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悪役令嬢裁判録~婚約破棄で断罪された公爵令嬢ですが、王宮記録官が証拠と手続きで冤罪を覆します~  作者: ビッグサム


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第六十五話 席意は、本人の意思ではない

 席には、口がない。


 それなのに王宮では、ときどき人より先に席のほうが喋る。

 この席ならそう望むはずだ。

 この位置ならそう収まるべきだ。

 そういう言葉が、本人の返事より先に回り始める。


 第三記録室へ戻ったころには、朝の白さはもう薄くなっていた。


 窓の外では、中庭の石がやわらかな光を返している。だが、机の上に並ぶ紙は少しも柔らかくない。ミリア・カーフの仮控え。東脇室の薄記板写し。古い補記。試歩控え。どれも薄い紙ばかりなのに、その薄さのまま人の言葉を追い越していく。


 ルカ・エヴァレットは、二枚の紙を机の中央へ並べた。


 一つは、夜会の件で出た主任室紙片。


 ――公女席意向


 もう一つは、さきほど礼法係から押さえた仮控え。


 ――青三後、東脇室にて席意確認


 エレノアがその二つを見下ろす。

 灰青の衣の袖が、机の端に触れそうで触れない位置に止まった。


「同じ語ですわね」


「はい」


 ルカは答えた。


「ただ、前の件では“公女席意向”。今回は“席意確認”。言い方は少し違いますが、やっていることは近い」


 ロウェルが壁際の椅子へ腰を下ろしたまま、低く言う。


「近いどころじゃないわ。本人がまだ何も言っていないのに、“その席ならそう望むはず”を先に立てる言葉よ」


 ルカは頷き、古い記録束を引き寄せた。


 礼法側補助覚え。

 王太子妃教育仮控。

 高位席導線手引き。

 そこから、似た語だけを抜いて机へ重ねていく。


 席意。

 席順意向。

 高位席見込み。

 公女位後着見込。


 人の意思ではない。

 けれど、人の意思より先に動く語ばかりだった。


「整理します」


 ルカは言った。


「席意は、本人の発言ではありません。ですが、現場では“本人に聞いたのとほとんど同じ顔”で回ります」


「なぜ」


 エレノアが問う。


「便利だからです」


 ルカは即答した。


「本人に聞けば、否定されることがあります。返答を保留されることもある。けれど席意なら、まだ誰にも聞いていない段階で“そういう流れです”と通せる」


 エレノアのまなざしが静かに冷える。


「私が言ってもいないことを、私の席が望んだことにするのですね」


「はい」


「ずいぶん勝手ですこと」


 そのとき、ミナが古い綴り箱を抱えて入ってきた。


「記録官。お探しの“席意”が出る旧件、二つありました」


 ルカが受け取る。

 箱は軽い。だが嫌な予感は重い。


 最初の一件は、九年前の春の王宮査閲だった。


 高位女性席の立礼順が当朝に変わり、下位補助の名が一人消えている。そこに残っていたのは、短い控えだけだった。


 ――席意により当朝変更

 ――滑らかに収めること


 ロウェルが鼻で小さく息を鳴らす。


「また“滑らか”ね」


「はい」


 ルカは続きの紙を開いた。


 ところが、その下にもう一枚、別の細紙が挟まっていた。薄い。ほとんど見落としかけるほどの紙だ。


 ――当人、立礼順変更を望まず

 ――朝確認後の移動を嫌う旨あり


 エレノアの指先が、そこで止まる。


「否定していますわね」


「はい」


 ルカは答えた。


「本人は望んでいません」


「それでも、上の控えには“席意により”とある」


 エレノアの声が低くなる。


「席意とは、本人の意向ではない。本人の言葉を追い越して立つための語ですわ」


 その言い方に、ロウェルが目を細めた。


「ようやく、そこへ来たわね」


 ルカはさらに二件目を開く。


 四年前。

 公開祈祷の高位席補助線。

 こちらでも、一人の下位補助の名が当朝に消え、欄外にこうある。


 ――席意にて脇受け閉

 ――異議は後とする


 ルカは紙から目を上げた。


「異議は後とする」


 それが、この語の本性だった。


 今は先に動く。

 本人が何を言うかは、あとでよい。

 つまり、席意という語は確認ではなく、遅延装置だ。本人の意思を後ろへ押しやるための語。


