推しではなく、君と生きる ~4度目の人生で選んだ人~
【転生0回目】
私は、ゲームアプリ制作会社に勤めるごく普通の会社員。
普通の会社員とはいっても、勤務先はかなりのブラック企業で、ほぼ毎日、終電ギリギリに帰宅している。
それでも毎日の残業を頑張れているのは——
「史乃、今日も残業?」
同期入社の友人が、これから飲み会に行くのだろうと思われる、少しおしゃれをした姿で声をかけてきた。
「定時で帰れたのは、入社して最初の1か月だけよ。でも大丈夫、今日は早めに終わらせるつもりだから」
「無理しないようにね。じゃあ、お先に~」
定時で帰れる部署の同僚を見送った後、私はふと奥の席に視線を向けた。そこには今日も変わらず、真剣な顔でキーボードを打つ柊さんの姿があった。
(柊さん、今日も残業ね。私の『推し』である彼がいるから毎日の残業も苦しくない! よし、コーヒーを差し入れしよう!)
私は、彼のブラックコーヒーと自分用のカフェオレを自販機で買って、そっと彼の机にコーヒーを置いた。
「柊さん、お疲れ様です。コーヒーをどうぞ」
「ありがとうございます……」
彼は画面から目を離すことなく、一言だけ発すると無言でキーボードを打ち続けた。
人のまばらなオフィスには、キーボードの音だけが響いていた。
(はぁ、差し入れは余計なお世話だったかな……)
私は彼の仕事の邪魔にならないよう、横顔を名残惜しそうに眺めてから自分の席へ戻って、残っている仕事に手を付けた。
柊さんは会社で誰に対しても優しく丁寧に接しているけど、なぜか私には冷たい。
目も合わせてくれないし……。そんな彼が、女子社員と楽しそうに会話して笑っているのを見ると、ちょっと辛い……。
『推し』を遠くから見ていられるだけで私は満足……なんて思い込もうとしてるけど……。
(25歳で片思いか……)
落ち込んだ気分でふと時計を見ると、すでに22時を過ぎていた。
「……今日はもう帰ろう」
バッグを手に立ち上がると、柊さんが顔を上げてこちらを見ていた。
(えっ? 目が合った!?)
「柊さん、お先に失礼します」
「あ……お疲れ様でした」
彼はすぐに視線を外し、再びキーボードを打ち始めた。
(目が合っただけで嬉しいなんて……。今度、思い切ってランチにでも誘ってみようかな……)
ぼんやりと彼のことを考えながら信号待ちをしていると、猛スピードで蛇行する車が私の方へと突っ込んできた。
「えっ……」
そして、私の平凡な25年間の人生はあっけなく幕を閉じた。
【転生1回目】
私は伯爵令嬢として生まれ変わった。
伯爵令嬢としての私は、王立学院を優秀な成績で卒業すると、文官として王宮の財務省に勤務することになった。
「財務省税務課に配属になったシイナ・シルバーズです」
税務課に配属になった私は、緊張しながらみんなの前で挨拶をして顔を上げると、後ろの方に立っていた男性と目が合った。
その男性は大きく目を瞠って私をじっと見つめていた。
その時、ズキッと頭に痛みが走り、私は前世の記憶を思い出した。
柊さんに片思いをしたまま、告白もできずに終わってしまった前世の記憶。
(うそ……彼は柊さんだわ……。どうしてか分からないけれど、私には分かる……。彼も転生しているんだ……)
「どうしたんだロバート。まさかシルバーズ君に一目惚れか?」
「すみません、知人に似ていたので……。失礼しました」
私と目が合った男性は、上司にからかわれると、すぐに目を逸らしてうつむいた。
「シルバーズ君、彼は君の2年先輩なんだ。仕事もきっちりしているし、他の課からもスカウトがかかるぐらい優秀でな。そうだ! ロバート、君がシルバーズ君たちの教育係をしてくれ」
「えっ、私がですか……。承知しました……」
*…*…*…*…*
(嘘だろう。なぜ、彼女が……)
新人の挨拶で顔を上げた女性と目が合った瞬間、ずきりと頭が痛み、遠い記憶が一気に頭の中に流れ込んできた。
終電間際のオフィス。
差し入れのコーヒー。
画面から目を離さないまま、「ありがとうございます」としか言えなかった自分。
あの時、彼女は寂しそうな顔で、自分の席に戻っていった。
(彼女に、また会えた……)
上司の声が、天からの言葉に聞こえた。
今度こそ、彼女と向き合う機会を逃したくない……。
*…*…*…*…*
挨拶が終わり、新人の教育係となった彼に案内されて机に座ると、同じく同期で配属になった男性と一緒に財務省と税務課の仕事について説明を受けることになった。
税務課は非常に忙しく、配属されてからは与えられた仕事をこなしていくだけで、毎日が瞬く間に過ぎていった。
半年ほど過ぎると、ようやく課内の様子を眺めるぐらいの余裕が出てきた。
チラッとロバート先輩の方を見ると、黙々と魔道具の計算機を打っているところだった。
(前世も今世も、ブラックな職場で出会うのね。ちょっと可笑しくなっちゃうわね)
ふふっと一人で笑っていると、隣の机にいた同期のジョンがペンで肘をつついて、ヒソヒソと話しかけてきた。
「なに笑ってんだ? なんか良いことでもあったのか?」
「なんでもないわ。ただの思い出し笑いよ」
二人で小声で話していると、ふと視線を感じて顔を上げた。
するとロバート先輩が、睨んでいるような顔でこちらをじっと見ていた。
(えっ! 睨んでる? 私うるさかったかしら?)
