第01話 この非日常がここでの日常です
「……ふぅ、この辺にしとくかぁ」
学校から帰ってきてからというもの、自室で長いこと机に噛りついて勉強していた少年――御守望。
焦げ茶色の髪を雑に掻き上げたそのままの流れで「うぅ~ん」と唸りながら、両手を天井に突き上げる格好で伸びをする。
ポキポキッ……と、とても高校一年生で十六歳の身体から鳴るものとは思えない音がした。
同じ体勢を維持し続けていたせいで、よっぽど身体が凝り固まっていたのだろう。
望はいつものことだと驚く素振りもなく、目の前に開かれていた参考書とノートをパタンと閉じる。
そして、卓上で眠っていたスマホの顔を突いて時刻を教えてもらうと――――
「っ、マズった……!」
望は椅子を転がす勢いで立ち上がり、慌てて自室を飛び出す。そのまま階段を降りて一階へ。
「暗っ!?」
階段を降りた先にはリビングとダイニング、それらを見渡すようにカウンターキッチンもあるが、それらのどの空間の照明も点けられていなかった。
望は照明のスイッチがある場所を目指して、薄闇の中をそろそろと慎重な足取りで進む。
だが、その途中で、
ドスッ……、と。
足元に置かれていた何かを蹴ってしまった望は「うおっ……!?」と間抜けな声を漏らして躓いてしまう。
「こんなところに何か置いてたっけ……?」
心当たりがない。
それに、足にぶつかった感触も不思議なものだった。
それなりに弾力があってあまり痛くはなかったし、重量感があり倒して壊してしまうような感覚もナシ。あと、少し温もりがあるような気もした。
望は心当たりのないその正体を見破るべく、薄闇の中で怪訝に目を細めて睨んでみる。
すると――――
むくり、と。
ソレが動いた。
「んなっ……!?」
短く驚愕の悲鳴を漏らす望。
視線の先でモゾモゾと動いているのは毛布――いや、その中に包まるようにして何かいる。何かがうずくまっている。
そして、その何かは立ち上がったのだろう。
毛布は縦方向に長く引き伸ばされ、ちょうど望の胸上くらいの高さで止まると、バサッと床に落ちた。
皮を剝かれたように中から姿を現したのは、一人の少女。
中背で華奢な身体。
白磁のような肌はきめ細やかで瑞々しく、セミロングの髪は新雪を集めて糸にして作ったかのように純白で、ふわりと柔らかい。
精緻に整った顔は儚さを湛えながらもあどけない可愛らしさを含んでいるが、どうやら今は落ち込んでいるらしく、いつもなら無自覚に振り撒かれる愛嬌は鳴りを潜め、その表情は曇っていた。
そんな少女が、薄闇の中でもハッキリ見える淡紅色の瞳を半開きの状態にして、じぃ……と向けてくる。
「な、何だよ……いるならいるって言ってくれ。心臓に悪いからさ……」
間違っても怪異の類いでなくて安心した望は、見慣れた少女の姿に胸を撫で下ろした。
「だって……望くんが全然来ないから……」
「それはホント悪い。勉強しててすっかり約束の時間忘れてた……」
一緒に夕食の準備をしよう――学校から帰ってきたあとにそう約束していたのだ。
望が申し訳なさそうに謝ると、少女は「あはは……」とどこか自嘲気味に力なく笑って視線を落とした。
「そ、そうだよね……私より、勉強の方が大事だもん。うん、わかってるよ。それなのに私……ゴメンね? なんか、一人で勝手に浮かれちゃってて……面倒、臭いよね……私って……」
少女が完全にネガティブスイッチを入れてしまったので、望は慌てて落ち着かせようと試みる。
「あぁ、いや! そんなことないから! ゴメン、ほんっとゴメン! 約束破った俺が悪いんだから、妃菜がそんな風に自分を責めることないんだぞ……!?」
「ううん……私、勉強で忙しい望くんの時間を奪っちゃうような、悪い女の子だから……」
あぁもう! と。
このままでは埒が明かないと思った望は、少女の両肩に手を乗せて、目線を合わせるように顔を覗き込んだ。
「違う。俺がお前に時間を使いたいんだ!」
「っ、へぇっ……!?」
少女の瞳が丸く見開かれる。
カァ、と顔が朱に染まっているが、暗がりで望の目には見えない。
「だからどうやったら安心するか教えてくれ。俺に出来ることなら何でもするから、な?」
「な、何でも……?」
「あぁ、何でも」
「…………」
少女はしばらく沈黙したのち、か細い声で「それなら……」と言って半歩踏み出し、望の胸に自分の額をコツンとぶつけた。
