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40.メールを受信した彼女


 それからの日々は、あっという間に過ぎていった。

 マスター二年になってからは、本格的に修士論文に着手することになる。データ収集から現地調査まで、乃依は地元と大学を往復する毎日を送っていた。

 こんなことなら、フィールドを大学周辺にしておけば良かったと思ったが、もともと地元のことを研究したかったのだから仕方がない。それに、やはり土地勘のある場所の方が有利だろうと戸田からも言われていた。

 こうしてわき目も振らずに研究活動を行っていた乃依は、周囲が就職活動に勤しんでいるなか、それに加わることはなかった。ただ、地元を含めたいくつかの公務員試験を様子見で受けることはした。――当然、全敗であったが。

 ある時、


「これでニート確定かぁ」


 と呟いたところ、たまたま居合わせた厚東から、


「そんなもん、ここに残った時点で覚悟しとけよ」


 と、身も蓋もないことを言われてしまい、妙に納得してしまったことがあった。厚東が言うならそうなのだろう。


 しかし本気で取り組んだだけあって、恐怖の中間報告は、なんとか乗り切ることができた。これもひとえに厚東と辻原のおかげなので、二人には素直に感謝した。

 当初、都甲研の面々には苦手意識があったものの、今ではそれほどプレッシャーは感じない。対等、とまでは全然いかないが、ある程度は同じレベルでの会話が可能になっていることを乃依は嬉しく思っていた。その証拠に、


「あの須崎がなぁ」


 などと、厚東がしみじみ言うのである。彼から見ても、乃依は「まだマシ」レベルになったということだ。

 だからといって、ドクターに進学する気には到底なれなかったし、周囲からそれを勧められることもなかった。院試を控えてますます研究に勤しむ蓬田とは反対に、乃依は就職の道を模索する日々が続いていた。


 その年の初め、乃依の元に、東京から一通の年賀状が届いた。一年前、「年賀状を出す」と言った言葉の通りに。

 シンプルな干支入りの年賀状で、手書きで「お元気ですか?」と書かれている。彼の動向を示す情報は一切書かれていなかったが、きっとうまくやっているだろう。乃依はそう思うことにした。


 修論は、年内に形にした。とにかく無事終了するぞ、ということを目標にしていたので、期限には余裕をもって仕上げたのだ。最後の最後まで粘った蓬田とは対照的だった。

 これまた都甲研の協力あってのことであり、乃依は彼らに感謝したのだが、ふとした拍子に寂寥感が込み上げる時があった。


 二年前、卒論を手伝ってくれた先輩はいない。

 悩んだ時に的確なアドバイスをくれた先輩も、苦しい時に優しく声を掛けてくれた先輩も――いない。

 そのことが、乃依にはとてつもなく寂しく感じられた。


(会いたいな……)


 彼なら、どういう言葉をかけてくれるだろう。

 そんな「もしも」を考えても仕方がないのに、修論を提出してきた今、考えずにはいられなかった。


(結局、全然連絡取ってないし)


 驚くほど月日の流れは早かった。

 進級直後は、この先の一年を不安に思うことが多かったものの、五月下旬の学会報告(これが乃依の学会デビューとなった)の準備やら、夏の調査合宿やらで、気付けば秋になり――冬になっていた。


 そして、今日は三日ある修論提出日のうちの一日目である。蓬田はまだ粘っているらしいので、院生室に帰るのはなんだか気が引ける。きっと、あそこは今修羅場になっているはずだ。


(帰って、ケーキでも買いに行こっかなぁ)