私は、パッとうつむくと、目の前の書類をめくって計算機を打ち始めた。
その日、仕事が終わって文官の女性用宿舎に向かって歩いていると、ロバート先輩が息を切らしながら私を追いかけてきた。
「シルバーズ君!」
「えっ……ロバート先輩、どうしたんですか? 今日は残業はないんですか?」
「あっ、あぁ……。今は休憩中なんだ。あの、聞きたいことがあって……。君とジョン君はお付き合いしているのかな? 仲が良さそうだが……」
(えっ……いきなり?)
「いえ、全くそんなことはありませんが……」
「……そうか、それならいいんだ。同じ課内でそういったことがあると面倒なことになるからね。一応の確認だ。それじゃ、気を付けて帰りなさい」
そう言って立ち去るロバートの横顔は、なぜか少しだけほっとしたように見えた。
(何だったのかしら? でも先輩と話ができて嬉しい! なぜか、今世でもやっぱり彼に惹かれてしまう……。同期の彼とは、誤解されないようにしなきゃね)
*…*…*…*…*
彼女が隣に座っている同期と楽しそうに笑っている姿が、目に入って離れなかった。
(俺には、あんな顔、見せてくれたことがない)
教育係の間は、まだ話す理由があった。
けれど、それが終わってからは、毎朝の挨拶しか交わせていない。
今日は、2人が仲良さそうに話しているのを見て、計算機の数字を何度も打ち間違えた。
その日の夕方、俺は、気づけば彼女を追いかけていた。
そして、聞くつもりのなかった言葉が、勝手に口から出ていた。
「君とジョン君はお付き合いしているのかな?」
彼女が「全くそんなことはありません」と答えた瞬間、安堵で、膝から力が抜けそうになった。
精一杯の言い訳を並べて、俺は逃げるように背を向けた。
(……これでは、ただの嫌な上司みたいじゃないか)
今度こそ、彼女と向き合う機会を逃したくない。そう思っていたのに、いざ目の前にすると、何を話せばいいのか分からなかった。
*…*…*…*…*
「おはようございます」
いつものように早めに職場に到着して、朝一番に出勤しているロバート先輩に挨拶するのを、私は日々の楽しみとしていた。
(あれ? 今日は先輩はお休みかしら?)
始業時間よりかなり早い時間帯の職場には、誰も来ていなかった。
少しガッカリした私は、もう一度、部屋の中を見回して大きくため息をついた。
「おはよう! あれ、ロバートは休みか? あっ、そういえば、今日はお見合いするって言ってたな」
職場に入ってきた上司は、ワッハッハと笑いながら自分の机に座ると、手に持っていた新聞を読み始めた。
(えっ~! ロバート先輩、お見合いなの! 私、何もしないまま今世でも失恋ですか……)
翌日、私は少し低いテンションで職場に入ると、ロバート先輩がすでに仕事を始めていた。
「おはようございます……」
「おはようございます」
ロバート先輩は、今日もまた、顔も上げずに挨拶を返した。
(はぁ~、今日も顔も上げずに挨拶だけか。新人教育が終わってから、ほとんど会話することもないし、朝の挨拶だけが唯一のコミュニケーションなんだけどな……)
少し寂しい気持ちになりながら、自分の机に座ると税務課のドアをノックする音が聞こえた。
すぐにドアを開けると、背の低い可憐な女性がドアの前に立っていた。
「こちらに、ロバート様はいらっしゃいますでしょうか」
「えっ……? あっ、ロバート先輩、お客様です」
「お客様……? えっ、シェリル様、どうしてこんなところへ?」
「お仕事が始まる前に、差し入れをお渡ししたくて」
「わざわざありがとうございます。まだ始業まで時間がありますから、中庭に行きましょう」
女性は少し顔を赤らめると、小さくうなずいてロバート先輩のエスコートで中庭に向かって行った。
(彼女がお見合い相手のシェリル様なのね……。今世でも、私以外の女性には本当に対応が優しいわね……)
ロバート先輩はその後すぐに職場に戻ってきたが、その日の私は、ずっとブルーな気持ちのままだった。
宿舎に帰ると、管理人が私を呼び止めた。
「シイナさん、ご実家から速達が届いているわよ」
「速達?」
(あら? お母様からだわ。いつも手紙はお父様からなのに、どうしたのかしら?)
