第03話 魔法少女との邂逅
家事代行サービスのアルバイトからの帰り。
望は自転車を漕ぎながら妃菜のことについて考えていた。
家に入ってわかったことが、大きく二つある。
まずは、絶句するほどに生活力が皆無であるということ。
学園で見掛けるときは男女関係なくいつも友人達の輪の中にいる妃菜。人気もあるため何かと頼りにされることも多いだろう。
しかし、そんな学園での姿からは想像もつかない惨状が、妃菜のプライベートに広がっていた。
そして、もう一つ。
恐らく妃菜は望と同様に一人暮らしだろうということ。
散乱した衣類を片付ける中で本人以外のものを見掛けなかったし、ダイニングテーブルを囲う椅子の中で埃を被っていないものは一つだけだった。
その他にも似たようなヒントはいくつかあったので、間違いないだろう。
「って、あの生活力で一人暮らしは厳しくないか……?」
家に足を踏み入れたときの光景を思い出すだけで、望の口元は自然と微苦笑に歪まされてしまう。
「……ま、俺には関係ないことか」
同じ英志院学園の同級生というだけで、望と妃菜は別に友人関係でもなければ、ましてプライベートで何か付き合いがあるワケでもない。
もしまた妃菜が家事代行サービスを利用して再び望が担当者になっても、 やはりお客様とスタッフという関係でしかない。
仕事として誠心誠意要望に応えるが、それ以上に妃菜個人の事情に踏み込んだり、何かを心配したりする必要はない。
と、そんなことを考えているうちに、もう自宅のアパート近くまで帰ってきた。
等間隔に設置された街頭が灯る住宅街の道。
その薄暗さを自転車のライトで掻き分けながら走る。
あとは目の前の十字路を右折するだけ――と思ってハンドルを切ったそのときだった。
「なっ……!?」
キィイイイッ!!
慌ててブレーキを握り締める。
ドクッ、ドクッ、ドクッ……と穏やかでない自身の心音を聞きながら、恐る恐る自転車のライトが照らす先に目を凝らしてみる。
そこにあるのは影。
夜だから暗くて当然だという話ではない。
自転車のライトはもちろん、街灯の明かりの下だというのに暗闇なのだ。
モヤモヤとした不定形の影。
一見スモッグのようにも見えるその影は、硬直する望の視線の先で徐々に分裂し、変形していく。
一体、二体、三体……全部で六体。
おどろおどろしい雰囲気を放つ、文字通り言葉通りの人影が生まれる。
そして、目も鼻も口もない顔面をゆっくりと望の方へ向け――――
タッ……タッ……タタタッ……!!
「う、うわぁっ!?」
おぼつかない足取りで人影が駆けてくる。
望は自転車のペダルを踏み外して転がり落ち、それでもじっとしているわけにはいかず慌てて駆け出した。
迫り来る人影の手、手、手。
死に物狂いでそれらを躱しながら走るが、背後から音なき脅威が追ってくる気配をビリビリと感じる。
(えぇっと、警察――じゃなくて、こういうときの緊急連絡先は魔法少女協会か……!!)
望は走りながらズボンの右ポケットに手を突っ込んだが、スマホがない。
バッグに入れただろうかと肩から下げているカバンの中を慌ただしく手で掻き混ぜてみるが、やはりスマホは見当たらない。
(くっそ……! こんなときに限って月ヶ瀬の家に置き忘れてきたっ……!!)
しかし、ないものは仕方ない。
今出来るのは、兎にも角にも追い掛けてくる人影らから逃げることのみ。
「はっ、はっ、はっ……!!」
運動が取り立てて不得意というワケではない望だが、長時間の勉強や休日に詰め込むバイトによる疲労が祟ったか、冷静でない状態の全力疾走によって、体力はみるみるうちに削られていってしまった。
もちろん必死に足を動かそうとするが、それでもやはり足取りは重くなり、駆け足はもはや早歩きとさえ言えないような状態になる。
「はぁ、はぁ……もう目の前だってのに……!」
視線の先にあるのは自宅のアパート。
もう少し歩けば容易に辿り着ける距離だというのに、体力も精神力も底を突いた今の望の目には、果てしなく長い道のりに映る。
それでも一歩、また一歩と小鹿のように心許ない足を踏み出すが、結局躓いてその場に膝をついてしまう。
「っ、ここまでか……」
望は肩で呼吸を繰り返しながら、諦めたような笑みを浮かべて振り返る。
ゆらゆら、と。
六体の人影が尻をついて座り込む望の前に立ち――――
ダッ!! と一体が飛び掛かってきた。
「……っ!?」
終わった――と、望は目蓋を固く閉じる。
……。
……。
……。
(……ん?)
