうん、まあ。ちょっと。大したことないよ」


 傘を持って来ていなかったので、頭は白くなっている。それでも、雨に濡れるよりかはマシだったし、こうして雪まみれになるのは嫌いではなかった。


「帰ったら、ばあさんがぜんざいを作っとるぞ」


 一年ぶりだ、と高階は思う。一人では作ろうと思わないので、食べる機会がない。

 祖母の作るぜんざいは好きだ。しかも、ぜんざいが作られるということは、餅つきが終わっているということなので、なおさら実家に着くのが楽しみになった。





 ――と思っていたのは道中のことであり。

 離れに住んでいる祖母への挨拶を済ませた後、荷物を置きに母屋へと行こうとしたところで、帰省が必ずしも「楽しみ」とはならないものだったことを思い出した。


「あ、孝ちゃん。帰ってたの」


 庭に出ていた女性が、乾いた洗濯物を抱えたままの状態で声を掛ける。彼女はそれを縁側まで一旦運んだ後、再び庭へと戻ってきた。


「今帰ったところ。じいちゃんに、駅まで迎えに来てもらった」

「ふぅん。あ、ねえねえお土産は? 頼んどいたあれ、買ってきてくれた?」


 予想通りの反応に、高階は「はい」と言ってお土産袋を渡す。こうなることは予測済みで、敢えて手提げにして持って帰っていたのだ。

 直ぐに所望のものが出てきたことに満足したのか、彼女は上機嫌で縁側へと戻っていく。サンダルを脱ぎ捨て、自分だけ暖かい部屋へと入って行った彼女を、高階は呆れた目で追った。


(玄関の鍵……開いてるかな)


 これで閉まっていたら、さすがに泣けてくる。

 この近辺では、鍵をかけるなんて習慣はないのだが、それでも高階は慎重に玄関へと回り、ドアノブに手を伸ばした。


「あっ」


 やはり田舎はこうでなくては、と思う。遠いところを遥々やって来て、高階家に狙いを定めて窃盗を働くような輩もいなければ、見慣れない人間をスルーするような地域住民もいない。きわめて安全な社会なのである。

 高階家と隣家との距離は、五百メートル程度あるものの、付き合いは良好で、互いの動向を良く知る関係にある。不審者が現れれば、直ぐにこちらの耳に入っているだろう。

 ところで、初めて高階家を訪れた人間(但し都会っ子に限る)は、たいてい同じような反応を示す。

 曰く、


 ――超お金持ちじゃん!


 と。

 そう思われる理由は簡単で、単に家が大きくて、どこぞのお屋敷のようだからだ。

 確かに、家は無駄に広いし、耕作地も十分なほどあるし、山の一部も所有している。が、これは別に珍しいことでも何でもなく、過去に大地主だったという記録もない。「普通だよ」と言うのだが、「いやいや」「またまた」と言って信じてもらえないことが多かった。

 

「ただいま」


 既に自分が帰っていることは知っているだろうが、一応そう言ってみる。

 返事はない。

 まあ、それはそうだろう。何せ、広いのだ。

 畑の方には出ていなかったので、母は家のどこかにいるはずだ。取り敢えず台所に近付いてみると、良い香りがした。


「――母さん」


 抑えたトーンで呼ぶと、母はぐるっと身体を回転させて、まるで一大事でも起こったかのような声を出した。


「あらぁ!? 孝ちゃん、帰ってたの!」

「帰ってたよ。さっきね。姉ちゃんから聞かなかった?」

「ぜん、ぜん! やだもう、何で教えてくれないのよ」

「……お土産に夢中になってるんじゃない?」


 自分の帰宅が認識されていなかった事実に、ややショックを受けながらも――いやでも、これが普通だったな、と思い直す。

 そうだった。これが我が家なのだ。





 夕食は鍋だった。祖父母も一緒に食卓を囲むかと思われたが、食事の時間帯が違うことを理由に止めになった。父の帰りが少し遅くなると、連絡があったからだ。

 少し前に、思う存分ぜんざいを食べていた高階だが、鍋は問題なく胃袋に収まっていった。


「そういえば孝司君、卒業したんだって? おめでとう」


 今まで誰も口にしなかったことを言ってくれたのは、やはり義兄だった。姉とは違って常識的な人で、何故こんなにもまともな人が姉と結婚してくれたのか、高階はいまだにそれが理解できなかった。


「ありがとうございます」


 卒業ではなく正しくは修了だが、祝いの言葉を述べてくれる義兄を前に、訂正することは控えた。


「いやぁ、すごいね。俺なんか、そっちのことは全然わからないんだけど、博士っていえば、ほら。大学の教授になれるんだろ? いやぁすごいなぁ。教授かぁ」

「あ、いや、そうとも限らな――」

「そうよ孝ちゃん、いつになったら出世するの!?」


 被せるように発言してくるのは、母。

 出世もなにも、ただの嘱託職員ですが何か?――そう言いたいのを堪え、高階はお茶を一口飲んだ。


「そんな直ぐには無理だよ」

「えぇー!? せっかく卒業したのに? どうして?」

「じゃあ、まだバイト続ける気!?」

「バイト!? 兄ちゃん、フリーターだったの!?」


 母、姉――それから、妹。

 口々に質問を浴びせられ、高階は「やれやれ」と思うと同時に、懐かしさを覚えた。悲しいかな、やっと「実家に帰ってきた」という実感が湧いてきた瞬間でもあった。

 高階は律儀に現状と今後の見通しについて、途中で何度も腰を折られながらも説明し、一応は周囲の理解を得ることに成功した。ちなみに、全てを聞き終わった女性陣の反応は、「ふぅん」だったが。