私は部屋に入ると、急いで封筒を開けた。
手紙には、父が野盗に襲われて怪我をしたこと、そして、顔を見せに帰ってきてほしいことが書かれていた。
「お父様が怪我!」
おっとりしている穏やかな父だが、私が文官になりたいと言ったときは、母や兄弟の反対を押し切り、笑顔で送り出してくれた。
そんな父が怪我をしたと聞いたら、帰らないわけにはいかない。
上司にすぐに連絡を入れ、明日の朝に出発しようと、すぐに荷造りを始めた。
私は、前日に残っていた仕事を出発前に終わらせようと、朝早くに職場に入って黙々と仕事をこなしていた。
ガラガラっとドアが開く音が聞こえて私が顔を上げると、ロバート先輩がドアを開けて入ってきた。
「あっ、おはようございます」
「えっ……、あっ、おはようございます……」
私が挨拶すると、ロバート先輩はびっくりしたような表情で私を見た。
「今日は早いですね……」
「あっ、急遽、領地に戻らなくてはならなくなったので……、1週間ほどお休みさせていただくことになりました」
「そうですか。気を付けて……」
そういうとロバート先輩は机に座り書類の仕分けを始めたが、私はシーンとした無言の間が耐えられず、ロバート先輩に話しかけた。
「そういえば、ロバート先輩、ご婚約おめでとうございます」
「いや、婚約の話は断った……」
ロバート先輩は被せるように答えた。
(えっ、婚約決まったんじゃなかったの? あの可憐なお見合い相手は……?)
「えっ……あっ、そうでしたか……。すみません、勘違いでしたね……」
(うわぁ、私、余計なこと言っちゃったわ……)
「あっ……、シルバーズ君は、なんで急に領地に……」
ロバート先輩が私に話しかけようとした時、同期のジョンが勢いよくドアを開けて職場に入ってきた。
「おはようございます! えっ、なんでシイナ嬢が職場に来てんの? 早く出発しないと、今日中に領地に着かないだろ。残ってる仕事は俺がやっとくから、早く行きなよ」
「えっ、何で私が領地に帰るって知ってるの」
「さっき課長に会った時に言ってたよ。ほら、急いで!」
「わかったわ、ありがとう。ロバート先輩、すみません。失礼します」
そして、それが彼との最後の会話になった。
私は領地に帰る山道で落石事故に遭い、馬車が崖から落ちてそのまま今世を終えた。
【転生2回目】
今世の私はエトニア侯爵家の長女として転生した。
転生したと分かったのは、王立学院の図書館で、ダニエル様に出会った時だった。
午前の授業が終わり教科書を片付けていると、隣のクラスにいる親友のマリエラが迎えにきて、一緒にカフェテリアに向かった。
「シエラ、今日は授業が終わったら新しくできたカフェに行かない? フルーツタルトがすごくおいしいって評判なのよ!」
「ごめんなさい。今日はどうしても図書館で調べたいものがあるの。期末試験前だしね」
「あっ、そうだったわ……。入学して初めての試験だものね、ちょっと頑張らないと! よし、試験が終わったら一緒にいきましょ」
「そうね! 楽しみにしてるわ」
私は授業が終わると、すぐに図書館に向かった。
試験前ということで図書館は混雑していたが、私がいつも座っている席は空いていた。
ホッとして席に座ると、ふと誰かの視線を感じて顔を上げた。
「えっ……」
斜め前に座っていた黒髪の男子生徒と目が合った。そして3秒ほど見つめ合ってしまった。
その時——
ガツンと、急に頭に衝撃を受けたような痛みがきて、私は前世の記憶を思い出した。
(えっ、彼は、柊さんで、ロバート先輩だわ……。なぜだか、私にはわかる……彼も、また、転生してるの? )
男子生徒の容姿は、前世の柊さんともロバート先輩とも違っていたが、なぜだか彼が前世で出会った自分の推しだとわかった。
私はすぐに彼から目を逸らして本を開いたが、胸がドキドキして集中できないため、本を探しに行くフリをして席を立った。
(どういうことなの!? 私の前世の記憶って……柊さんとロバート先輩のことは、はっきり思い出したわ……。これって、もしかして……運命ってこと? そういうことだったら、ちょっと嬉しいけど……)
それから私は、図書館へ行くたびに、無意識に彼の姿を探すようになっていた。
最初は、前世の「推し」だからだと思っていた。
けれど、何度も同じ席の近くで彼を見かけるうちに、気づいたことがある。
ある日の放課後、1年生らしい男子生徒が、書架の前で困り果てた顔をして立ち尽くしていた。
背伸びをしても、目当ての本に手が届かないようだった。
すると、少し離れた席にいたダニエル様が、読んでいた本を静かに閉じて立ち上がった。
「これかな」
彼は何でもないことのように本を抜き取り、男子生徒に渡すと、お礼を言われる前に、もう自分の席へ戻っていた。
別の日には、司書の先生が重ねた資料を運ぶのを、黙って半分持ってあげていた。
その時も、彼は何も言わず、ただ少しだけ口元を緩めただけだった。
(ああ、この人は、前世と同じなんだ)
