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悪役令嬢裁判録~婚約破棄で断罪された公爵令嬢ですが、王宮記録官が証拠と手続きで冤罪を覆します~  作者: ビッグサム


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第四十四話 その「由」は、聞いた事実ではなく、渡された順番だった


 最後に入る一筆は、たいてい小さい。


 だから見落とされる。

 けれど、その小さな一筆だけで、曖昧な噂は“確認済みの由”になり、誰かの思い込みは“主催側の認識”に変わる。


 断罪は、そういう細い墨で本格的な顔を持つ。


 主催卓の書記席は、夜会の華やかさから最も遠い場所にあった。


 窓も低い。

 机は広いが、飾りはない。

 行事札、導線控え、返礼卓覚書、席次照会、急ぎ回付。そうした紙だけが幾層にも積まれ、その隙間を使って一行ずつ判断が書き足される。


 ルカ・エヴァレットは、朝会済札を机の中央へ置いた。


 ――教育側、公女で取る由


 短い。

 だが、この一行が入ったことで、“公女席意向”という曖昧語は、主催卓の側でエレノア公女個人の線へ変わった。


 机の向こうには、王太子宮付書記官マルセル・ドーレンが立っている。


 顔色は良くない。

 だが逃げてはいない。逃げられないところまで、自分の関わりももう理解している顔だった。


「確認します」


 ルカが言う。


「この一行を書いたのは、あなたですか」


 マルセルは、札を見て数拍だけ沈黙し、それから答えた。


「……はい」


 やはり。


 傍らのエレノアは何も言わない。

 ただ、視線だけが札の上へ落ちている。その沈黙が、余計な弁明を先に削っていた。


「理由は」


 ルカが問う。


「そう聞いたからです」


 マルセルの返答は短い。

 だが、その短さの中に、ここまでの構造がよく出ていた。

 誰もが、そう聞いたから。

 そう見えたから。

 そう整えたから。


「誰に」


 今度は受領官が低く問う。


 マルセルは視線を上げた。


「朝会使いの戻り口です。礼法係からの席次照会と、教育主任室からの後刻照会が、ほぼ同時に」


 同時に。

 それが主催卓の一番危うい時間帯だ。


「礼法係からは何と」


「“公女席意向あり”と」


「教育主任室からは」


「“高位当事者後着見込”と」


 やはり、その二本が主催卓で一本に見えたのだ。


「その時点で、あなたは“公女席”と“高位当事者”が同じ人を指すと思った」


「はい」


「なぜ」


 マルセルは苦い顔をした。


「茶会前日でした。導線も返礼卓も揺れていて、教育側からはエレノア公女殿下の最終見回りの話が散っていた。礼法係から“公女席意向”が来て、教育主任室から“高位当事者後着見込”が来れば」


