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37.女子力アップを図る女子



「こんなに頂いていいんですか!?」


 ずっしりと重い袋を手渡され、乃依は高階と袋の中身を交互に見た。

 中には、季節の野菜が詰められている。色や形は不揃いだが、どれも大ぶりで美味しそうだ。


「あ、ごめん。重くなり過ぎた?」

「いえいえいえいえ! そんなことないです! 自転車に乗っければ、全然問題ないです! ありがとうございます!」


 最初は、大根が大量に送られてきたからお裾分けを、という話だった。もちろん送り先は高階の実家であり、これらの野菜は彼の祖父母らが育てているものである。


「袋、二重にしとこうか。ちょっと待ってて」


 そう言うと、高階は押入れを開け、中から紙袋を取り出した。

 彼が袋の大きさと強度を確かめている間、乃依は今週の献立を考える。

 最初は大根だけだと思っていたので、今日はぶり大根にするつもりで、昨日ぶりを購入済みである。あとはおでんとか、味噌汁とか。使いきれなかった分は、砂糖と一緒に酢漬けにしても良い。他の野菜については――一人人暮らしを始めて直ぐに購入した料理本と相談しよう。


(……よし。今週は頑張ろう)


 ついこの間まで、一か月以上包丁を握っていませんでした、とは口が裂けても言えない彼女である。このことだけは、絶対にバレないようにしなければならない。

 

 乃依はもともと家事が駄目な方ではない。少なくとも、学部四年の途中までは自炊派で、たまに凝った料理も作っていたものだ。

 ところが、卒論で忙しくなってくると、だんだんと帰宅時間が遅くなったり、生活のリズムが崩れてきたりする。せめて食事だけはきちんとしよう、となると、学食に頼らざるを得なくなるのだ。

 そして、進学してからもその生活は変わらず、昼と夜は学食で済ます、朝は家で適当に、というスタイルが身に付いてしまったのである。


(これからは、ちゃんと自炊しよう。……あと、片付けも)


 相変わらず綺麗に片付けられた部屋を見つめながら、乃依はそんなことを思うのだった。





「今日も帰るのか?」


 席を立った瞬間、目ざとく見つけた蓬田にそう言われ、乃依は危うく鞄を落としそうになった。


「あ、うん」


 別に悪いことはしていないのだが、なんとなく気まずい。

 どうにも帰るタイミングだけは難しいな、と思う。今日は夕食時にかからないよう、いつもより少し早めに帰る仕度をしたというのに。それでも、こうして声を掛けられてしまったのだから。

 きっとそれだけ、彼らと一緒に夕食を取ることが習慣化してしまったのだろう、と乃依は原因を分析する。


「須崎さん、自炊に切り替えたんだっけ?」

「はい。最近、なんですけど」

「へー、偉いね。ウチじゃあ、毎日自炊してるのって、志水さんと高階さんくらいだっけ。……あ、佐合さんもか。けど、何で今頃? どういった心境の変化?」


 辻原の詮索が痛い。何故彼はこう、鋭い質問をぐさぐさと突き刺してくるのだろう。

 学部時代の思い出(というほど良いものではないが)が蘇り、乃依はうっと言葉に詰まった。


「ええと……その、節約しようと思って」

「あー、須崎さんバイトしてないんだっけ。確かに削れるところって言えば、食費だよなー」


 辻原は、案外あっさりと納得したようだった。「俺も自炊しよっかなー」と言いながら、再び机に向かう。もう話は終わったという合図である。


(ふぅ)


 この間に部屋を出よう。

 乃依はそそくさと部屋を移動し、出口に向かう。「帰ります」宣言をしたからには、一秒でも早くこの空間を脱出したかった。


 それにしても、辻原も余計なことを訊いてくれる。あの場に高階がいなかったから良かったようなものの、もし先ほどの会話を聞かれていたら、乃依が自炊をしていなかったことが確実にバレてしまう。


(そういえば、最近会ってないな)


 記憶が正しければ、先週の金曜日から高階を見ていない。また、どこかに調査に出かけたのだろうか。


(そういう話は聞いてないけど……)


 三月の中旬に行くというのは聞いているが、今は時期ではない。とすると、単に家に籠って研究をしているのかもしれない。

 ゴーストタウンと化している廊下を歩きながら、乃依は連絡もなく大学を不在にする先輩について考える。

 先日の一件もあるから、過剰に心配する必要はないことは分かっている。それでも、これまで頻繁に会っていた人の姿が見えないとなると、多少は不安になるというものだ。

 もやもやとした思考のまま、エレベーターを降りると、そのまま足元を見ずに左へ向かう。

 が、それがいけなかった。


「あっ」


 思わずこぼれた声は小さかった。

 と同時に、素早く体勢を立て直す。エントランスのど真ん中で転倒、という悪夢は避けねばならない。――たとえ、誰もいなかったとしても。


(危なかった……)


 心拍数の上がった身体を落ち着かせながら、乃依は壁に手をつく。冷え切った壁が、彼女を冷静にするのを手伝った。

 先ほど転倒しそうになった場所を見ると、わずかに光っている。誰かがそこで雪を掃ったのだろう。迷惑なことだ。

 それから、こそっと靴の裏側を見る。まだいけそうだが、若干擦り切れているような気がしなくもない。


(そろそろ買い換えよっかなぁ)


 あまりボロい恰好をするのはいかがなものか、というのは最近思い至ったことである。

 学部の頃はそれほど気にしていなかった身だしなみも、この一年で少しは気にするようになった。原因は主に、お洒落に気を抜かない完璧女子が身近にいるからである。


(あのレベルには、全然達しないけどね! うん)


 美人の同期を思い浮かべる。あの領域に達するには、一年という期間は短過ぎる。

 それに、今更ばっちりメイクをするのも不自然というものである。それこそ、「どういった心境の変化?」だ。真っ先に辻原に突っ込まれるのは、間違いない。


(見苦しくない程度で頑張ろう……)


 焦る必要はない。時間はある。

 乃依は自分に言い聞かせる。

 よくよく考えれば、最近いい感じなのではないだろうか。頻繁に、ではないが下宿にお邪魔しているし、実家から送られてくる野菜までお裾分けしてもらっている。一年で、この進歩だ。


 二重になっている出入り口を抜けると、冷風が吹き付けてくる。乃依は顔にかかった雪を掃って、積もった雪に思い切り足跡を残した。


(まだ、大丈夫)


 しばらくは彼が大学を出ることはない。あと一年、一緒にいられるのだから。

 そう思って、彼女はすっかり安心していたのだった。



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