誰に対しても丁寧で、困っている人を見過ごせなくて、それなのに自分のことは何も語らない。
どんなに遠くから見ていても、彼の優しさは、いつも静かで、さりげなかった。
(私にも、いつか、あんなふうに笑いかけてくれたらいいのに)
気づけば、本の文字を追うふりをしながら、私は彼の横顔ばかり見つめていた。
これは、きっと、前世から続いている恋なのだ。そう思うと、胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「ねぇ、シエラ。あの黒髪の男子生徒が、シエラをチラチラ見てるけど知り合い?」
「いいえ、知らない人よ。よく図書館で会うけど」
(いくら親友のマリエラでも、私が前世の記憶を持ってるなんて言えないわ……)
「そうなの? シエラ、もしかしたら彼、シエラに気があるのかもしれないわよ? 彼、赤い校章をつけてるから2年生ね。お兄様に彼のこと、ちょっと聞いてみるわね。シエラはまだ婚約者もいないし、応援するわよ!」
「マリエラ、恥ずかしいからやめてよ~」
「だって、シエラはこんなにいい子なのに、まだ婚約者がいないなんて。私は家の事情で政略的に婚約者が決まっちゃったけど、今はお互いに好意を持ってお付き合いできてて楽しいのよ。シエラも、素敵な恋ができるといいわね」
翌日、私が登校するとすぐにマリエラが教室に来て、私の耳元で小さな声で囁いた。
「お兄様から情報を得たわ! お昼休みに、中庭でランチしながら話すわね!」
マリエラがウィンクしながら隣の教室に戻ると、すぐに担任が教室に入ってきた。
昼休みにマリエラから聞いた話によると、彼はスフィア侯爵家の長男で、父親はこの国の財務大臣。そして侯爵夫人は、領地で採れる宝石を使用したジュエリーショップを手掛けており、領地経営も潤っているらしい。
(そういえば、スフィア侯爵家の領地って、うちの領地の隣だったわね……)
「シエラ様、旦那様がお呼びでございます」
侍女が呼びに来たので執務室に向かうと、父は笑顔で私を迎え入れた。
「シエラ、スフィア侯爵家から婚約の打診がきているぞ!」
(えっ、スフィア侯爵家って……ダニエル様の……)
「スフィア侯爵家と共同事業を始めることになったんだが、スフィア侯爵家にシエラと同じ年頃の息子がいるから、これを機にシエラと婚約させたいと侯爵から打診があったんだ。無理に受けなくてもいい話だから、シエラの意見を聞いてから返答しようと思ってな」
「ダニエル様、ですね……。時々、図書館でお見かけすることはありますが、学院内でお話したことはありません。我が家のためになる縁談であれば断る理由はありませんが、お話を受ける前に、一度ダニエル様とお会いする機会をいただけますでしょうか?」
「もちろんだ。よし、早速スフィア侯爵家に伝書を送ろう」
(ダニエル様と婚約できるなんて……! ようやく今世で彼に告白できるのね!)
初めての顔合わせの日——
ダニエル様が我が家を訪れた。
「お待ちしておりました。テラスにお茶の準備をしておりますので、こちらにどうぞ」
ダニエル様は、無口だった……。
私は間をもたせるために、自分のことをたくさん話した……。
「ダニエル様は、この婚約にご不満はありませんか?」
この質問にだけは、彼は顔を上げて答えた。
「政略結婚となるが、私には不満はない。君は成績も優秀だし、侯爵夫人の仕事も安心して任せられると思っている……」
(あ〜、そうよね……政略結婚……。まあ、少しずつ私のことを知ってもらうことから始めましょうか……)
それから私とダニエル様の婚約はとんとん拍子に進み、私が学院を卒業したらすぐに婚姻することになった。
婚約後、ダニエル様は飛び級して学院を卒業し、宰相補佐官として王宮で勤務し始めた。
激務といわれる宰相室の仕事は、休みを取ることも難しく、私たちはほとんど顔を合わすこともなく婚姻式を迎えた。
「シエラ綺麗よ。ダニエル君も喜ぶと思うわ」
両親は、私とダニエル様が婚約期間中にほとんど交流できていなかったことを心配していた。
それでも私は、両親を安心させるために笑顔でうなずいた。
父とバージンロードを歩き、ダニエル様の手を取ろうとして顔を上げると、ダニエル様は目を瞠って私を見た。
しかしすぐに目を逸らして司祭に向き直ると、それからはまったく目が合うことはなかった。
「誓いのキスを」
司祭がダニエル様にベールを上げるように促した。
(誓いのキスだわ!)
ダニエル様は一瞬動きを止めると、目も合わせないまま、頬に軽くキスをした。
(えっ……?)
そして披露パーティが終わり、初夜の準備をして夫婦の寝室に入った私は、ドキドキしながら彼を待っていた。
しばらくすると、執事が部屋をノックして、ドアの外から戸惑いを隠せないような声で、私に話しかけた。
「若奥様、申し訳ありません! ダニエル様が、緊急の用事で王宮に向かわれました……」
(はぁ……? 嘘でしょう……?)