「エレノアだと思う」


「はい」


 あまりに自然で、だからこそ危険だった。


 ルカは朝会済札の隣へ、二枚の控えを並べる。


 朝会簡易伝達控。

 ――公女席意向あり

 ――個名後置


 そして、王太子妃教育進行仮控。

 ――高位当事者後着見込


「あなたは、この二枚を見て」


「見てはいません」


 マルセルが遮る。


「受けたのは口頭です」


 そこが大事だ。


 紙ではなく、口頭。

 だから“由”が入る。


「口頭を誰から」


 ルカが問う。


「朝会係の戻り書きを持った補助書記と、教育主任室の小使札を持った女官からです。二人は別でした」


「名は」


 マルセルはすぐに答えられなかった。


 だが、ここで曖昧にしても意味がないと分かっている顔だった。


「礼法係側はヨアナ。教育側は、主任室付きの中継女官……サラです」


 新しい名。

 だが役割は明快だ。


「二人が別に来て、ほぼ同じ内容を置いた」


「はい。ただし、教育側は個人名を出しませんでした。礼法係も出していない。けれど、朝会の空気では」


「それで“公女で取る”と書いた」


「はい」


 ルカは、札の「由」の字を見た。

 他の行より、ほんの少しだけ浅い。

 断定の字ではなく、伝聞の字として書いた時の手つきだ。


「あなたは、確認済みの事実としてではなく、そう聞いた“由”として書いた」


「はい」


「ですが、その“由”が、主催卓ではもう一段重くなると知っていた」


 マルセルは答えに詰まった。


 知っていたのだ。

 朝会済札に書かれれば、それはただの噂ではなく、主催側の一時認識になる。


「……はい」


「なら、止めることもできた」


 ルカの声は静かだった。


「個名後置なら、個人名を急いで入れない。高位当事者なら、まだ匿名だ。そこで止め、再照会することもできた」


「できました」


 マルセルは低く言った。


「でも、その朝は止められなかった」


「なぜ」


 長い沈黙が落ちる。


 傍聴席の空気まで、それを待っている沈黙だった。


「……殿下が、夜会の導線がまた揺れることを嫌っておられたからです」


 セドリックの目が、そこで初めて動いた。


 マルセルはそれに気づきながらも、目を逸らさない。


「正確には、殿下ご自身がそう命じたわけではありません。ですが、白票線が動き、上申が止まり、礼拝棟も騒がしい中で、主催卓だけでも一つの認識を置かなければ、全部がばらけると」


 それで、“公女で取る由”を書いた。


 王子の意向を忖度した。

 しかし王子の正式命令ではない。

 ここにもまた、曖昧な空気が入り込んでいる。


「つまり」


 エレノアが初めて口を開く。


 静かな声だった。

 だが、今までより少しだけ冷たい。


「礼法係の曖昧語と、教育主任室の抽象語を、主催卓が“エレノア公女で足りる”と読み替えたのですね」


 マルセルは頷く。


「……はい」


「誰も私に確認していないのに」


「はい」


「誰も正式に私を置いていないのに」


「はい」


 その「はい」が三度落ちたとき、傍聴席の空気が目に見えて沈んだ。


 ここまで来ると、断罪の入口はもう陰謀の話だけではない。

 誰もきちんと確認しないまま、便利な高位者として一人の公女を“足りる”ことにした全員の話だ。


 ルカは最後にもう一枚、主催卓の細い補助札を出した。


 朝会済札の下に重なっていた、書き損じの細札だ。

 そこには、


 ――教育側、

 ――公……


 まで書いてあり、その先が止まっている。


「これは」


 マルセルが言う。


「最初に“教育側、公女意向”と書きかけて、言い過ぎだと思ってやめた札です」


「やめて、“由”にした」


「はい」


 それが最後の一歩だった。


 個人の意思ではない。

 礼法係も教育主任室も、曖昧な便利語しか出していない。

 それを主催卓が、“由”という伝聞の顔で個人へ寄せた。


「記録する」


 セドリックの声が本審廷へ落ちる。


「主催卓における“教育側、公女で取る由”の一筆は、礼法係の“公女席意向”および教育主任室の“高位当事者後着見込”を、王太子宮付書記官マルセル・ドーレンが個人名へ読み替えたものであることを採る。正式確認なく、伝聞の“由”で一時認識を置いたことを採る」


 それで、断罪の入口へ最後の墨を入れた手が、ついに名前を持つ。


 礼法係は曖昧語を渡した。

 主任室はエレノア個人へ人名化した。

 主催卓は“由”で既成事実にした。


 入口の輪郭は、ようやく閉じた。


 だが、そのとき、ロウェルが壁際から低く言った。


「まだ一つだけ、残っているわ」


 ルカが振り向く。


「何です」


「“最終覧”という語よ」


 ロウェルは朝会済札と焼け残りを見ている。


「礼法係は公女席。主任室は公女後着見込。主催卓は公女で取る由。けれど、“最終覧”だけは、教育の内部でしか使わない。そこへ誰が最初に、エレノアを結びつけたかがまだ残っている」


 エレノアの目が、そこでわずかに上がる。


 確かにそうだ。

 公女席は便利語。

 高位当事者は抽象語。

 “由”は主催卓の読み替え。

 だが、“最終覧”だけは、もっと個人的で、もっと教育の内側の語だ。


 その最初の呼び方だけが、まだ紙の外にいる。


 そのとき、扉の外でまた足音が止まった。


 近侍が一礼して入る。


「殿下」


「何だ」


「教育主任室の旧鈴箱から、封のされていない覚え書きが一枚」


 差し出された小紙には、細い字でこうある。


 ――本日、公女様ご機嫌よし

 ――終覧は頼める


 誰の署名もない。

 だが“公女様”と“終覧”が、同じ一枚の中で最初から結ばれている。


 エレノアは、その小紙を見て、初めてごく短く目を閉じた。


 誰かが、最終覧という内側の役目へ、最初に彼女の顔を入れた。

 入口の最初の最初で。

 まだ白封も、空白も、生まれる前に。


 断罪は、ようやくその始点へ手をかけようとしていた。

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