「ぎゅって、して……」
「そ、そんなことで良いのか?」
「うん……」
「わ、わかりました……」
望は恐る恐る少女の背中に腕を回して包み込んだ。
小さな頭。
細い腰回り。
華奢な身体つきの割には存在感を主張してくる胸の膨らみ。
それら触れ合った場所から確かな体温が伝わってくると同時に、髪が少し揺れるだけで至近距離で仄かな甘い香りが鼻腔をくすぐってくるので、望としては己の理性に活を入れなければならなかった。
しかし、少女は対照的な様子。
身体の力を抜いて、望の胸の中で小さく笑った。
「……ふふ、凄く落ち着く」
「さいですか……ってか、髪ボサボサ」
望は胸の中にある少女の頭に手を伸ばす。
撫でるように手櫛を通して、ぴょこんと飛び出した毛束に応急処置を施した。
少女は抵抗する素振りも見せず、ただただされるがままになっており、それどころかどこか心地よさそうに目を細めている。
そんな少女を胸に優しく抱き締めながら、望は悩まし気に思った。
(はぁ、やっぱまだこの可愛い生き物に慣れないなぁ……ちょっとしたことでドキッとしてしまう……)
高校入学を機に始めた一人暮らし。
それが、どうしてこんな美少女と二人きりの同棲生活をすることになったのか。
そのきっかけを語るには、二月下旬の頃まで遡る――――
◇◆◇
私立英志院学園。
幼稚園から小中高と大学まで一貫の、一般に名門とされる学園の一校である。
放課後のチャイムに背を押された生徒が、その高等部校舎から続々と姿を現し始めていた。
ある者は部活動や委員会へ、そしてある者は真っ直ぐ帰路へ着く。
そんな中で、帰宅部委員会無所属の望は後者。
くわぁ、と大きな欠伸をしながらとぼとぼ歩いていると――――
「のーぞむっ!」
「ぐはっ……」
背後から駆け足の音が聞こえてきた次の瞬間に背を叩かれ、望はわざとらしくダメージボイスを自演してみせる。
「大丈夫かぁ、望? 覇気の欠片も感じさせない顔しやがって。死にかけの魚の目ぇしてるぞ?」
「それなら今ちょうど絞められて死んだ魚の目に変わったかもな」
冗談交じりに振り返ると、最大限自由意思が尊重される校則の下、髪色を少し明るく染めているクラスメイトの男子――服部俊也が、その充分イケメンの部類に入る整った顔を可笑しそうにクシャッと歪ませるのが見えた。
「何だ何だ~? 学年末テストしくじって特待更新し損ねたか~?」
「ちげーよ。ってか、学年末の成績知ってるだろ? 貼り出されてるの一緒に見たんだから」
ほんの二、三日前のことだ。
これでもし本当に忘れていたら、望は俊也の記憶力を割と本気で心配しなければならなくなっていたが、幸いそうならずに済んだ。
「ははっ、まぁな。きっちり上から三番目のところに名前があったな。覚えてるって~」
そうでなければ困る。
望は小学生の頃に両親が不慮の事故で他界してからというもの、中学卒業まで田舎にある父方の祖父母の家で生活してきたが、高校入学を機にかつて両親と暮らしていたこの地元に戻ってきて一人暮らしをしているのだ。
祖父母の負担をなるべく減らしたい思いから仕送りは最低限にお願いした上で、高額な名門私立の学費は、入学から成績上位の特待生待遇を死守して免除にしている。
そのために、時間を見付けては授業の進度を先回りする勢いで勉強しているし、休日や長期休暇はアルバイトで生活費や小遣いの足しにしている。
また、長い田舎生活のお陰もあって、特に生活力に関して同世代では頭一つ抜けているので、生活テクニックや料理のレシピ、作り方などをSNSなどで発信して収益を得ようと挑戦もした。
……が、残念ながらそちらは上手くいかず。
現在の主な収入源は、腕が良いと好評な家事代行サービスのアルバイトとなっている。
「って、いやそうじゃなくて! 俺が言いたいのは、根詰めすぎじゃねぇかってことだよ」
今に始まったことじゃねぇけどさ、と俊也がため息混じりに頭を掻く。
「ちなみに明日土曜だよな?」
「だな」
「息抜きに遊びにでも――」
「――わり、思いっきりバイトだわ」
「ですよねー」
わかってましたとも、と言わんばかりの抑揚のない反応をする俊也。
「ま、そんな心配しなくても、ぶっ倒れない程度にしてるから大丈夫だよ。よっぽど《《あっち》》の方が大変だ」
そう言って望が遠くの景色へ視線を向けた瞬間――――
ドガァアアアアアンッ!!