それから1か月、彼は侯爵邸に帰宅することはなかった。
ある日、執事がダニエル様の着替えを王宮へ届ける時に、『よろしければ若奥様もご一緒に』と提案してくれたので、私は差し入れを持って同行することにした。
王宮へ到着し、門の近くにある待合室で待っていると、目の下に隈を作ったダニエル様が入ってきた。
「なぜ君が……?」
「お着替えをお持ちしました。それと職場の皆様に差し入れを……」
「執事に持たせればいい。君がここに来る必要はない」
「ダニエル様、それはあまりにも……」
私を誘ってくれた執事は、ダニエル様の言いように怒ってくれたが、私はそっとそれを止めた。
ダニエル様は、なぜか赤くなった顔を隠すように顔を背けて、目も合わせずに荷物を持ってすぐに部屋を出て行った。
(はぁ……? 私、何か悪いことをしたのかしら?)
*…*…*…*…*
「なんで俺は、あんなことしか言えないんだ!」
俺は待合室のドアを閉めると、赤くなった顔を冷ますために、中庭のベンチに座った。
(俺は何をしてるんだ! 婚約時代から素っ気なくして、初夜もせず、家にも帰らなかった。せっかく王宮まで来てくれたシエラに、冷たい言葉しかかけられなかった。
前世でできなかった告白を、今世では絶対にすると決心したのに……)
「もし拒否されたらと思うと……怖いんだ……」
*…*…*…*…*
私に付き添ってついて来てくれた執事は、青い顔をして何度も私に謝った。
「若奥様、私が余計な事を提案したせいで、嫌な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした……。坊ちゃまは、シエラ様との婚姻を本当に喜んでいたのです。シエラ様の前だと、素直に言葉が出ないだけなんだと思います。先程も、坊ちゃまは、顔を真っ赤にされていらっしゃいました」
(本当に……喜んでたのかしら?)
その翌日、私は、ダニエル様のことを親友のマリエラに相談してみようと思い立ち、すぐにお茶会の招待状を送った。
「シエラ、どうしたの! 新婚さんがしている顔じゃないわよ」
「実はね……」
私は、今までのことを洗いざらいマリエラに話した。
「はぁ~? 私の親友のシエラに何てことしてくれてんの! 学生の頃の彼は、どう見てもシエラに気があるように見えたのに……」
マリエラは、顎に手を当てながら考えていたが、何か答えを見つけたように顔をあげた。
「もしかしたら、好き避けなのかもしれないわ。でも、どんな理由があっても、シエラが傷ついていいわけじゃない。夫婦なんだから、きちんと向き合ってほしいわよね」
(そうよね~。仮にも結婚している相手に対して、あの態度はないわね。でも私以外の人には丁寧に接しているし……。また、前世と同じね……)
「シエラ、1年間、白い結婚のままだったら、すぐに離縁ができるはずよ……。あなたが幸せになる道を選択してね」
それからもダニエル様は私を避けているようで、屋敷ではまったく顔を合わせることはなかった。
どうすればいいのかと日々思案していたが、季節が変わり、結婚から半年が過ぎた頃——
庭に出て冷たい風に当たったのがいけなかったのか、私は風邪をこじらせて寝込んでしまった。
熱は日に日に上がり、医師は「肺をやられています」と沈痛な顔で告げた。
「若奥様、旦那様へ知らせを送りました」
執事は、そう言って何度も窓の外を見た。
(ダニエル様、来てくださるかしら……。ううん、きっと、お仕事よね……)
朦朧とした意識の中で、前世の残業続きのオフィスが浮かんだ。
キーボードの音だけが響く、あの夜の景色。
(結局、今世でも、何も言えなかった……。同じ魂と何度も巡り会うことが、必ずしも幸せにつながるわけではないのかもしれないわね……)
(あぁ……息が、苦しい……)
ドアの向こうで、誰かが走ってくる足音がした気がしたが、私の意識はそこで途切れた。
*…*…*…*…*
俺が侯爵邸に駆け込んだのは、シエラが息を引き取って、わずか半時間後のことだった。
宰相室で「奥方の容体が悪化した」という知らせを受け取ったのは、前日の夜。
それでも、今日だけは外せない会議がある。そう自分に言い聞かせ、報告書を手にしたまま、一日中、帰宅を先延ばしにしていた。
「……シエラ?」
寝室の扉を開けると、白いシーツの上で、彼女は穏やかな顔で眠っているように見えた。
そっと頬に触れた指先が、ありえないほど冷たかった。