(まあ、いいんだけど)


 寡黙――というか、この喧しさについていけない父(たぶん自分はこの人に似たのだろうと、高階は思う)は、ただただ箸を動かしていた。

 父は高階の進路について、あまり意見を言わなかった。大学に関しては、私立はやめてくれと言われたが、それ以上の縛りはなかった。結構好きにさせてもらってるな、と今更ながらに思う。

 高階がそんなことを思っていると、かつーんという大きな音が響いた。


知可(ちか)ちゃん!」


 その名前に、思わずぎょっとする。が、それが姪を指しているのだと理解するのに、時間はかからなかった。


「もう、駄目でしょ。これで遊んだら!」


 姉が姪――知可の持っていた陶器のレンゲを取り上げる。

 きゃははは、と姪は笑っている。音の鳴るものに興味があるのだろう。

 義兄が「そろそろ風呂に入れるか」と言って立ち上がり、父も「ごちそうさま」と言ってそれに続く。高階も同じようにフェードアウトしようとして――。


「ところで孝ちゃん、良い人はいないの?」


 母に捕まった。

 これは長くなるぞ、という嫌な予感――というかもはや確信が、ずっしりとのしかかる。


「孝ちゃんに彼女ぉー!?」


 案の定、姉がそれに便乗する。わざとらしい驚き方に、さすがの高階もカチンときた。

 が、それよりも早く、


「いないわよねぇ。やっぱり」


 即答の母。


「いるわけないじゃん。兄ちゃんだし」


 追い打ちをかける妹。

 どういう根拠だ、と高階は思う。


「えー、つまんない」


 箸をぷらぷらさせる姉を、高階は冷めた目で見る。いいから早く旦那を手伝って来い、と心の中で思うも、それが姉に伝わることはなかった。


「東京で一人っていうのも、寂しいわよねぇ」

「そっか! てことは、この前のクリスマスも一人で過ごしたわけ? うわ有り得ない!」


 有り得ないのは、受験生のくせに遊び呆けているお前だろう、というツッコミを入れる人間は、この場にはいなかった。本当は言ってやりたかったが、それを言ってしまったが最後、ますます面倒なことになる予感しかしないので、高階は黙っておいた。


「ねぇ、誰かいないの?」

「だからいないって。兄ちゃんだし」

「そろそろ勉強したら? 受験生だろ」


 イラッとして、妹にそう言ってやる。すると妹は勝ち誇ったような口調で、「専門だから、余裕だもんね」と言った。


「専門学校? 何の?」

「んー。ま、色々。取り敢えず何か資格取れるとこ」

「何だそれ」

「私は兄ちゃんとか孝弘(たかひろ)みたいに頭良くないし、これでいーの」


 分が悪くなったと判断したのだろう。捨て台詞のようにそう言うと、妹は居間を後にした。


「孝弘、勉強できるんだ」


 合宿中で家を留守にしている弟とは、長いことロクに話をしていない気がする。弟も弟で、あまり喋らないのだ。


「そりゃもう、孝ちゃんなんか足元にも及ばないんだから」


 相変わらず育児を夫に任せたままの姉は、余計なひと言を挟みながら、それでも主婦らしく後片付けを始めていた。


「ふぅん」

「冷蔵庫に、この前の模試の結果貼ってあるから、見てきたら?」

「はぁ? 冷蔵庫?」


 どんなスパルタ教育だと思いながら、冷蔵庫に近付いてみる。高校一年生だから、まだ三教科受験のはずだ。

 昭和を感じさせる冷蔵庫に、でかでかと模試の結果が貼られてある。弟が自らこんなことをするとは思えないから、おおかた母か姉のどちらかの仕業だろう。

 ちょうど目線の高さに貼ってある紙を見た高階は、何度かそれを確認した後、思わず呟いていた。


「え……? これ、孝弘の……?」


 第一志望には、国内で最も偏差値の高い大学の名前が書かれており――驚くべきことに、合格圏内だった。





 その夜、高階は離れに泊まった。学生の頃は、離れで祖父母と生活していたからだ。


「じいちゃん」


 床につこうとする祖父に、高階は声を掛ける。「んん?」と言って振り向いた祖父は、眠たげな顔をしていた。

 あのさ、と意味のない前置きをしてから、高階は何度も脳内シミュレーションしてきた言葉を告げた。


「今度、連れて来たい人がいるんだけど」


 最初にこれを言うのは、祖父にしようと決めていた。

 祖父はさして驚いたような様子は見せず、にんまりと笑って、「そうか」と言った。




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