一瞬の閃光と共に激しい爆発音が轟いた。
周りを歩いていた生徒達も皆足を止めて、騒めき出す。
「え、なになに?」
「始まった!?」
「どこっ!?」
「ほら、あそこ!」
「あっ、ホントだ。戦ってる~!」
「すげぇ~」
かなり距離があるので鮮明には見えないが、何か巨大な怪物の周りを飛び交う数名の少女達の姿があった。
それぞれが色とりどりの衣装を身に纏い、人並み外れた挙動や跳躍力を見せている。
街の平穏と人々の営みの守護者――魔法少女だ。
「突然何かと思ったら、魔法少女が戦ってんのか~。いやぁ、毎度のことながらすげぇよなぁ。あんな恐ろしい敵に立ち向かってさぁ~」
遠く離れた本人達には聞こえないとわかっていても「頑張れ~!」と一言応援を飛ばす俊也の隣で、望も同じ感想を抱いていた。
自分達の生活を守るために戦ってくれている彼女達の雄姿を見守っていると、視界の端ふわりと目立つ白髪が入り込む。
学園で美少女として人気を集めている隣のクラスの同級生――月ヶ瀬妃菜だ。
可愛らしくもどことなく儚げな雰囲気を纏う妃菜は、周囲の生徒と同じように足を止めて、魔法少女たちの戦闘へと目を向ける。
そんな綺麗な横顔を、望は無意識のうちに見詰めており…………
「うん、あの子達だけで……大丈夫そうかな……」
と、彼女のそんな小さな呟きをただ一人、聞き取っていた。
(どういう意味だ……?)
望が不思議そうに黙って見詰め続けていると、そのことに気付いた俊也が「おい、どーこ見てんだよ?」と肩をボンとぶつけて聞いてくる。
「んにゃ、別に?」
「別にってことはないだろ……って、あ。もしかしなくても月ヶ瀬かぁ~?」
ニヤニヤと意味ありげに口角を吊り上げている俊也。
「いやまぁ、否定はしないけどさ……お前が期待してるような理由で見てたんじゃないからな。たまたま目に入って」
「おやおやぁ? 言い訳がましいところが余計に怪しいですなぁ~?」
一発ぐらい殴ってやろうか、と望が右手を握り締めてこめかみをピクつかせていると、俊也が慌てて平謝りを飛ばしてくる。
「す、すまんすまん、冗談だって~!」
「ったくなぁ……」
「ま、そこにいたらつい見てしまうよなぁ、月ヶ瀬って」
コクコクと頷きながら語る俊也。
「男女分け隔てなく優しい美少女。頭が良すぎないからこそ親しみやすさを感じるし、馬鹿ってわけでもないから話がしやすい。とはいえ、なんかこう……儚げで神聖不可侵って言うの? そんな雰囲気があるから、手を伸ばしても届かない高嶺の花感は確かに保たれていて……」
「わ、わかった。わかったから……」
俊也の語り口に熱が入ってきて、このままではいつまでも喋り続けると思った望がストップをかける。
気が付けば、もうそこに妃菜の姿はなくなっていた。
「……まぁ、儚さもだけど……なんか、一歩間違えると壊れてしまいそうな危うさみたいなのがあるよなぁ……」
望は最後にそう呟いてから、遠くで繰り広げられる魔法少女たちの戦闘へと視線を戻した――――
お手に取っていただきありがとうございます!
魔法少女というテーマ上、時々戦闘描写など入ることもあるとは思いますが、ラブコメ読者の皆様に受け入れられやすい形で描いていこうと思いますので、是非とも忌避せず読んでいただけますと幸いです~!
あ、もちろん本作はラブコメなので!
魔法少女的マジカルな設定の新鮮さの中で、どのような甘さが滲み出してくるのか……その目でお確かめを!
ではっ!




