14.迷う後輩、決める先輩
「で、どこ?」
チョキをキープしたまま固まっていた乃依は、蓬田の声にはっと我に返った。
「え、と」
「ちなみに俺、奥がいい」
「蓬田、おまえ最低だな」
勝手なことを言い出した蓬田に、先輩である辻原が即座にツッコミを入れる。しかし、本気で窘めたわけではないのは明らかで、蓬田も全く反省する様子はなかった。
冗談ではなく、素直に自分の希望を言っているのだから、余計にたちが悪い。仮に乃依が「奥がいい」とでも言おうものなら、後でどのような文句を言われるのか分かったものではない。乃依としては、余計なトラブルは避けたいものだ。
(ってことは、残りの三つ……)
ちらりと空席を窺う。
絶対に避けたい場所が、一つある。
(厚東さんの隣だけは、絶対嫌だ)
これこそ、何を言われるのか分かったものではない。同じく、余計なトラブルは避けたいものだ。
(じゃあ、あとは入口のとこ?)
気の進まない顔つきで、そちらを見る。
入口近くの席というのは、どうにも落ち着かないものだ。誰かが出入りするたびに気になるだろうし、常に人に見られている感がある。乃依のように周囲を気にするタイプの人間とは、非常に相性の悪い席だった。
(でもそうなると、あとは高階さんの隣しかないし)
本当ならそれが一番良いのだが、自分の口からそれを言うのは躊躇われる。というか無理だ。
(あーもう! なんでこんなときに限って、一番に勝つんだろ)
運が悪いとしか言いようがない。せめて二番目だったなら、そっと希望を混ぜることができたかもしれないのに。
「さっさと決めろって。たかが席くらいで」
蓬田の心無い一言に、乃依は思わずむっとした。その「たかが席くらい」でむきになっているのは、どこのどいつだ。
反論してやりたいのはやまやまだが、自分が時間を取っているという事実に変わりはない。早く決めないと他の三人に迷惑がかかるというのは、分かっている。
仕方がない、どこでもいいと言ってしまおう――乃依がそう思った時、
「てか、そんなに悩むことかぁ?」
思わぬ方向から声がかけられた。
見ると、段ボールでつくられた簡易本棚と、それに収まり切らず、高く積み上げられた本の隙間から顔を覗かせている先輩がいた。それまでは黙々とパソコンのキーを打ち続けていたのに(物凄い勢いだったことは、音から知れた)、急にこちらに意識を向けたようだ。
「すみません……」
先輩――厚東の呆れたような声に、乃依はますます萎縮する。彼にその意図はないかもしれないが、なんだか責められているような気になる。
(どうしよう)
カチ、カチ、という秒針の音が響くたびに、乃依の中に焦りが募っていく。早く決めなければ、何か言わなければという焦りが。
しかしそう思えば思うほど、頭は冷静な判断をしてはくれない。どの選択肢を取っても、「間違い」を犯してしまいそうだ。
(……駄目だ。やっぱり、「どこでもいい」って言おう)
今度こそ、乃依は決心する。どの選択肢を選んでも「間違い」を犯してしまう危険性があるのなら、いっそ運に任せてみるのも良いかもしれない。それなら、どんな結果になろうとも、まだダメージは少ない気がする。
ところが、またしてもそれを邪魔したのは厚東だった。
「隣、来るか?」
はぁ、と溜息のようなものが聞こえたのは気のせいか。呆れたように言う先輩の言葉を、乃依は思考の停止した頭でぼんやりと反芻する。
(隣に来るか……って、誰の隣?)
主語は、誰だろう――そう考えていると、間をおかずに決定的な言葉が発せられた。
「もう、ここ来い。ほら、決まりな」
「え……」
厚東は自分の隣の机をぽんぽんと叩いた。あまりの展開に呆然とする乃依には構わず、彼は続ける。
「ま、気が向いたら面倒みてやるよ」
「え、あの、」
それはちょっと待ってほしい。
乃依は声を上げるが、蓬田が空気を読まずに「俺は奥」と言い、それだけで乃依の席はすっかり決定した雰囲気になる。さらに、佐合は何の躊躇いもなく高階の隣を選択し、必然的に入口近くの席は西家に決まった。
(最悪だ)
乃依が予想していたなかでも、かなり悪い部類に入る今回の決定事項に、彼女は項垂れた。いくら自分に責任があるとはいえ、これはあんまりではないだろうか。
のろのろと顔を上げると、いつの間にか院生室にいた志水と目が合った。彼女から同情するような視線を感じたのは、決して気のせいではないはずだ。
何でジャンケンに勝っちゃったんだろう、とか。何で希望の席を言わなかったんだろう、とか。自分の中に反省すべき部分は沢山ある。もしも時間を巻き戻すことができたなら、と何度も何度も考えた。
でも、一番もやもやするのはそこではない。
(何で、高階さんは何も言ってくれなかったんだろ)
乃依は空を仰ぎ見る。
日没時間まではまだ時間があるのに、やけに暗いなと思っていたら、大学の上空は完全に雲に覆われていた。天気予報では雨マークはついていなかったはずなので、降りはしないだろうが、今にもぽつりときそうな空だ。
何故、の答えは考えなくてもわかる。
理由がないからだ。
席決めジャンケン大会に入ってきた辻原や厚東とは対照的に、高階は一切口を挟まなかった。唯一彼の声が聞こえたのは、隣の席になることが決まった佐合が、挨拶をしたときくらいのものだ。それから二言三言、二人は言葉を交わしていたようだったが、その先をみる勇気はもはや乃依にはなく、誰よりも早く退出した。
(あれを言ってくれた人が、高階さんなら良かったのに)
「あれ」というのは、厚東が言った台詞だ。高階に「隣に来る?」と言われたら、迷わずそれを選択していただろうと思う。
しかし、正当な理由もなく、そんなことを言う人ではないことは分かっている。
「……ん?」
だらだらと駐輪場までの道のりを歩いていた乃依は、頬に冷たいものを感じ、空を見上げた。
「あ」
もう一粒、今度は目元に当たる。
(やっぱり最悪だ)
春の天気予報ほど当てにならないものはない。乃依は、だって自然地理の専門じゃないし、と言い訳をしながら、駐輪場までの道のりをダッシュした。