「嘘だろう……。俺は、まだ、何も……」
膝から崩れ落ちた俺の背中に、執事が静かに声をかけた。
「若奥様は、最期まで坊ちゃまのお帰りをお待ちでした。……坊ちゃまのことは、一言も、悪くおっしゃいませんでした」
(今世こそ伝えると決めたのに……。『好きだ』という、たった一言を……)
俺は、前世でも今世でも、親から愛情を感じられずに育った。
家の面目を保つために厳しく育てられ、人にどう接すればいいのか、ずっと分からなかった。
彼女を愛しているのに、拒絶されることが怖くて、向き合うことから逃げ続けた。
(俺はずっと、彼女を傷つけてばかりいる……)
「……次こそは、必ず」
絞り出した声は、誰にも届かない寝室に、むなしく落ちていった。
*…*…*…*…*
【転生3回目】
私はブラウン辺境伯夫妻の長女として転生した。
そして今回は、生まれた時から前世の記憶を持っていた。
「お父様、お母様、おはようございます」
「シルビア、今日も騎士団の訓練に参加するのか? 少しは淑女教育でも受けた方が良いんじゃないのか? そろそろ婚約者もだな……」
「お父様、私は結婚するつもりはありません。一生この辺境伯騎士団で、お兄様の補佐をしていくつもりです」
「しかし、シルビアもいい年頃だしなぁ」
「あなた、いいじゃありませんか。ご縁があったら結婚するかもしれませんし、こういうことは本人にまかせましょ」
今世の両親は、若い頃2人とも冒険者として活躍していたらしく、結婚は恋愛してするべきだといって、政略を目的に送られてきた釣書は、見もせずにすべて送り返していた。
食事を終えて紅茶を一口飲んだ母は、なにかを思い出したように私を見て、眉を上げてにっこりと微笑んだ。
「そういえば、今回の隣国辺境伯騎士団との合同討伐は、長男のガルフ君が辺境伯代理として来るらしいわよ。コーナー辺境伯がぎっくり腰で来れないんですって」
「えっ、ガルフが来るんですか! 久しぶりだわ、何年ぶりかしら!」
「ガルフ君はシルビアの2歳年上だったから、19歳だったかしら? ガルフ君は、山のようにくる釣書をことごとく断っているって、夫人がこぼしていたわ……」
「ガルフ君は、嫡男だからな。もうそろそろ、婚約者を決めねばならんだろ」
(そうか……ガルフも結婚する年頃か……)
兄のダンが、朝の鍛錬を終えて食堂に入ってきた。
「えっ、ガルフが来るの!」
「あっ、お兄様おはようございます」
兄は私の頭をポンポンと撫でると、席に着いてコーヒーを一口啜った。
「小さい頃は、俺の後ろをシルビアとガルフで追いかけて、みんなでよく遊んだよな。シルビアとガルフはよくケンカもしてたな」
ブレンデリ王国のブラウン辺境伯領と隣接するハンベルグ王国のコーナー辺境伯領は、昔からの平和同盟で諍いもなく、年に数回、合同で魔獣討伐をするぐらい穏やかな関係を築いていた。
それから2週間後、ブラウン辺境伯騎士団とコーナー辺境伯騎士団は、今回の魔獣討伐となるヒラデル山の麓にテントを張り、森に入る準備をしていた。
「よぉ、シルビア久しぶりだな!」
昼食の準備をしていた私は、後ろに立っている大柄な男性を見上げた。
「えっ、ガルフ?」
「何年ぶりだろうな? シルビア綺麗になったな!」
「うわぁ! ガルフ大きくなったね! 2人でケンカしてた頃は、まだ同じぐらいの身長だったのに」
「シルビアのお転婆ぶりは、こっちの領まで噂が流れて来てるぞ。この前ビッグバローを1人で殺ったって聞いたが?」
「あはは……、恥ずかしい」
「今回の討伐には、シルビアも参加するのか?」
「そうなの。でも後方でみんなの支援部隊として参加する予定よ。光魔法も結構上達したから、後方からみんなに回復魔法をかけまくるつもり」
「そうか無理するなよ。何かあったら俺に言えよ」
ガルフはそう言うと、私の頭をポンポンと撫で、呼びに来た部下と一緒に向こう側のテントへ歩いていった。
(ガルフ、大きくなって男らしくなったわね。何だかちょっとドキッとしちゃったわ)
次の日、両騎士団はヒラデル山の山中へ入り、魔獣討伐を順調に進めていった。
「ふう~。もうそろそろ、今日のノルマは終了して下山かしらね」
私が山の麓を眺めていると、前方から「バッファロウバウの群れだ!」と叫び声が上がった。
振り返った瞬間、一頭のバッファロウバウが、怒り狂ったように私に突進してくるのが見えた。
(うわっ、間に合わない!)
