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26.折り続ける雑用係



 春の学会シーズンに向けて、院生はそれぞれスケジュールを組み始めていた。どれに参加して、どれに参加しないのか、講演や研究報告の内容を見判断するのだ。

 乃依の場合、一つの団体にしか所属していないので、それに参加する以外の選択肢を持たない。なかには、非会員でも講演会に行く、研究報告は聴きに行く、といった者もいるようだが、彼女にその勇気はなかった。

 自動的に参加する――というか、強制的に参加させられることになったのは、乃依らの研究室に事務局を置く団体が主催する大会だった。

 もちろん、会場はこの大学であり、準備から当日の進行までを担当するのは、地理学研究室の面々である。


「来た来た、この時期」


 面倒臭そうに言うのは、今年度、学会の運営委員兼大会役員という名誉ある職に就任した辻原だ。


「辻原さん、これも持って行ってください」

「お、おぅ」


 心なしか冷めた声に、辻原は姿勢を正す。

 そこには、同じく運営委員兼大会役員の志水がいた。


「これが添状、これがパンフレット、これがポスターです。添状は全部で五種類あるので、混ぜないでください」

「了解、っと」

「封筒は二種類です。こっちがポスターありの封筒。こっちはポスターなしの封筒」

「この、送り先一覧を見ながら作っていけばいいんだな」


 ふんふんと頷く辻原。志水は、念を押そうとして――止めた。

 適当そうな雰囲気を醸し出しているが、辻原はなかなかデキる人間だ。研究だけでなく、こういった事務作業もさらっとこなしてしまう。要領が良いのだ。


「みんなが来る前に、作業しやすいように並べましょう」

「だな」


 二人で準備をしていると、招集された院生の面々が集まって来た。

 基本的には全員参加だが、仕事を持っている者や、学会報告の準備で忙しい者は免除されている。今度の大会でいえば、高階と厚東、そして辻原が報告する予定になっているのだが――。


「高階さん、すいません。手伝ってもらって」

「いいよ。これは研究室の仕事なんだから」


 報告の準備で忙しいはずの高階だが、集合時間五分前にやって来て、役員二人の作業を手伝い始めた。

 こういった雑用には必ずといって良いほど参加するのが、彼の彼たる所以であり、周囲から律儀な人間だ、との評価を受ける要因にもなっている。


「それに対して、厚東さんは……」

「や、あの人も来るって言ってたよ。ほら、こういうのは、ちゃんとしてる人だからさ」


 辻原がフォローを入れるが、志水の目つきは胡乱なままだ。


 結局、十五分遅れてやって来た厚東は、志水からキツいお叱りの言葉を頂戴した。彼女も彼女で時間には正確な方だから、ルーズな行為はお気に召さないらしい。

 しかしその後は、厚東を交えて、作業はさくさくと進められた。

 大会の案内を送付するところまで終了し、あとは今週末の例会(大会の前の事前準備会を兼ねている)に使用されるレジュメを刷って、二つ折りにするだけである。


 ――そのはずなのだが。


(あ、曲がった。……ま、いっか)


 作り手によって多少の差が出るのは、性格の違いによるもので。

 須崎乃依の場合、典型的なO型気質(大雑把タイプ)なので、微妙に折りの曲がったレジュメが出来上がるわけである。

 斜め向かいでミリ単位の軌道修正を行いつつ、美しい作品(といっても良いだろう)を量産し続けている高階とは正反対であった。


(あ、また曲がった。……大丈夫だよね、これくらい)


 本日何度目かの「曲がった」現象に、ちらりと隣を見ると、佐合が黙々と作業を行っていた。


 とんとん、と控えめな音で数枚の紙を整え、静かに横に倒す。

 細い指先が、紙の合わせ目に当てられたかと思うと、一気に半分に折り畳まれる。

 その一連の動きが美しすぎて、乃依は思わず見入ってしまう。いつもガサツな面々に囲まれ、ついでに自分もガサツになっている身としては、多分に見習わなければならない点である。

