32.二本目のチキンを食べる男
色々と仕方がなかったのだ、と須崎乃依は自分に言い訳をする。
パソコンに異常が起こったのは自分の所為ではないし(たぶん)。
自分ではどうしようもない状況を打開するため、先輩にSOSを送ったのは間違った選択ではないし。
返信を待っている間に知人がやって来たので、助けてもらったのはごく自然のことだし。
せっかくのチャンスをふいにしたことは確かに残念だが、そもそもの問題が解決したのだから、むしろ喜ぶべきなのだ。
(――なんだけど)
乃依は、暗転した携帯電話の画面を見つめる。
高階の返信は、結局来ないままだった。
あれから何度も携帯電話をチェックし、そのたびに落胆し……という動作を繰り返している。いい加減諦めれば良いのだが、そうもいかない。
(絶対、こんなくだらないことで連絡して、って思われたんだー!)
単に忙しくて返信できないとか、メールに気が付いていないとか、そういった話なら、まだ救われる。
が、くだらないメールを送ったことに対して悪印象を持たれたのだとしたら――。
(なんて取り返しのつかないことを!)
願わくば、時よ戻れ。
クリスマスイブの奇跡にかけて願ってみるものの、当然のことながら、そんなミラクルは起きるはずもなかった。
失意の乃依は、のろのろとキャンパス内を歩く。直ぐに帰宅しても良かったのだが、落ち着かないこの状況では、なんとなくそういう気持ちになれない。
今日がクリスマスイブだという事実に気が付いてしまえば、キャンパス内がやたらと静かなのも説明がつく。世の中にはイブを楽しめる人が多いんだな、と乃依は思った。
(あ……そういえば、お昼食べてなかったんだった)
カフェの前を通り過ぎようとしたところで、急に空腹を感じて立ち止まる。
色々あった所為で食べ損ねていたのだ。朝もわりと早かったから、かなりの時間、何も口にしていないことになる。
心境的には喉を通らないといった感じだが、身体は食事を欲しているらしい。その証拠にお腹がすき過ぎて、気分が悪くなってきた。
(ここで何か食べてこっかな)
食堂までは距離もあるし、と思う。
店内を覗くと、それほど混んでいるようには見えなかった。しかも、ざっと見る限りカップルだけではないようなので、入りやすい雰囲気ではある。
と、そこで乃依は一人の人物に目を止めた。
(あれって……)
見覚えのある顔だと思ったら、ウパニシャッド哲学とやらを専攻している同期だった。
彼は一人ではなく、佐合に負けず劣らずの美人と仲良くケーキを食べている。どこからどう見ても、幸せいっぱいなカップルそのものだ。
乃依はその可能性について、既に知ってはいた。夏休みの間、農学部付近を歩いていた時に、たびたび見かけていたのだ。並木通りのベンチで、彼が彼女と(何故か)猫を可愛がっていた姿を。
彼は同期の間でも「変人」と名高かったが、いつの間に彼女なんてつくったのやら。あまり深く付き合ったことがない乃依でも、噂を聞く限り、首を傾げるような話だった。
(ちょっと入りづらいなぁ、これ)
向こうは乃依の存在など覚えていないだろうが(そういう人だ)、なんとなく気まずい。しかしお腹も空いてきた。どうしようかと思い、店の看板と店内を交互に見ていると、
「須崎さん?」
やや遠慮がちな声に振り返ってみれば、いないはずの人物が目の前にいた。
「高階さん! どうして、ここにいらっしゃるんですか!?」
「どうしてって……向こうから須崎さんの姿が見えたから、来てみたんだけど」
「いえ、そういうことではなくて……どうして大学にいらっしゃるんですか?」
どこかで聞いたような会話だな、と思いながら返事をしようとした高階だったが、それよりも先に乃依が言葉を続けた。
「そうだ! それより、さっきはすみませんでした! 急にあんなメールをして」
「いいよ。まあ、解決して良かったね」
「はい。ちょうど知り合いが来たので、助けてもらいました」
「そうなんだ」
「それでその、どうして大学に? もしかして、今日はいらっしゃってたんですか?」
志水と会う前だったなら、「今日」という日を、さほど意識しなかっただろう。しかし、先ほどのやり取りで、「長らく大学を不在にしておきながら、クリスマスイブにわざわざやって来て、一人でキャンパス内をうろつく不自然さ」を一応理解した高階である。乃依の疑問に、そういった意味が含まれているかどうかは不明だが、ここはきちんと言っておかなければならない。