 エレノアが、ゆっくりと息を吸った。


「席には意思がありません」


 静かな声だった。

 だが、静かだからこそまっすぐ通った。


「あるのは、そこへ座る人だけです」


 第三記録室がしんと静まる。


「席意などという言葉で、本人の返答より先に何かを決めてよいはずがない」


 彼女は机の上の二枚の紙を見た。


「私が何も言っていないのに“公女席意向”と書かれた。今度は、私がまだ何も承諾していないのに“席意確認”と」


 その視線が、薄い仮控えへ落ちる。


「確認ではありませんわね。先に作った形へ、本人の頷きをあとから押し込むための言葉です」


 ルカは頷いた。


「はい。東脇室でやるつもりだったのは、おそらくそれです」


「私を青三へ通す。補助三番を閉じる。東脇室へ入れる。そこで――」


 エレノアは少しだけ口を閉じた。


「“この席なら、こう望むでしょう”を、本人の前に置く」


「ええ」


 ルカは答える。


「そのうえで、もし異議が出ても“もう流れはできています”で押し切る」


 ロウェルが低く言った。


「本人が遅れて見えるようにするのよ。席のほうが先に歩いて、人のほうがあとから追いかける形にね」


 ミナが、ためらいがちに口を開く。


「でも……そういう書き方って、昔から普通だったんでしょうか」


 ルカはすぐには答えなかった。

 普通。

 その言葉が一番危ないと、今の流れではよく分かる。


「普通だった時期は、あったかもしれません」


 やがて言う。


「ただし、正しかったとは別です」


 エレノアがミナのほうを見る。


「滑らかであることと、正しいことは違うのです」


 ミナは小さく頷いた。


 ルカは古い補記をもう一枚引き抜いた。

 余白の端に、急いだ手で書かれている。


 ――席意は人後に立つべからず


 エレノアはその行を見て、目を細めた。


「ひどい言い方ですこと」


「ええ」


 ルカは答える。


「本人の発言より先に、席の意向を立てろという意味です」


「つまり、人より先に器を喋らせる」


「はい」


 そのとき、扉が控えめに叩かれた。


 入ってきたのは、主催卓の補助書記だった。朝の導線室で青ざめていた若い男である。今はさらに顔色が悪い。


「記録官」


「何です」


「東脇室の補助差しから、もう一枚……」


 差し出されたのは、短い覚えだった。

 今朝のものらしい。まだ墨が若い。


 ――席意整えば、脇受けを正面扱いに改む

 ――公女位予定者、口上後置


 エレノアの表情が、そこでぴたりと止まる。


「正面扱い」


 ルカは読み返した。


 脇受け。

 本来は補助線でしかない位置。

 それを席意が整ったあとで、正面扱いに改める。


 つまり、東脇室で“話は通った顔”を作ったあと、表の扱いまで書き換えるつもりだったのだ。


「口上後置、というのは」


 ミナが小さく問う。


 ロウェルが答える。


「先に位置だけ本物にして、紹介や名乗りはあとでいいってことよ」


 それは、ほとんど既成事実化だった。


 エレノアはしばらく何も言わなかった。


 怒っている。

 だが、その怒りを誰か一人へぶつける前に、まず言葉そのものを正す必要があると分かっている顔だ。


「席意」


 彼女はゆっくりと言った。


「この語は、もう使わせてはなりませんね」


 ルカは目を上げる。


「はい」


「少なくとも、本人の承諾を置き換える語としては」


 ルカは机の上の紙を順に見た。


 公女席意向。

 席意確認。

 席意により当朝変更。

 異議は後とする。

 席意整えば、脇受けを正面扱いに改む。


 全部がつながっている。

 席意とは、本人の意思ではない。

 本人の意思を遅らせて、先に場の都合を通すための語だ。


「では」


 エレノアが静かに言う。


「次は、その語を当然のように回してきた方へ進みましょう」


 ロウェルが壁際で小さく笑う。


「ようやく、“筆記の手”じゃなく“語を許した手”に届くのね」


 窓の外では、光がさらに白くなっていた。


 式の始まりは近い。

 だがその前に、切るべき言葉が一つ、はっきりした。


 席意は、本人の意思ではない。

 それなら次に裁くべきは、その危険な語を当然のように動かし続けた、もっと上の手だった。

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