 乃依の視線を感じ取ったのか、佐合が不意に顔を上げた。


「須崎さん、あとどのくらい?」

「え、あ……二十くらいかな」

「じゃあ、もうすぐ終わるね」


 佐合がふわりと微笑むと、その場がぱっと華やいだ。雑用で疲れた面々には、さぞかし癒しを与えることだろう。

 なんかもう色々と敵わないなぁと、乃依が思っていると、


「ここで残念なお知らせがあります」

「何!?」


 志水周子の坦々とした声が、人口密度の高い院生室に響き渡る。ちょっと前まで部屋を抜けていたはずだが、いつの間にか戻って来たらしい。

 全員の視線を一気に集めた志水は、やはり坦々と事実を告げた。


「さきほど、講演者の三柴(みしば)先生よりメールがありました。『レジュメ、変えたくなっちゃった。ごめんけど、刷り直しといて』だ、そうです。――自分でやれ!」

「チカちゃん、どーどー」

「志水さん、とりあえず落ち着いて」

「本当に、そんなメールだったんすか……?」


 都甲研の三人に宥められるも、志水の怒りは治まらないようで、「あんなに早くレジュメを送ってくるなんて、おかしいと思った」だの、「だから印刷は直前でいいって言ったのに、会長が刷れとか言うから」だの、思いつく限りの文句を並べ立てている。

 

「志水さんがいると、厚東さんや辻原さんが穏やかに見えるね」

「そうですね……」


 隣でぽそりと呟いた板倉に、乃依は同調する。


「今から刷り直しかぁ。お昼過ぎちゃうね」

「このまま続けるんですかね」

「いやいや、さすがにそれはキツいって。お昼食べてから再開するんじゃない?」


 気付けば、既に時計は一時を回っている。道理でお腹がすくわけだ。

 しかし、板倉の予想とは反対に、志水は本日の作業を終了する旨を告げた。

 曰く、


「こっちで、送られてきたレジュメの校正しないといけないから。今からそれをやっても、今日印刷に入るのは無理」


 とのこと。

 仕事が増えたことで、彼女のイライラは頂点に達しているらしく、口調がいつもより雑だった。


「というわけで、解散です。ご協力ありがとうございました。――辻原さん、三柴先生のレジュメ、出力してください」

「あ、はい」


 さわらぬ神に祟りなし。

 辻原を除いた面々は、そそくさと院生室を後にするのだった。





(あーもう駄目かも)


 ふらりふらりと危険な動きをしているのは、深夜零時という時間帯にもかかわらず、大学の電気を消費しまくっている迷惑者、須崎乃依である。

 手にはプリンターから出力されたばかりの、出来立てほやほやのレジュメ。それを持って、階段方面へと向かって行く。

 例によってエレベーターは停止しているので、目的地――二階の印刷室までは、階段でいかなければならないのだ。


 彼女がこうなっているのには理由があり、明日の一限目にある教養科目で報告をすることになっているものの、レジュメを印刷していなかったからに他ならない。

 事前に準備しておかなかったのが悪い、と言われそうだが、直前まで修正を繰り返していたのだから仕方がない――とは、彼女の弁。

 とりあえず刷るだけ刷って、家に帰ったら直前まで寝てやろうという魂胆である。


(あ、明かりがついてる)


 印刷室に行ってみると、電気がついていた。

 さすが夜行性の多い大学人。彼らにとっては、まだまだ活動時間のようだ。

 そっと扉を開けた乃依は、中で印刷機を睨んでいる(ように見えた)人物を見て、あっと声を上げた。


「須崎さん?」

「こんばんは。……あの、それ」


 乃依の視線の先には、その人物――志水周子が刷り終えた印刷物があった。

 表紙にあたるページを見て、すぐにぴんときた。これは、明日の例会で使用するレジュメだ。


「うん。今日、やっと校正が終わったから」

「すみません、知らなくて……」

「いいよ、そんなの。私が言ってなかったんだから。それに、印刷なんて大人数でやるものじゃないしね。一人で十分」


 確かに、機械に任せておけばいいだけなので、彼女の言う通りである。それでも、先輩一人に任せて去るのは、なんだか心苦しい。


「私も手伝います」

「ありがとう。けど、須崎さんも何か印刷しに来たんじゃない?」

「あ、」


 自分のレジュメを片手に、乃依は固まる。


「先にそれやっちゃっていいよ。こっちは印刷にもう少しかかるから……それが終わったら、折るのだけ手伝ってくれる?」


 志水の言葉に頷き、乃依は空いている印刷機の電源を入れた。

「しばらくお待ちください」という表示が出たので、それをぼうっと眺めていると、


「そうだ、須崎さん」

「はい」


 志水の、珍しくのんびりとした声が聞こえた。いつもはキレのいい話し方をするだけに、新鮮な感じがする。

 その口調に合わせて、緊張感のない顔を向けた乃依は、続けて発せられた言葉に目を点にした。


「高階さんとは上手くいってる?」

「はい!?」


 何やらおかしな方向へ、話が進みそうな予感がした。




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