「いや、さっき来たばかり。……ちょっと遅かったみたいだね」
「え?」
「須崎さんからメール貰った時、今から行くって連絡しようかと思ったんだけど、それより直接来た方が早いかな、って思って――ほら、家近いし」
言っている途中から、「すみません!」と頭を下げ始めた後輩は、やはりというか何というか。
高階としては、今日の行動が無駄になったからといって乃依を責める気はない。タイミングが悪かったとしか言いようがないし、彼女に確認しないまま自分から来たのだから至極当然の結末ともいえる。
本当はその事実を明かすつもりもなかったのだが、「クリスマスイブにわざわざ大学にやって来る理由」を説明するためには、こう言うしかなかった。
しばらくぺこぺこと頭を下げていた彼女だが、何度目かのフォロー(きちんと確認しなかったこちらが悪いのだから云々)を入れると、やっと顔を上げた。
傍からみれば、可笑しな状況だったことだろう。高階は思わず周囲を見回した。
ちょうど目の前には、やたらキラキラした内装のカフェがある。
クリスマス仕様だろうか。志水がいたら皮肉の一つでも言いそうな雰囲気を演出していた。
「そういえば、須崎さん。ここに入ろうとしてた?」
「あ、いえ……どうしようかなって」
「ごめん、引き留めて。今なら空いてるみたいだよ」
言うものの、彼女は動こうとしない。
代わりに数秒ほど店内を見て、それから高階を見て、言った。
「高階さんは、夕食はまだなんですか?」
「え!? あぁ……うん。まだ、だね」
咄嗟に、つい先ほどまで志水とチキンを食べていた事実を隠蔽する。あれは夕食じゃなくて間食だ、と自分自身を納得させた。
もしここに志水がいたならば、「高階さんにもそういう意識があったんですね」とでも言いそうであるが、幸いなことに彼女はとっとと帰宅していた。早く洗濯物を取り込みたいらしい。
「じゃあ……」
乃依の目が不安そうに揺らいだ。
しかし、それも一瞬のこと。何か重大な決意したように、乃依はびしっと人差し指を突き出しながら言った。
「じゃあ、チキンでも食べませんか!?」
指差す先には、「クリスマス限定 クリスマスBOX」の広告。
やっぱりどこかで聞いたような話だな、と高階は思いながら頷いた。
クリスマスBOXは、名前の通りボリュームのあるメニューだった。
いかにも欧米人が食べそうな骨付きチキンにポテト、サラダにパン。とっさにカロリー計算をした高階だったが、目の前で「美味しそうですね」と言って目を輝かせている後輩を前に、そんなことは口に出せなかった。
ところが、せっかく目の前にある御馳走に、乃依はなかなか手をつけようとしない。コップの水をちびちびと飲むという、高階にとっては謎の行為を続けている。高階は別の事情により、勢いよくチキンを食べる元気はなかったが、乃依はそうではないはずだ。
「……食べないの?」
「あ、はい! いただきます!」
弾かれたように、乃依はコップを置く。そして、大丈夫かというほどのゆっくりとした動作で、骨付きチキンを手に取った。
「いただきます」
はむ、と小さく口を開いて、乃依はチキンの端をかじる。口に含まれた量が少なかったのか、味がよくわからなかった。
それでも完全に呑みこんでから、もう一度、やはりチキンの端をかじる。
同じく、口にはほとんど入ってくれない。大して味を感じない肉を、乃依は無表情で咀嚼した。
「もっと、勢いよく食べた方がいいんじゃないかな」
「勢いよく、ですか?」
チキンから手を離し、乃依は向かい側に座る高階を見る。
「そう。がぶっ、と」
「がぶっ、と」
復唱して、恐る恐る口を広げる乃依。
「…………食べないの?」
「あ、はい! いただきます!」
そこで止まるのか、という場面で静止していた乃依だったが、今度こそ口を大きく開けてチキンへと向かっていく。なぜか、目を瞑りながら。
何となく目のやり場に困って、高階は窓の外に目を向けた。
外は、先ほどよりもはっきりと雪が降っていた。やはり今夜は止まないかもしれない。
(こういうのを何ていうんだっけ。――ああ、ホワイトクリスマス……)
自分には到底縁のない単語。それがするっと出てきたことが、高階には可笑しかった。
新和くんは元気にやっているようです。