 自転車通学なので、ケーキを買うためには一旦帰宅して自転車を置いてから、歩いて店に行かなければならない。

 面倒だが、仕方がない。今日くらいはパーッとお祝いしなくては。

 乃依は、まばらな人の間をすり抜けて駐輪場へ向かおうとした――が、


「須崎さん、帰るの?」


 エントランスへ入ってきた人物を認識すると、乃依は即座に挨拶をした。朝でも夕方でもないのに、こんなところにいるなんて珍しい。というか、久々に見かける気がする。


「はい。修論提出してきたので」

「ふぅん。一番乗りかな。早いね」

「その……はい……すみません」


 何でもっと粘らないの?――そんな声が聞こえてきそうで、乃依はいつもに増して萎縮する。

 普通にしていれば怖い人ではないというのは理解しているが、やはり彼女と相対する時は緊張するのだ。これは条件反射と言っても良い。


「え? 別に責めてなんかないよ。私も一日目に提出したし」

「そうなんですか?」

「うん。その方が安心でしょ。それに、高みの見物もしたかったし」


 うわぁ……と乃依は思う。それは、まだ院生室で足掻いている人達のことか。やっぱり、ちょっと怖い人である。


「あとは口頭試問だけだね。これが終われば、もう憂いはなくなるよ」


 志水の笑顔に、乃依は微妙な笑顔を浮かべる。


「あ、いえ……実は、そうでもなくて」

「ん?」

「それが……就職、決まってないんです」

「ああ……」


 あ、やっぱり知られてたんだ――と乃依は察する。志水周子ともあろう人が、後輩の進路を把握していないはずがない。


「親からは帰って来いって言われてるんです。こっちで探せばいいから、って。でも……大学と完全に縁が切れるのが、実感がわかないというか……」


 もしかしたら寂しいのかもしれないと思う。

 何せ六年間を過ごしてきた場所だ。小学校と同じ年月と考えると長いようだが、実際はあっという間だったような気がする。

 特に、この二年間は。


「公務員志望だよね」

「はい」


 志水には話していなかったはずだが、今更驚くようなことでもない。


「具体的には、どういうことがやりたいの?」

「ええと……取り敢えず、地元に戻って地域に貢献できたらな、と」

「それ、全然具体的じゃないよね」

「――う」


 志水の言葉がぐさっと身体に突き刺さる。まるで圧迫面接を受けているかのようだ。

 乃依は一つも一次を突破できなかったことを思い出し、二次にコマを進めていたらこんな感じだったのだろうかと、ぼんやりと考えた。


「なんとなく公務員になりたい、ってこと?」

「そういうわけじゃないと、思うんです……けど」


 が、志水に詰められると自信がない。乃依の口調は弱々しくなっていく。

 よくよく考えてみると、学部生の頃のような、「将来は公務員になるぞ!」という意志はだいぶん薄れている気がする。この二年間で、大学という場所に愛着が湧いてしまったのか、はたまた社会に出られないほど人格が変容してしまったのか。

 後者だったら嫌だなぁと思いつつ、乃依は志水の様子を窺う。

 はっきりしない話し方は志水の心証を悪くするかと思われたが、意外なことに、彼女は顔色を変えるもなかった。


「――じゃあ」


 相変わらずの、淡々とした口調。

 何を言われるのかと身構える乃依に、志水は突然くるりと方向転換をする。


「こういうのも、あるよ」


 そう言って、学生課の前に貼られている一枚のポスターを指差した。





 ケーキ屋から帰り、鞄から携帯電話を取り出した乃依は、それがチカチカと点滅していることに気が付いた。


(メールだ)


 歩いている途中だったので、気が付かなかったのだろう。

 蓬田から(印刷を手伝ってくれとか、そういった用件)だろうか。もしそうだったら、気付かなかった振りをしたい。これから、ケーキで一人パーティーをする予定なのに。

 彼からでなかったとしても、急ぎでなければ良いのだが――そんなことを思いながら受信ボックスを開いた彼女は、思わず携帯電話を落としそうになり、慌てて握りしめた。


(嘘!)


 信じられない面持ちで、何度も送信者を確認する。久しく、受信ボックスにも送信ボックスにも見えなかった名前を。


 携帯電話には、長らく音沙汰がなかった先輩からのメールが来ていた。




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