剣を抜くのが遅れた私は、避けることもできず、思わず目をつむった。
「……えっ?」
何の衝撃も来ないことを不思議に思い顔を上げると、ガルフが私の前に立ち、一太刀でバッファロウバウを倒していた。
「シルビア、大丈夫か?」
「ガルフ、ありがとう。私は大丈夫よ。討伐中なのに、気を抜いてしまっていたわ。迷惑をかけてごめんなさい」
「迷惑なんかじゃねぇぞ。一日中、みんなに回復魔法と防御魔法を掛けてたから、集中力が切れたんだろ。ありがとうな」
そういうと、騎士たちに下山の指示を出し、全員が怪我もなく笑顔で麓まで戻って行った。
5日間に及ぶ魔獣討伐も終わり、両辺境伯騎士団はそれぞれの領地へ戻る準備をしていた。
ガルフは父に話があるということで、私たちと一緒にブラウン辺境伯城へ向かうことになった。
ガルフは、辺境伯の父と執務室で話をした後、私を幼い頃に遊んでいた綺麗な花の咲いている丘に誘った。
「シルビア、俺の嫁さんにならないか?」
「えっ……」
「小さい頃から、俺はシルビアと結婚するって決めててさ……。でもシルビアは結婚はしないってずっと言ってただろ。もし結婚するとしても、自分を大事にしてくれて守ってくれる人じゃなきゃって言ってたから、俺はシルビアを守れるぐらい強くなるって頑張ってきたんだ。……すぐには返事できないと思うから、次の合同討伐の時までに考えてくれるか?」
私に告白したガルフは、真っ赤な顔でニカッと笑った。
(ガルフに告白された! こんなに正直にぶつかってこれるなんて……。ガルフは心も強いな……。
それに、自分の気持ちを隠さず、まっすぐ伝えてくれることが、こんなに嬉しいなんて……)
合同討伐から数日後、ブラウン辺境伯に王立騎士団から今年の合同演習の連絡が届いた。
合同演習といっても、実際の内容は辺境伯騎士団が精鋭ぞろいで騎士の実力のレベルが違いすぎるため、毎年、王立騎士団から選ばれた者たちが辺境伯に稽古をつけてもらいに来るというものであった。
「今年はどんな子たちが来るのかしら? 楽しみね~」
辺境伯夫人は、現役で魔獣討伐に参加する水魔法使いの魔術師であり、そしてかなりの剣術使いでもあった。
「お母様、あんまり王立騎士団の騎士たちをいじめないであげてください。また苦情がきますよ」
「あら、シルビア。そういうあなたも気を付けなさいよ~。去年は何人の騎士を地面に叩きつけたの~? 今年は少し手を抜いてあげなさいよ~」
「……父上、うちの女性陣に何とか言ってください。いつも苦情係は俺なんで……」
「まぁ、訓練もほどほどにしてあげなさい。あっ、今年は王立騎士団の副団長が来るらしいぞ。今の騎士団長がそろそろ引退だから、その前に副団長を鍛え直してくれと手紙が添えてあった」
「あら! 最年少で副団長になった子ね!」
(王立騎士団の副団長……。嫌な予感がする。私が前世の記憶を持ってここにいるということは、今世でも彼に会う可能性があるということよね。私は今回は絶対に彼に会いたくないから学院も飛び級して、文官にもならずに辺境伯領に閉じこもっているのに……)
それから1か月後、王立騎士団はブラウン辺境伯城にやってきた。
「ブラウン辺境伯、今年もお世話になります。今年は私を含めて20名の参加になります。遠慮なく厳しくご指導お願いいたします」
「副団長、今年来た騎士たちはいい顔しているなぁ。シゴキ甲斐がありそうだ」
父のそばに立っていた私は、副団長のレイリー様をチラッと見上げて、すぐに目を逸らした。
(やっぱり……副団長が、柊さんで、ロバート先輩で、ダニエル様だったわ。今回も彼は転生して、そして出会ってしまった。……でも今回は私、彼を見ても何も感じない。推したいとも思わない……)
「おっ、そうだ。儂の娘のシルビアだ。今回の騎士団の訓練にも一緒に参加する予定だ」
「王立騎士団副団長をしておりますレイリーです……」
*…*…*…*…*
(やっと彼女に会えた!)
今世で俺は、生まれた時から前世の記憶を持っていた。
過去の後悔を繰り返さないと決意し、同じ世界に転生しているはずの彼女を探した。
(今世でも文官になったと思っていたが、辺境伯領にいた! 俺は今度こそ彼女にきちんと思いを伝えようと、精神を鍛えるために騎士団に入ったのに……本人を前にすると、思ったように話せない……)
*…*…*…*…*
私は王立騎士団との訓練に参加する予定だったが、体調が悪いから救護担当をすると言って、救護室に籠っていた。
私はレイリー様を避け、見つからないように行動していた。
私が救護室で1人で仕事をしていると、コンコンとノックをする音が聞こえた。
「どうぞ、お入りください」
「失礼します」
救護室に入ってきたのは、副団長のレイリー様だった。
「あっ……、どうかされましたか?」
「シルビアさんにお話があってきました」
(えっ、何の話?)
「シルビアさん、王立騎士団がここに到着してから、ずっと俺を避けていますよね。そして昨日、俺が話しかけた時は、俺のことをダニエルと言いかけてた」
「……」
(バレてる!)
