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光の射す出口へ

作者: きらら
掲載日:2026/03/24

三木剛(みき たけし・45)は、泥濘に足を取られながら漆黒の森を駆けていた。背後からは、何十人もの捜査員が踏みしめる枯れ葉の音と、鋭い犬の鳴き声が迫っている。


「くそっ、あんな女一人のために……!」

中堅証券会社の支店長代理という地位、隠し持った数億円の横領金。すべてを守るために部下の女性・倉田を殺害したが、計算外の証拠が露呈した。


行き止まりの崖を前に、三木は古びた排水トンネルへ飛び込んだ。内部は腐臭が漂い、膝まで泥水に浸かる。数時間の死闘の末、ようやく前方に光の粒が見えた。


「……出られる」

光の中に飛び出した瞬間、三木は眩しさに目を細めた。



2. 安息

そこは、夕暮れ時の静かな住宅街だった。


数時間前までの嵐が嘘のように、風は穏やかで、近所の家からはカレーの匂いが漂っている。三木は自分の格好を見た。泥だらけだったスーツは、いつの間にか清潔なカジュアルウェアに変わっており、手元には大金が入ったボストンバッグがある。


「逃げ切ったんだ」

三木は、この街で「佐藤」という偽名を使い、潜伏生活を始めた。警察の影は全くない。


テレビをつけても自分の事件は報じられない。ここは地図に載っていない、犯罪者のための「聖域」なのだと自分を納得させた。



3. 世界


一週間が過ぎた頃、三木は「違和感」という名の毒に侵され始めた。


コンビニで買った缶コーヒーを路上に落とした時だ。空き缶がアスファルトに触れた瞬間、「ペチッ」という、薄いプラスチックの板を叩いたような、安っぽい音が響いた。


「……なんだ、今の音は」

三木はしゃがみ込み、地面を爪で引っ掻いた。硬いアスファルトのはずが、そこには「石の模様」が精巧に印刷された、冷たい樹脂の感触しかなかった。


空を見上げると、さらに奇妙な光景があった。夕焼け空を横切る飛行機雲が、定規で引いたように真っ直ぐだが、ある地点で数センチほど横へ「ズレて」繋がっていた。まるで、古くなった液晶モニターのドット欠けのように。


恐怖に駆られた三木は、街の外へ向かおうとタクシーを拾った。「一番遠い隣町まで行け!」

しかし、車が市境のトンネルに入った瞬間、急ブレーキがかかった。

「お客さん、この先はまだ『工事中』でしてね」


運転手の声は、録音されたテープのように抑揚がなかった。霧の向こうには、空の青色が塗り残されたような、巨大な灰色の壁がそびえ立っていた。



5. 現実

三木が目を見開くと、そこは清潔すぎて血の通わない、白一色の病室だった。

体が動かない。首から下は、まるで鉛のように重く、幾本ものチューブが体から這い出している。

「……気がつきましたか。三木さん」


枕元に立っていたのは、かつて三木が殺害した部下・倉田の息子、直樹だった。彼は白衣を着て、淡々と点滴の速度を調整している。


「ここはどこだ……。私は、逃げ切ったはずじゃ……」

掠れた声で問う三木に、直樹は冷たい笑みを向けた。


「逃げる? 行けるわけないでしょう。あなたは三年前、逃走中に脳溢血で倒れ、そのまま植物状態になったんです。裁判は中断され、あなたは『重病による執行停止』の身。本来なら福祉施設でひっそり死を待つはずだった」


直樹はモニターに映し出された、三木の脳波の波形を指差した。

「僕はね、その後の人生をすべて、あなたの『延命』のために捧げました。最新の脳科学と、あなたの隠し口座から没収された賠償金をすべて注ぎ込んで。……このシステムは、外部からの刺激で、あなたの脳内に『最も見たい夢』を見せ続ける。


でも、不完全なプログラムだから、どうしても現実のノイズが混じる。あの街の違和感は、僕がわざと混ぜた『あなたが殺した母さんの記憶』ですよ」

三木は絶望に目を見開いた。


「あなたは死ぬことも許されない。僕が許可しない限り、このベッドの上で、永遠に『脱走と絶望』の夢をループし続ける。……世間は僕のことを、親の仇を献身的に介護する『聖人』だと褒めてくれます。誰も、この部屋があなたの刑務所だとは気づかない」


直樹は三木の耳元に顔を寄せ、優しく、しかし呪いのような声で囁いた。

「さあ、次の夢の時間です。今度はもっと上手く逃げてくださいね。じゃないと、僕の気が済まない」



6. 無限の帰還

三木の視界が、急速に強制的な暗転に塗りつぶされる。


再び、あの暗い、泥水の臭いがする排水トンネルの入り口。

「……あ、三木さん」


背後から声がした。振り返ると、そこには殺したはずの倉田が、生前と変わらぬ穏やかな、しかしどこか虚ろな顔で立っている。


「お金、半分持つのを手伝うわ。……今度は、どこまで逃げられるかしらね?」

三木は声にならない悲鳴を上げ、二度と辿り着けない「出口」を目指して、また一歩を踏み出した。

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