これはどういうことだろうか。
数秒経っても自分の身に何も起こらない。
人影が飛び掛かってくる瞬間は確かに見たので、今頃襲われていなければおかしいはずだ。
ゆっくり、ことさらゆっくりと、望が慎重に目蓋を持ち上げる。
薄っすらと開ける視界。
満ちた月を覆い隠していた雲が退く。
夜の天蓋から降り注ぐ月光と街灯の明かりに照らされて、淡く発光するような純白の長髪とドレスが揺れる。
「間一髪、かな……!」
背中越しに掛けられるのは、鈴を転がすような可憐な声。
望は目の前の非日常的な光景に、息を飲んで目を見開いた。
「魔法……少女……?」
そう、自然と声が零れ出ていた。
線の細い身体つき。
ふわりと長く伸びる髪は純白で、毛先に向かって薄桃色のグラデーションが掛かっている。
身に纏うドレスも全体的に白が基調。
オフショルダーで首筋から肩が惜しげもなく露出し、二の腕から先はふわっとしたスリーブで飾られている。
膝上で揺れるスカートにはフリルがあしらわれており上品でいて可愛らしいデザインになっており、その下からはスラリと生のおみ足が伸びている。
そんな可愛らしくも美しい装束に身を包んだ純白の少女が、突き出した細い長杖の先に幾何学模様を描くバリアを展開して、人影の攻撃を防いでいた。
「そこから動かないでね」
魔法少女は油断なく正面を見据えたまま一言注意すると、長杖の先端でクルリと円を描いた。
すると、展開されていたバリアは人影を包囲するように立体的に折り畳まれ、牢獄と化す。
そのまま牢獄は中に閉じ込めた人影ごと圧縮し押し潰していき、やがて視認不可能なほどに収縮したあと、キラリと光の粒子を弾けさせて跡形もなくなった。
望がそんな一連の光景を後ろから呆然と眺めていると、魔法少女がチラリと振り返り、淡紅色に輝く瞳を向けくる。
「ケガはない?」
「は、はい……」
「良かった。なら、早くここから離れて」
「は、はい……!」
望は疲労で鉛のように重たくなった足を何とか立ち上がらせる。
ガクガクと震えてしまうのは疲れか、恐怖か……それともその両方か。
望は間違っても転んで隙を見せてしまわないように、急ぎながらも慌てずその場から足を遠ざけていく。
(不幸中の幸いだった……まさか、こんなに早く魔法少女が駆け付けてくれるとはな。これで何とか助か――)
ダァンッ!!
「きゃっ……!?」
「……え?」
何かの激突音。
半瞬遅れて少女の悲鳴。
自分は戦線離脱して助かり、魔法少女は怪異を打倒してハッピーエンド。
そんな想像が呆気なく砕かれる嫌な予感。
それを否定したくて、そうはならないと証明したくて、恐る恐る振り返ると…………
「かはっ……ぐぅぅ……!!」
魔法少女がやたら腕を伸ばした人影に首を締め上げられるようにして壁に押し付けられていた。
(ま、魔法少女が……やられる……? そんなに強い敵なのか……?)
困惑する望の視線の先。
魔法少女は右手に掴んでいた長杖を振るって何とか人影の腕を断ち切り、地面を転がるようにして立ち上がるが、その先にもやはり別の人影が立っていて――――
「うぐっ……!?」
放たれた拳をもろに腹部に喰らって、大きく後ろへ――望の足元まで滑るようにして転がって来た。
綺麗な顔に浮かぶのは苦悶の表情。
喉からは唸り声が漏れ出て、冬だというのに露出した首筋や背中には冷汗が伝っている。
「ま、魔法少女さん……? 魔法少女さんっ!?」
望は慌てて膝を突く。
くの字で地面に倒れ込む魔法少女の上体を優しく抱え上げた。
……冷たい。
魔法少女の素肌に触れて真っ先にそう思った。
望の顔に不安の色が濃く浮かぶ中、薄っすら目蓋を開いた魔法少女が自嘲気味な笑みを浮かべてくる。
「あ、あはは、ゴメンね……本当ならカッコよく守ってあげたかったんだけど、残念ながら今の私には、もうそんな力は残ってなくて……」
でも大丈夫、と。
魔法少女は無理矢理にでも何とか立ち上がって、再び人影らの方へ視線を向けた。
「君が逃げ切るくらいの時間は稼いでみせるよ。だから――」
「――い、いやちょっと!」
並ぶように立った望が、たまらず魔法少女の言葉を遮る。
「そ、それじゃあ貴女は……?」
「私は君を逃がしたあと、やれるとこまでやってみるよ……」
随分と漠然とした答えだ。
「……勝てるんですか?」
「……どう、だろうね」
やはり、断言はしない。
望はギリッと歯を食い縛ったあとにため息を溢した。
「なら、すみません。俺は逃げられません」
「えっ……?」
望の返答に、丸くした目を向ける魔法少女。
「俺には何の力もない。取り柄と言えば、ちょっと勉強が出来ることと家事をこなせることくらいなものです。とてもあの不気味な連中を返り討ちにするなんてことは出来ません」
もし魔法少女に目の前の脅威を退けられる確信があると言うのであれば、戦えない望が残っても足手纏いにしかならないので、大人しく逃げただろう。
二人とも助かってハッピーエンドだ。
だが、今は違う。
魔法少女だからとか、仕事だから使命だからとか関係ない。
女の子一人を犠牲にして自分だけが助かろうなんて思えないし、とはいえ死んでやるつもりも更々ない。
「だから、教えてください――」
望は真っ直ぐ魔法少女を見据えた。
「――俺も貴女も無事に切り抜けられる方法を。そのために俺が出来ることを」
見開かれた魔法少女の瞳。
その淡紅色の虹彩に、望の姿が反射する。
数秒の沈黙。
交わる両者の視線。
先に口を開いたのは魔法少女だった。
「一つ、方法がなくもないよ」
魔法少女は覚悟を決めるように一度下ろした目蓋を開き、望を見詰めた。
「私と契約して、御使いになってくれる?」




