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10.集う者たち



 ガイダンスは基本的に学年ごとに分かれている。が、院生の場合は各学年で人数が多くないため、一緒に実施されるのが恒例だった。

 ということはつまり、院生全員が集合するわけで――。


(なんか緊張してきた……)


 乃依はメンバー全員を把握していない。特に、自然地理系の研究室の学生とはほとんど関わりがないので、同期以外とは挨拶程度しか交わしたことがない。若干、顔や名前がおぼろげな人までいる。


(院生の人って、全然大学に来ない人もいるしなぁ)


 志水などが良い例だ。バイト先の総合博物館には頻繁に行っているらしいが(以前の監視バイトで、乃依はそのことを初めて知った)、彼女は研究室や院生室には顔を出さない。他にも社会人ドクターや休学中の者もいるので、全員集合というのは滅多になかった。


「おはよう」

「おはようございます」


 ガイダンス会場である教室のドアが開くのと同時に聞こえた声に、乃依は真っ先に反応した。


「須崎さん、早いね」

「あ、はい。なんか、早く着いちゃって」


 乃依は曖昧に笑う。

 彼女は知っていた。彼は時間に正確な人間で、十分前行動・五分前集合を信念としているということを。

 つまり、早めに来て待っていれば、こうして会える確率も増すというわけで。


「みんなは、やっぱりぎりぎりか」

「みたいですね。まだ研究室にいるんだと思います」


 少なくとも、乃依が研究室を出る時には板倉と蓬田の姿があった。あとは自然地理学系の人が何人か。こちらは、あまり接点がないので顔と名前がおぼろげだ。


「そういえば、今日からは普通に院生室使っていいから。あとで案内するけど」

「あ……そうですよね」


 春休みの間も頻繁に大学に来ていたから実感が薄かったが、一応今日からはマスターである。

 地理学研究室には研究室と院生室があり、前者を学部生が、後者を院生が主に使用する決まりになっている。乃依は何度か院生室に行ったことがあるものの、あそこは何だか独特の緊張感を生み出している――そんな印象を持っていた。だから、今日からあの部屋を使えと言われても、正直遠慮したい気持ちもある。


「昨日大掃除したから、たぶん前よりかは快適に過ごせるはずだよ」

「大掃除ですか?」

「そう。人増えるからね。今まで僕たちが占領してたところを片付けて、何とか四つは確保した」

「四つ……」


 となるとマスターは四人なのか、と乃依は思った。


「どの席がいいかは、後でみんなで話し合って決めて」

「あ、はい」


 言いながら、乃依は空席を頭に思い浮かべる。確か、この先輩の隣の席も空きだったはずだが――。

 と、そこで教室のドアが開く。


「おはよーございまーす」


 朝から元気がいいのは板倉である。隣で、蓬田がぼそりと挨拶をしたが、見事に掻き消されていた。

 後ろからは、他のメンバーも続々と入ってくる。ただでさえ狭い教室は、もっと狭くなった。


「高階さん、昨日泊まりだったんですか?」

「うん、そう。一段落ついたときには明け方だったから、そのまま。ガイダンス終わったら帰ろうかと思ってる」


 入ってきた板倉は、真っ先に先輩である高階の様子に気が付いたようだ。

 今朝の高階は昨日と同じ服装で、相変わらず暗色系で統一されている。たいてい彼の服装はこんな感じだが(あまり服に興味がないのだと、乃依は認識している)、高階が着ると趣味が良くみえるのだから不思議だ。おそらく高級品ではないであろう服も、きっと本望だろう。


「年度初めから飛ばしてますねー」

「板倉さんはそろそろエンジンかけた方がいいと思うけど」

「うっ」

「報告近かったよね」


 先輩の鋭い指摘に誤魔化し笑いをし、板倉は空いている席――乃依の隣に座る。乃依は軽く会釈してきた板倉に会釈を返してから、「そういえば」と言った。


「新しく入っている人、知ってますか?」

「あ、私チラ見したよ! すっごい美人だった!」

『マジで!?』


 板倉の情報に同時に反応したのは、辻原と蓬田。明らかに後半部分に反応したと思われる二人は、お互いに顔を見合わせ、「いや、だってねぇ……」と言い訳をする。


「ほら、気になるじゃないですか。やっぱり」

「板倉が美人じゃないってわけじゃないからさ」

「それ、どういう意味ですか?」

「いやいや、だから板倉のことは何も言ってないって」


 余計なひと言を言った辻原を睨みつつ、板倉は今まで無反応の高階を見た。


「高階さんは、どうですか?」

「何が?」

「外部の人ですよ。どんな人か、興味ありません?」


 板倉が、それこそ興味津々といった風に訊くと、高階は眼鏡拭きでレンズを磨く手を止めて板倉を見た。

 泊まりだったことを匂わせる服装もそうだが、こちらの方が分かり易い。彼は大学で一夜を明かすときにはコンタクトを外す主義だ。

 再び眼鏡を装着した高階が答えようと口を開く。しかしその瞬間、



「こんちはーっす」



 扉が開くと同時に、よく通る声が飛んできた。

 自然、注目が集まる中、声を発した人物は堂々たる態度で一歩部屋へ入り、


「あ、須崎乃依(のい)


 真っ先に乃依の方を見た。


「ああああっ!?」


 作業着男!――と危うく叫びそうになるのを、乃依は寸でのところで我慢した。ここにいるということは同じ研究室の人間であり、さらに年長者であることは確実だからだ。


 作業着男は、今日も今日とてモスグリーンの作業着に身を包んでいる。この前と違うのは右肩に登山用のリュックを引っかけていることぐらいだが、その程度で作業着の違和感は薄まらないし、逆に相乗効果で怪しさが増大している。どこからやって来たんだこの人、的な姿は、教室に異様な空気を呼び込んでいた。

 明らかに一人だけ浮いた格好に、しかし誰もツッコむ者はいない。


(え、この恰好に疑問を覚えてるのって私だけ?)


 不安になってさりげなく左右を見るも、特に狼狽えている人は見られない。

 いや――横で、動揺し始めた人がいた。


「おおおおお久しぶりです……」


 消え入りそうな声は、乃依のすぐ隣から聞こえてきた。

 ええええ!? と思い横を向くと、板倉が首を引っ込ませながら、猫背で作業着男を見上げている。ただでさえ長身の人間に対してそんなことをしたら、顔がよく見えないんじゃないかと乃依は思ったが、もしかしたらそれが狙いだったのかもしれない。

 少なくとも彼女の態度は、再会を喜ぶものではなかった。


(板倉さんに一体何が!?)


 乃依がそう思っていると、


「板倉、まだいたんだ」

「ええええー!?」

「てっきりやめ(退学)たものかと」

「そんなぁっ!」


 作業着男の容赦のない言葉。

 なるほど、と乃依は全てを察知した。


 この人は、辻原と蓬田の先輩だ。




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