31.チキンを食する関係の二人
今日がクリスマスイブだ、ということに気付いたのは、学生会館の前で小さなクリスマスツリーを目にしてのことだった。
田舎大学に、果たしてこんなお洒落なものが必要とされるのだろうか、という疑問を浮かべながら、志水周子はその横を通り過ぎる。
イルミネーションというにはいささかお粗末な電光飾が、申し訳程度に巻かれているのが、見ていて痛々しい。自分の背丈よりもわずかに低い、明らかな家庭用クリスマスツリーは、行き交う人の目に留まることないようだ。
と、学食の前を通り過ぎようとした志水は、そこにあった張り紙に目を留めた。
(チキンかぁ)
彼女にとっては、クリスマスなんてどうでもいいイベントであるが、クリスマス限定でやって来る骨付きチキンは見逃せない。写真つきで「クリスマス限定! 骨付きチキン」と書かれれば、「チキンぐらいは食べて行こうか」という気になってくる。
たとえ、一人でも。
(夕ご飯にはまだ早いけど、まあいっか)
空腹具合を確かめながら、人気のない食堂へ足を伸ばしかけた――その時、
「なんで、いるんですか」
珍しく動揺した声は、まさに食堂に入らんとする人物に向けられていた。
「ん? ああ……志水さん」
その人物――高階は、いつもと変わらず律儀に会釈をする。
「なんで、いるんですか」
もう一度問いかける。
「なんでって……生協に寄ったついでに、夕飯を食べて帰ろうと思ったから」
「そういうことじゃないです。今日は、イブなんですよ?」
「ごめん、言ってる意味がわからないんだけど」
色々と通じない先輩に、志水は思い切り溜息を吐く。
ああもうこの人は、という言葉を呑み込み、彼女は小学生に説明してやるように、言葉を区切りながら言った。
「高階さんは、なぜ、クリスマスイブのこの日に、わざわざ大学に来られたんですか?」
今まで引き籠ってたくせに、というニュアンスが通じたのだろう。高階は「ああ」と言って納得した顔をした。
「実は、さっき須崎さんから、情報処理室のパソコンの調子が悪くなったっていうメールが来たんだけど、大学に着いた途端、もう直ったからいいっていう連絡があって――」
聞きながら、志水は唖然とする。
なにそれ。凄く可哀想。
彼女は、珍しく彼に同情の眼差しを向けた。イブなのに、とんだ災難だ。
「それで、彼女には会ってないんですか?」
「うん。もういい、って言われたから」
「それは、なんというか……残念でしたね」
「何事もなかったんだから、それでいいんだけどね……うん」
自分に言い聞かせるように言い、深く頷く高階。
いいのかそれで、というツッコミが、瞬時に志水の頭に浮かぶ。が、さすがにこれ以上のダメージを与えるのは気が引けたのか、彼女は口を噤んだ。代わりに、張り紙を見ながら別の言葉を掛けてやる。
「じゃあ、チキンでも食べませんか?」
食堂にはクリスマスソングが流れていた。オルゴール調にすることで、高級感を演出しようとする試みがみられる。食堂に来ている面々を見る限り、成功しているかどうかは甚だ疑わしいものがあったが。
「今日は何だか空いてるね」
「イブですからね」
「ねえ志水さん、さっきからそればっかり言ってない?」
自棄になったかのように、志水は骨付きチキンにかぶりついた。
それを見た高階は一瞬動きを止めたが、直ぐに志水に倣う。
「うん。美味しい。なかなかですね」
「志水さんは博物館?」
「そうですよ。博物館でメリークリスマスです」
その言い方が可笑しかったのか、高階は軽く笑った。
「どこもかしこも、クリスマスモードで嫌になりますね」
「あー……うん。そうだね」
その割には、志水の口調は明るく、心底嫌という風でもない。あまりこの手のイベントに興味がないのかもしれないな、と高階は思った。
「あ。辻原さんだ」
窓の外へ目をやった志水が、目ざとく知り合いの姿を発見する。薄暗くて顔ははっきりしないが、体格や歩き方の癖は、確かに辻原とそっくりだった。
「これからデートですね、きっと」
「彼女、仏文の子だっけ」
「まだ別れてなければ、そのはずです」
学部時代に付き合っていた彼女のことなら、二人ともよく知っている。同じ大学の、しかも同じ文学部に所属していたのだ。目撃情報は毎日寄せられるレベルである。相手は学部を出てすぐに銀行に就職したのだが、どうやら今年の秋から大学近くの支店に配属されたらしい、との情報までもが、どこからともなく伝えられていた。
「考えてみると、うちは中でくっ付く人が多いですよね」
「まあ、他に出会いがないから……」
諦めたような言い方に、志水の反応は早かった。
「身内同士は嫌ですか?」
「嫌ってわけじゃないけど……」
「けど?」
「後が、面倒だよね」
「後?」
「だから、その……別れた、後」
クリスマスソングに掻き消されそうな声を辛うじて聴きとった志水は、その言葉を二回ほど脳内で繰り返した後、
「はあ!?」
と、クリスマスソングを掻き消すほどの声で聞き返した。
「いや、だから――」
「何で付き合う前から別れた後のこと、考えてるんですか。どれだけネガティブなんですか、高階さん」
志水の剣幕に、高階は思わずチキンの骨を手放す。
「告白して振られたら気まずいとかいうのなら、まだ分かりますけど。なんで最初から別れることになってるんですか。まさか、その予定でもあるんですか?」
「ないよ、そんなの!」
誤解されかねない状況に、高階は必死で否定する。万が一、それが事実として認識されてしまったら、明日から研究室に彼の居場所がなくなることは確実だ。いくら引き籠っているとはいえ、戻る場所がないのはさすがに辛い。
そんな高階の誠意――というか必死さが伝わったのか、志水は幾分か疑惑の眼差しを和らげた。
「じゃあ、そのネガティブ思考止めましょう。愛は永遠に続くのです」
「あー……うん」
志水の言い方に、「なんだか嘘っぽいなぁ」と思った高階だったが、それを口にしてしまうと、後々何を言われるか分かったものではない。とっさに言葉を呑み込んだ。
志水は自分の台詞に満足したのか、再びチキンにかぶりつく。その姿は肉食動物を思わせたが、口にしてしまうとやっぱり後が怖いので、高階は自身の感想を胸の内にしまっておくことにした。
「……これ、雪じゃないですか?」
食堂から出て数歩のところで、志水が空を見上げて言った。
お互いに長々と食事をする必要性を感じなかったので、チキンを食べてすぐに出ようということになったのだ。時間にすると、食堂に入ってから三十分ほどしか経っていなかった。
「ああ、そうだね。これから強まらないといいけど」
「酷くならないうちに帰りましょう」
とっさに家の水道管の心配をした高階と、外に干したままにしている洗濯物の心配をした志水である。この二人に、クリスマスイブらしいロマンチックさを感じる心があるはずもない。
「じゃあ、年内はもう会うことないだろうから……よいお年を」
「高階さんも、よいお年を」
軽く下げた頭を起こした志水は、高階と別れようとして――足を止めた。
「あ、」
見覚えのある、後ろ姿を見て。
「どうかした?」
声の方に反応したのだろう。高階もまた、帰路へと向きかけていた足を止める。
そんな彼に、志水は視線を動かさずに告げた。
「あれ、須崎さんじゃないですか?」
視線の先には、カフェの前に立てかけられた看板をと店内を見比べながら、入口付近でうろうろしている須崎乃依の姿があった。