「シルビアさん、君はもしかしたら……前世の記憶があるんじゃないですか? 俺は君と出会った過去3回の記憶を持ってる……」
(惚けることは、できないわね……)
「……はい、私も、あなたと出会った過去3回の記憶があります」
私がそう答えると、レイリー様は深く頭を下げた。
「俺は、これまでの前世のことを君に謝りたかった! そして君に、俺がずっと君を好きだったことを伝えたかった……」
(えっ……ずっと好きだった? だったら、なぜ……)
「今世では必ず君を幸せにする。まだ今世では出会ったばかりだけど、君に婚約の申し込みをしたい。受けてくれるだろうか?」
(私の気持ちは……)
「柊さん、ロバート先輩、ダニエル様、そしてレイリー様。申し訳ありませんが、婚約のお申し出はお断りさせていただきます。前世であなたに向き合ってもらえなかったことで、私の恋心は消えてしまいました」
「あっ……」
「私は……あなたの優しさや、仕事に真剣に取り組む姿に憧れていたんだと思います。でも、あなたが私に向き合ってくれなかったことで、私はずっと傷ついていました。
私はもう、遠くから憧れているだけの恋はしたくありません。格好悪くても、自分の気持ちを伝えてくれる人と、きちんと向き合って生きていきたいんです」
(彼をあんなに追い求めた気持ちは、私の中には、もうどこにもない……)
レイリー様は、うつむいて話を聞いていたが、顔を上げると私の目をしっかりと見てから頭を下げた。
「……そうか。今まですまなかった」
王立騎士団が王都へ帰った後、私は今までの自分のことと、そしてこれからのことを考えながら自室に籠っていた。
(ただ好きなだけでは幸せになれない。自分を大切にしてくれる相手と、気持ちを伝え合わなければ、幸せな関係は築けない……。私、ようやくそのことに気がつけた……)
「お父様、お母様、お話があります」
両親にガルフのもとへ行くことを伝え、私は愛馬にまたがった。
*…*…*…*…*
私は愛馬と共に、隣国のコーナー辺境伯領に向かっていた。
国境を越え、馬を休ませていると、こちらに向かって全速力で駆けてくるガルフの姿が見えた。
「シルビア!」
「ガルフ! どうしたの?」
「ブラウン辺境伯から、シルビアが俺に会いにコーナー辺境伯領に向かってるって連絡が入ったから、急いで迎えにきた」
ガルフは息を切らしながら馬を降りると、ベンチに腰掛けていた私の隣に座った。
「私ね、あの時の返事をしようと思って……」
「うん」
「私、ストレートで正直で、心も強いガルフが好きだなって思ったの。それに、ガルフにも私のことをもっと知ってほしい。だから、婚約を決める前に、たくさん話をしたくて……それで会いに来たの」
ガルフは優しい目で、愛おしそうに私を見てうなずいた。
「シルビア、いっぱい話をしよう。そして、ケンカもして、いっぱい仲直りもしよう。ぶつかることを怖がらない関係になろう」
私は「うん」とうなずくと、ガルフが手を伸ばした。
「おいで……」
ガルフは私の手を引くと、ぎゅっと抱きしめた。
(人生を共に歩むパートナーは、無理をせず自然体でいられる相手のほうが、きっと心地がいいのかもしれない。
自分の気持ちに正直になって行動すれば、たとえ結果がどうであっても、後悔は少なくて済むんだわ……)
「ガルフ、ありがとう」
それから1年後、私とガルフは結婚式を挙げてみんなから盛大に祝福された。
結婚して3年目の春。私は、2人目の子を身籠っていた。
「だめだ。今回の合同討伐は、留守番だ」
朝食の席で、ガルフはパンを握りしめたまま、きっぱりと言った。
「後方支援だけよ? 回復魔法なら、座ったままでもかけられるもの」
「山の中だぞ。何かあったらどうする」
「何かあったら、ガルフが守ってくれるんでしょう?」
「そういう問題じゃねぇ!」
ガルフの大声に、膝の上でスープを飲んでいた長男のレオが、びくりと肩を揺らした。
「お父様、うるさい」
「……すまん」
そのやり取りで少しだけ空気が緩んだが、結局、その日は2人とも口をきかないまま、別々の部屋で夜を迎えた。
(私だって、みんなの役に立ちたいのに……)
窓辺で外を眺めていると、廊下から、ドスドスと重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
そしてその音は、ドアの前でぴたりと止まった。
「……シルビア、起きてるか」
「起きてるわ」
「……入っていいか」
「どうぞ」
おずおずと入ってきたガルフの手には、なぜか、ひしゃげた小さな花束が握られていた。
「さっき、庭で摘んできたんだが……。握りしめてたら、こうなった」
「ふふっ、何それ」
「笑うなよ。格好悪いのは分かってる」
ガルフは頭をがしがしと掻いてから、ぼそぼそと言った。
「怖いんだ。お前に何かあったらと思うと。……強くなったつもりでも、これだけはどうにもならない」
かつての私なら、「大丈夫よ」と笑って、本音を飲み込んだかもしれない。けれど、この人の前では、その必要がなかった。
「私もね、役に立てない自分が怖かったの。置いていかれるみたいで」
「置いていくわけねぇだろ」
「……うん。今回は、残るわ。その代わり、帰ってきたら一番に報告して。どんな怪我でも」
「わかった。約束する」
ガルフが、花束ごと私を抱きしめた。ひしゃげた花から、土と草の匂いがした。
「……ちょっと、花が潰れてるわよ」
「あっ」
私たちは顔を見合わせて、声を上げて笑った。
扉の隙間から、レオがじっとこちらを覗いていた。
「お父様、お母様、仲直りした?」
「おう、した」
「よかった。じゃあ、明日の朝ごはんは、みんなで食べられるね」
そんな日々が積み重なり、気づけば私たちの周りは、にぎやかな声でいっぱいになっていた。
やがて私たちは、5人の子どもたちとたくさんの孫に囲まれて暮らすようになった。
転生3回目にして、私はようやく、自分らしくいられる相手と、幸せな人生を歩むことができたのだった……。




